2006年10月31日

「人間力」が「日本」を再生させる

総理就任早々の「中・韓訪問」、「村山談話」と「河野談話」の継承発言等々で、支持者たちをガッカリとさせた「安倍総理」ですが、内閣誕生以来の「タブー破り」の速さを見ると、もしかしたら「小泉元総理」以上の「仕事」をやり遂げるかもしれません(小泉元総理が「下地」を作ったからではありますが)。

例えば、「以前」ならば、国内外で大きな「騒動」になったであろう出来事が、昨日だけでもいくつも「自然」な形で行われています。

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(時事通信より)

日台安保対話を呼び掛け=中川自民政調会長とTV会談−陳総統

 自民党の中川昭一政調会長は30日午前、都内のホテルで台湾の陳水扁総統とテレビ会談した。この中で陳総統は、中国の軍備増強に懸念を示した上で「日本と台湾が安全保障をめぐる対話を構築していかなければならない」と述べ、日台の安保対話を呼び掛けた。これに対し中川氏は、「台湾海峡の平和と安定は日本や世界にとっても大事だ。われわれも積極的な関心を持っていかなければならない」と指摘した。 



(西日本新聞より)

ダライ・ラマが来日 東京や広島などで宗教活動
 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が30日、広島県内の宗教団体の招きで来日した。11月12日まで滞在し、東京都内や広島県内などで法話などの宗教活動や講演を行う。

 チベット独立の精神的象徴でもある14世を「分裂主義者」と位置付ける中国政府は入国させないよう日本側に求めているが、政治活動を行わないことを条件に政府は入国を認めている。



(毎日新聞より)

中川政調会長:憲法上は核保有可能 政府解釈
 自民党の中川昭一政調会長は30日、静岡県沼津市内の講演で核保有議論に関して「憲法の政府解釈では、必要最小限の軍備の中には核も入るとしている。その片方で非核三原則がある。現実の政策としては核は持たないということになるが、憲法上は持つことができると政府は言っている」と述べた。

 また、北朝鮮の核実験問題に関連して「向こうから飛んできたら、どうするのか。させないためには、米国、中国との協力が必要だが、核議論を今こそすべきだ」と述べ、改めて核論議の必要性を強調した。


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「本音の麻生・中川・下村」と「タテマエの安倍」。

安倍内閣がそのような「意思」の下で一致団結して全ての事を運んでいたら、「まさか!?」という政策が次々と実現される可能性も出てくるでしょう。

この間の「サンデープロジェクト」を見ていたら、「管直人」議員ら「左巻き」の「レベルの低さ」と、「櫻井よし子」さんら「保守系」の「レベルの高さ」の違いと「格差」が更に広がっていることを改めて認識しましたが、「自民党」と「野党」の「差」が急速に広がっていることは更に強く認識することが出来ます。

「優秀な人材」が溢れている「民主党」の「若手」議員たちは、いまの「低脳で、腐り切った民主党幹部」たちの言動に対して歯がゆい思いをしているはずです。そんな「民主党」の「若手」議員たちが見習うべきは「自民党」の「小泉元総理」や、「若手議員」たちです。

「小泉」「安倍」「麻生」「中川」議員たちは、現在「民主党」の「若手議員」たちが直面している「壁」よりも、遥かに高く、分厚い「壁」に挑み、何度も、何度も撥ね返されながら、努力に努力を重ね、挫折を乗り越えいまのポジションを手にしました。

「民主党」がこのまま「小沢」や、「管」や、「鳩山」や、「田中真」や、「労働組合」のような「ガラクタ」に頼っていたら、近いうちに、「朝鮮」と同じように「テロ」(永田メールなど)に頼るしか無くなってしまうでしょう。

「マスコミ」は殆ど取り上げませんが、いま「フリーター」や、「ニート」や、「ひきこもり」だった「若者」たちの中から、失敗や、挫折を重ねながらも、物凄い「熱意」を持って這い上がろうとしている人たちが増えています。

これから「日本」は間違いなく「熱気があって素晴らしい国」になります。

そのことを一番わかっていないのが「悲観的」な見方しか出来ない「野党」や「マスコミ」です。

「国民」はそんな連中を相手にして座して「犠牲者」となる必要はありません。「普通」に世の中を眺めれば「楽しいこと」や「素晴らしいこと」が山ほど溢れています。

最近、「マスコミ」は、「過剰に演出」された「いじめ」や「自殺」の話題で持ちきりです。

「左巻き」に、「個人」として生きることを「強制」され、「個化(単一化)」された考え方しか出来ない「個人」にとっては、「目の前」だけが全てに見えてしまうでしょうが、世の中には「素晴らしい人」や「やさしい人」はたくさんいます。

「人」は「個人」として「個」に向かって生きると必ず「不幸」になります。

苦しいとき、悲しいときは、「人間」として「複(公)」に向かって生きれば必ず何らかの「幸福」が見つかります。

そのことは、「学生生活」も「会社」も「政治」も変わりません。

「日本」と「人」を再生させるのは、「個人」ではなく「人間」です。

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[参考]

美しい国へ・安倍 晋三(著)

ほんとうの社会力―あなたの『力』を知る、伸ばす、楽しむ・辻 秀一(著)

弱さを強さに変えるセルフコーチング・辻 秀一(著)

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2006年10月30日

「マルクス」よりも「樋口清之」

「民主党」や、「共産党」や、「社民党」や、「日教組」や、「朝日新聞」や、「TBS」や、「朝鮮総連」や、「民団」などの「左巻き」を支持する人たちが存在し(もちろん左巻きも色々ですが)、

「自殺」や、「格差」や、「ひきこもり」や、「学級崩壊」や、「家庭崩壊」や、「犯罪」や、「虐待」などの増加は「自民党」のせいである、という「嘘」に騙され続ける人たちがいる限り、今後も「日本社会」は「個人」を「犠牲」にし続けることになります。

このことを「国民」が理解できるのかどうかに、これからの「日本社会」が「明るくなる」のか、「暗くなる」のか、の鍵があります。

今日の「自殺」や、「格差」や、「ひきこもり」や、「学級崩壊」や、「家庭崩壊」や、「犯罪」や、「虐待」などの増加を予見していた「樋口清之」先生は、「個」を主体とした「戦後の日本」と、「公」を主体とした「戦前の日本」の違いをこのように言っています。

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「人間は、集団があってはじめて生きることのできる動物である。 人間が、個人意識を持って、個人だけに切り離されると、いかにも自由であり、勝手に何でもできそうに見える。古代社会はもちろん、今日の社会でも、それが可能のように思えるが、実は古代でも現代でも同じく、集団から切り離された個人が、一度、悲運に遭遇した場合、あるいは転落の道に入った場合、それを食いとめるものは何もないわけだから、完全に脱落するだけである。

いまでも家をはじめ一切の集団を否定して、孤独であることをむしろ悟道の世界に入ったように誇って暮らしている人も稀にはある。しかし、そんな人の本音はやはり毎日が不安で寂しいにちがいない。それに耐えている努力が誇りだといえばいえるが、しかし、一種の人間性否定の愚考だというほかない。そのうえ、集団から離れているつもりでも、本人の目には見えず、心にも感じない、社会組織の恩恵のあることに強いて目をつぶっているエゴイストぶりはけっして褒めたことではない。

 それを防ぐためには、どうすればよいか、という知恵が、家族集団という発想を生んだ。そして、家族集団を維持していくためには、まず家族集団の意志を認めることが前提となる。つまり家族集団の意志を個人意識に先立って認めるわけで、そういう意味で、個人はないのである。その場合が、すなわち「無私」である。個人は「無私」という個人意識を持つことで集団に属して、自らの転落を防いだのである。

 では、個人に優先する家族集団の意志とは何か。それは多人数の個人の意志が集約されたものである。 家は、家を構成する個人個人の幸せを守るためにある。だから本来は、個人の幸せの期待を裏切るものではないのである。つまりみんなの幸せの最大公約数としてあるのだ」(樋口清之)


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現在、「ひきこもり」や、「虐待」や、「依存症」や、「学級崩壊」や、「家庭崩壊」などの中にあり、「孤独感」や、「苦しみ」や、「挫折」や、「不安感」に苛まれている人たちなら「樋口清之」先生の言葉の意味がよくわかるはずです。

「個人主義憲法」や、「個人主義教育基本法」を早急に改正しなければならない理由は、「個人」を主体とした「個人主義」は「個人」を救うことが出来ないからです。

「日の丸・君が代を使わせるな!」「靖国参拝反対!」「法人税を上げろ!」・・・。

このような主張をする「エゴイスト」たちのせいでどれだけの人たちが「犠牲」となっているのか。

「国家」や、「会社」や、「家」が崩壊したら、沈んだら、「個人」はどうなるのでしょうか。

「難民」「リストラ」「一家離散」です。その時「個人」はどこに行けばいいのか。「特定アジアか、アメリカか」「ブルーシートの家か」「自殺か」そのようなことを考えれば「公」のありがたさがわかるはずです。

「会社」という「公」が弱くなって、倒れれば、「個人」はリストラされ、「社会保障費」が大増加する。パートや、アルバイトが増加すれば「会社」の「質」が低下する。いま「法人税減税」が必要なのは「公」を再生して、「公」の中に出来るだけ多くの「個」を取り込む為です。

「個人」が、「家族」、「地域社会」、「会社」、「学校」、「国家」、「警察」、「消防署」、「軍隊」、「自然」、「動物たち」と一体となって「人間」として生活できる「社会」が実現できた時、「不必要な犠牲者」を大幅に減らすことが出来るのです。

この世の中に「個人」として生きられる人など殆どいません。「左巻き」が主張する「個人」として「個立(自立)」して生きている人の方が「異常」なのです。

「昔の日本人」は、どんな「偉人」でも、「子育て」や、「教育」や、「仕事」などを「公」の協力の中でこなして来ました。

それなのに現在は、「自立しろ」「個性を活かせ」「個人の時代だ」ばかりです。

例えば「女性」に対して、「仕事」も、「子育て」も、「趣味」も、「女性として」も、「女として」も、「母親として」も生きることが素晴らしいのだ、という考え方で「脅迫」を行う。

そんなこと「普通の女性」に出来るわけありませんし、する必要も無いでしょうし、もし実現するのならば毎日ギリギリ限界の生活を送らなければ不可能です。そんな「似非ミラクルウーマン」に育てられた「子供」が、「鍵っ子」になったり、「家出」や、「非行」に走る。全てが「中途半端」だからです。

いまの「日本」には「個人主義」の悪影響で「孤立」して苦しんでいる「個人」が溢れています。そんな彼らを救えるのは「左巻き」ではなく、「樋口清之」先生のような考え方でしょう。

「個人」の力など大したことは無い。だから失敗したり、逃げ出したくなったり、不安になったり、挫折をする。そのことを「全ての国民」が理解し、受け入れていく。そんな「社会」の中で、「人」が成長し、自立し、他人を助けることが出来るだけの余裕が生まれる。

「国民」が「公」を大切にし、愛し、尊重すれば、「自殺」も、「ひきこもり」も、「虐待」も、「犯罪」も、「依存症」も、その多くを失くすことが可能です。

いまなら「日本」を再生することが可能です。「公の文化」が「日本」を救います。

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[参考]

完本 梅干と日本刀―日本人の知恵と独創の歴史・樋口 清之(著)

ザ・ウィナーズ・パット・ライリー(著)

よく考えてみると、日本の未来はこうなります。・日下 公人(著)

日本の文化力が世界を幸せにする・日下 公人 (著), 呉 善花 (著)


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2006年10月29日

「個」は「国民」を幸せにしたのか?

昨日、中2の女子がパトカーに卵を投げつけるなどの挑発を繰り返し、追跡された結果、重体(今現在)になるという事故がありました。

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(読売新聞より)

パトカーに卵→車と衝突→ミニバイク中2女子2人重体

28日午前6時ごろ、奈良県橿原市葛本町の国道24号交差点で、県警橿原署のパトカーに追跡されていた同市立中学2年の女子生徒2人(いずれも14歳)が乗っていたミニバイクが、対向の同市内の専門学校生(32)の軽ワゴン車と衝突、女子生徒の1人ははずみでパトカーにぶつかり、もう1人は路上に投げ出され、いずれも意識不明の重体。専門学校生は右足に軽傷。

 調べによると、同日午前5時30分ごろ、現場から北東600メートルの同署葛本交番に生卵が投げられ、捜査していたパトカーが不審なバイクを発見、パトカーに向けて卵を投げ付けるなどしたため、追跡していた。

 同署の松岡幸司署長は「適正な職務執行と判断している」と話している。

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この事故について、「警察が一番悪い!」などと言う人がいたらその人は「真性の馬鹿」です。

この事故を起こした「女子中学生」のような「公」を乱す、「個」の「暴走」を許してしまえば、いつ何時、誰が被害者となるのかわかりません。

軽ワゴン車に乗っていた「専門学生」は何らかの「罪」を問われるでしょう。その過程で自らが描いていた「未来」は大きく狂ってしまうはずです。32歳と言う年齢で「専門学校」に通うことは非常に大きなリスクを伴います。そのことを考えるとこれからが大変でしょうが、何とか頑張って再起してもらいたいものです。

今回の事故について「女子中学生」たちが、どうしようもないほどの「大馬鹿野郎」であることは間違いありません。もし仮に「死んだ」としてもそれは「自業自得」です。ただここで今後は同じような事故を繰り返さない為にも、「個」ではなく、「公」の目線を持って事故と向き合っておく必要があります。

今年の夏は、「戦争責任」を「いわゆるA級戦犯」に「擦り付ける」ことが、「左巻き」の「政治屋」や、「マスコミ」の間で大流行しましたが、「出来事」という「公」の現象を「個人」に擦り付けても問題は解決することはありません。そのことは「人類」の歴史がはっきりと証明しています。

「個」に答えを求めたり、「個」に責任を求めれば「個人」は必ず過ちを繰り返します。

そのような「個」による「負の連鎖」を断ち切る為には、「公」=「行為」や、「述語」に目を向けていくしかありません。

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「(罪を憎んで人を憎まず)こういう発想は、ちょっと間違うと個人の責任を問わないものとして批判されても仕方がないものとなる。たしかに責任回避につながる面はあるのだが、そもそも罪というものに対する考え方が違うのだ。一口に罪とされるが、その罪が形づくられるにはいろいろな動因があり、単に個人を責めてすむものではない-そういう発想からすると、罪を発生させたのは個人だけではなく、他者、世間、家族、歴史、習慣、制度、教育・・・などさまざまなものが絡みあった総体ということになる。罪の主体を立てない表現には、そういう主張が潜んでいる」(呉善花)

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自分は「呉善花」さんが指摘する「日本的」な「罪」に対する意識を取り戻すことが「日本」だけではなく、「世界」を「平和」へ導くと信じています。

>「一口に罪とされるが、その罪が形づくられるにはいろいろな動因があり、単に個人を責めてすむものではない-そういう発想からすると、罪を発生させたのは個人だけではなく、他者、世間、家族、歴史、習慣、制度、教育・・・などさまざまなものが絡みあった総体ということになる。罪の主体を立てない表現には、そういう主張が潜んでいる」(呉善花)

という視点に立って、今回の事件を見れば、一番の「責任」が「女子中学生(個)」にあったとしても、彼女たちを形成しているモノの中には、「戦後日本教育」や、「個人主義の悪影響」や、「親」や、「家族」や、「友人」や、「マスコミ」等々が含まれています。そのように考えれば彼女たちも「戦後日本の被害者」であるとも言えます。

「家族や教師やご近所さんたちが、他人に迷惑をかけてはいけませんよとしっかりと教えていれば」

「家族や教師やご近所さんたちが、彼女たちを厳しく叱っていれば」

「親がもっともっと子供に興味を持っていれば」

「日本が、国家や、国歌や、国旗や、靖国神社(ご先祖様)や、食べ物や、文化や、伝統などの「公」を大切にする国だったら」

彼女たちだけではなく、多くの「国民」たちが救われていたはずです。

「公よりも個の方が大切です!」

そのように主張している人たちは、彼女たちのような「個人(非人間)」をどのように救い、関係の無い人たちを巻き添えにしないようにするのか、「具体的」に提示する必要があります。

いまの「日本」が置かれている現状を把握する為には、「個」を主体とし、「公」を徹底的に否定し、憎悪の感情までをも持たせる「個人主義教育」の実態について「国民」はもっと知らなければなりません。

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「毎週、各クラスから選抜された男女の生徒委員百余名が集まって、当番教師を中心として会議が開かれる。週に一つ実行すべき事項を決めて、議論するのだ。今週の議題は、黒板に、チョークで書かれている。

「教室であばれないように」。まず、教師が口を切る-。

「今週は、教室で、あばれないように、という問題だが、教室で、あばれては、なぜいけないのか」、

生徒の手がすぐ上がって、「教室は勉強するところだからです」と答える。

すると、別の教師が発言する。「勉強するところだから、なぜあばれてはいけないのか。君たちは、あばれたいだろう」

「あばれたくても、あばれてはいけないのです。あばれたければ、校庭に出れば、よいと思います」

「校庭では、無論、あばれてよい。しかし、教室ではなぜあばれてはいけないのか」

生徒がガヤガヤと私語し出す。常識じゃないか、という一生徒の言葉を、耳にはさんで教師がつづける。「常識?常識ってなんだね。そんなわかったような、わからないような、いいかげんなものは信じられないね」「議長ッ」と一年の男生徒が立つ。「教室で、あばれると、窓ガラスや机や椅子をこわすから、いけないのです」

「うん、なるほど。だが、なぜ、窓ガラスや椅子をこわしてはいけないのか。君たちは、あばれたい。それなら、ちょっとあばれるとこわれるような安物のガラスを、なぜ入れて置くのか、と考えないか」教師は、指で窓のガラスをはじき、「こんなやくざなガラスを入れたのは誰か。やくざな政治家だ。政治が、なっていないのだ」

全生徒は沈黙する。以上。文字どおり以上である。生徒は、教室であばれる事をけっして止めなかったからだ」(小林秀雄)


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ここに出てくる「教師」たちは特に「異常」なのでしょうが、このような「教育」を受けた子供たちや、「思想」を植え付けられた子供たちや、彼らが「学校」や、「マスコミ」や、「政界」で「国民」たちに与える「悪影響」を考えれば、パトカーに卵を投げつけるような「女子中学生」が出てきてしまうのも理解出来ると思います。

「個人主義」や、「個性化教育」や、「人権(個権)」というものが本当に「国民」を幸せに導くのか、もう一度考え直す時が来ています。

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[参考]

ザ・ウィナーズ・パット・ライリー(著)

よく考えてみると、日本の未来はこうなります。・日下 公人(著)

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2006年10月28日

「個」の「暴走」が「日常化」している「日本」は本当に危ないところまで来ている

昨日、「小田急線」に乗っていたら「線路に人が入り込んで電車が止まっています」というアナウンスがあって、職員だけではどうにもならないので、「警察」が駆けつけて問題が解決するまでに30分以上の時間が掛かったという事件がありました。

線路に入り込んだ人は、幸いなことに命に別状は無かったようなのですが、電車に乗っていると「人身事故」に遭遇することは多々あります。

最近、「教育崩壊」の問題が大きく取り上げられていますが、鉄道の「人身事故(自殺)」も「教育崩壊」と無縁ではありません。

「自分(個人)が鉄道(公)に飛び込んだらどうなるのか」

これから死のうとする人には、そのようなことを考える余裕は無いのでしょうが、鉄道に飛び込んで「自殺」をする人がいれば、多くの人たち(公)に迷惑が掛かることになります。ここで「乗客」からすれば「死ぬ時にまで他人に迷惑をかけるなよ!」という気持ちにもなりますが、実は、鉄道に飛び込んで「自殺」することによって、多くの人たち(公)に迷惑をかけた人と、「乗客」は無縁ではありません。

「日頃」から全ての「国民」が「公」を意識して生活していれば、「自殺者」も、「いじめ」も、「ひきこもり」も、「虐待」も、「依存症」も、「犯罪」も、「汚職」も大幅に減らすことが可能です。

それによって、「不必要な犠牲者」や、「税金」や、「不安」なども軽減されます。

「個」に近い人ほど、「自殺」をし、「犯罪」や「虐待」を犯し、「ひきこもり」や、「依存症」になることははっきりとしています。「左巻き」が主張する、

「公よりも個の方が大切だ!」

ということは本当なのか。もう一度、考え直す時が来ています。「個性」溢れる選手がたくさんいる「NBA」で大成功を収めた「パット・ライリー」コーチは、「チーム(公)」を重視することで最強のチームを作り上げました。

「個」を上位に置けば「公」は死んでしまいます。しかし、「公」を上位に置けば「個」を活かすことも可能です。

「他人に迷惑をかけるのはやめよう」

「他人を傷つけるのはやめよう」

「困っている人がいたら助けよう」

そのようなことを「全ての国民」が重視し、「安心」や、「信頼」が「社会」に溢れたとき、「個」は何の気兼ねも無く自由に羽ばたくことが出来るのではないでしょうか。

「個」の「暴走」が、「国民」たちの「心」を様々な形で圧迫している「戦後日本」を救うのは、「和」であるはずです。

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[参考]

ザ・ウィナーズ・パット・ライリー(著)

よく考えてみると、日本の未来はこうなります。・日下 公人(著)

日本の文化力が世界を幸せにする・日下 公人 (著), 呉 善花 (著)


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2006年10月27日

「反対」の「理由」をしつこく聞き続ければ「似非」はいなくなる

「従軍慰安婦」という「完全な捏造」問題に拘って、自らの「エゴ」を満たすことしか考えていない「野党」や、「左巻きのマスコミ」を見ていると、「日本」に「不必要な犠牲者」が溢れている理由がよく分かります。

「売春婦」の問題を取り上げるならば、「売春の是非(合法化)」や、今現在、夜の街に溢れている「売春婦」たちの置かれている「環境」についての議論を行うべきでしょう。

「公」の意識を持った議員たちが主導権を握って生まれ変わろうとしている「自民党」と、相変わらず「私利私欲」の為に「不必要な反対」を繰り返している「野党」。

「野党」は一致団結して、格差社会や、官製談合や、村上ファンドへの投資で利益を得た福井俊彦日銀総裁の責任問題を追及していくことを決定したそうですが、これらの問題だけではなく、その他の問題の殆ど全てが「教育」の問題と直結していることをわかっていないようです。

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(南日本新聞より)

教基法成立阻止で一致 野党、対決姿勢強める
 
 民主、共産、社民、国民新各党は26日午後、国会内で幹事長・書記局長会談を開き、政府が最重要法案と位置付ける教育基本法改正案の成立を阻止し、11月19日投開票の沖縄県知事選で野党統一候補の勝利を目指して共闘する方針を確認した。4党は衆院統一補選で2勝した与党が強気の国会運営に出ることを警戒、対決姿勢を強める構えだ。
 民主党の鳩山由紀夫幹事長は会談後の記者会見で、政府の教育基本法改正案について「安倍政権の教育再生会議設置やいじめ問題などの新しい状況を踏まえれば、拙速に議論を進めるべきではない。4党とも反対だ」と述べた。
 会談では、核保有論議を排除しないとする麻生太郎外相と、従軍慰安婦問題で旧日本軍の強制を認めた河野洋平官房長官談話の前提となる事実関係の再調査に言及した下村博文官房副長官の責任を追及することで一致。同時に(1)格差社会(2)官製談合(3)村上ファンドへの投資で利益を得た福井俊彦日銀総裁の責任−を質疑でただす方針も確認した。
 防衛庁「省」昇格法案については社民、共産両党が反対を表明。民主、国民新両党は内容そのものには反対せず、防衛施設庁の談合事件などを理由に「現時点での省昇格は不適切」と主張したため、野党共闘の対象とはしなかった。


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「鳩山由紀夫幹事長」の

>「安倍政権の教育再生会議設置やいじめ問題などの新しい状況を踏まえれば、拙速に議論を進めるべきではない。4党とも反対だ」

という発言は、「防衛庁」の「省」への昇格問題での「松本剛明政調会長」の「無責任」発言に続いて、本当に「無責任」な発言であり、「政党」として存在する資格を問わなければならないほどに重要な問題です。

「いじめ」、「学級崩壊」、「わいせつ教師」、「登校拒否」、「学力低下」、「体力低下」、「自殺」、「犯罪」等々。

これらの問題があるからこそ、「国会議員」は「命懸けで議論」をしなければならないはずです。

「学校」が生み出す問題で「苦しみ」、「悲しみ」、「挫折し」、「居場所」を失っている人がたくさんいる。

それなのに「拙速に議論を進めるべきではない」という考えで一致した「野党」は、「他人の気持ち」が全くわからないほど「醜いエゴ」で心が一杯なのでしょう。

「野党」の議員たちは、「与党案」に「反対」するのならば、その「理由」で「国民」を納得させなければなりません。

「国民」は、「憲法改正」や、「教育基本法」や、「共謀罪」や、「防衛省への昇格」や、「靖国参拝」や、「つくる会の教科書」などへ「反対」する「理由」をしつこく聞き続ける必要があります。

「改悪反対!」や、「軍国主義者!」や、「戦争賛美か!」という言葉は、「理由」としては通用しないことをはっきりさせることが大切です。

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[参考]

教育激変―新教育基本法案がめざす「家庭」「学校」「日本」の10年後

自虐でやんす。・小林 よしのり(著)

日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり・ 阿部 晃(著)

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2006年10月26日

「民主党」の正体は「社会党」

「外面」を変えても「中身」は変わっていなかった。「民主党」という「覆面」を剥がしたら正体は「社会党」だった。

「国民全体」の「生命と財産の安全」を守ることよりも「沖縄県知事選」を重視すると決めた「民主党」に国政を預かる資格はありません。

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(共同通信より)

民主、防衛省法案に反対へ 今国会は「時期尚早」
 民主党は25日、防衛庁の「省」昇格法案について、北朝鮮の核実験問題が解決しない段階で議論するのは「時期尚早」として、今国会での成立に反対する方針を固めた。
 衆院統一補選で自民党に2勝を許した民主党の執行部は、野党統一候補が出馬する来月の沖縄県知事選を重視。野党の足並みをそろえ、与党への対決姿勢を示す狙いがある。
 松本剛明政調会長は25日の記者会見で「(北朝鮮の核実験など)安全保障の案件が多い。大きな組織変更を短期間でやることがふさわしいのか」と疑問を呈した。
 民主党は今国会で、長官以下82人が戒告などの処分を受けた防衛施設庁の談合問題をめぐる政府の対応を共産、社民、国民新の各党とともに追及する方針。省昇格法案の審議にすんなりと応じることは、国民から理解されないとの判断もあった。
 ただ小沢一郎代表は「国防の任務が正当に位置付けられなければならない」と省昇格に一定の理解を示しており、法案の内容については明確な反対姿勢を示さない方向。


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「民主党」の「松本剛明政調会長」は、

>「(北朝鮮の核実験など)安全保障の案件が多い。大きな組織変更を短期間でやることがふさわしいのか」

と言っていますが、「安全保障の案件が多い」からこそ「国防改革」を急がなくてはならないのではないでしょうか。

「防衛省昇格」問題は、そもそも「防衛庁」であること自体がおかしな話であって、本来ならば、

>「北朝鮮の核実験や中国や韓国の大軍拡や、領土侵略の問題があるうちは、「防衛省」を「防衛庁」へ「降格」するという「軍縮議論」は行うべきではない」

と言うような状況を作っておかなければならなかったはずです。「国民」は「民主党」のような「私利私欲」に走るだけの「無責任政党」を支持したら、「社会党(社民党)」の「村山富一」が行った「阪神大虐殺」の悲劇が繰り返される可能性が高くなることをしっかりと認識しておく必要があります。

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*先日、複数の高校が必修科目を履修していなかった問題が発覚しましたが、「日本史」や、「世界史」や、「地理」という重要科目をしっかりと教えてこなかった(妨害された)つけが「河野談話」という「歴史捏造」問題へと繋がったことを忘れてはなりません。

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(産経新聞より)

河野談話は再調査必要 下村副長官が言及

 下村博文官房副長官は25日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、慰安婦への日本軍関与の強制性を認めた平成5年の「河野談話」について、「もう少し事実関係をよく研究し、時間をかけて、客観的に科学的な知識を収集し考えるべきだ」と述べ、将来的には見直すことも必要だとの認識を示した。

 下村氏は、歴史認識に関する安倍晋三首相の国会答弁について「首相は村山談話、河野談話について百パーセントそのまま、というわけでない」と指摘。その上で、河野談話について「個人的には検討課題としてあっていいと思う」と述べた。


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「従軍慰安婦」という「完全な捏造」問題については、「歴史」をしっかりと学ぶことで容易に回避することが可能です。

例えば、「当時のシナ」の様子について、「塩田剛三」さんはこのように語っています。

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「それは上海のことでした。 そのころの上海には、夜になるとヤチーと呼ばれる街娼が立つのです」(塩田剛三)

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このような光景はアジア中で見られました。自ら「売春」を行っている人たちが山ほど存在しているのに、何故強制が必要なのでしょうか、普通に「歴史」を知っている人なら「従軍慰安婦」など「完全な捏造」であることは誰でもわかる話です。今現在アジア中で「売春」が行われているように、「その当時」も「売春婦」がたくさん存在していて、「日本人」も、「シナ人」も、「欧米人」も、「朝鮮人」も「売春婦」を普通に買っていたのです。

「慰安婦」問題で議論することが出来るのは「売春の是非」についてだけです。「河野談話」など話にならないだけではなく、「売春問題の本質」から目を逸らし、不要な被害者を作るものでしかないのです。

*「塩田剛三」さんの本の中には「シナ人」の「捕虜」に対する「リンチ」の場面も出てきます。そのような「真の負の歴史」と向き合う為にも「歴史捏造」を許してはなりません。

[参考]

合気道修行―対すれば相和す・塩田 剛三(著)

日本を蝕(むしば)む人々 平成の国賊を名指しで糺す・渡部 昇一 (著), 屋山 太郎 (著), 八木 秀次 (著)

新・社会党読本 政策・組織から人材まで―「社会党って何?」に答える!

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2006年10月25日

「「周辺事態」で議論継続」では「国民」を守ることは出来ない

「社民党」の「村山富一」が行った「阪神大虐殺」は、その「理由」が「個人的なエゴ」であったことを考えれば、「スターリン」や、「ポル・ポト」や、「金正日」や、「フセイン」と同類の「日本史上最悪の虐殺事件」と言えます。

もしもあの日、あの時、「日本国総理大臣」が、「村山富一」という「殺人鬼」ではなく、「小泉純一郎」や、「安倍晋三」だったならば・・・恐らく千人以上の尊い命が救われ、経済的損失も大幅に減らせたことでしょう。

何が起こるかわからないのが世の中です。「社会」を構成するパズルのピースが少し変わっただけで「運命」は180度別の方向へと進んでしまいます。

「日本人」が「阪神大虐殺」という「完全な負の歴史」から学び、「犠牲者」の方々の冥福を祈るのならば、全ての「政党」や、「政治家」たちに対する「監視」を怠ってはなりません。

本当に「有事」の時に、「国民」を守れる「政治家」は誰なのか。

「左巻き」の反対や妨害を押し切って、「自衛隊」参加による「防災訓練」などを実施した「石原都知事」は「政治家」としての「義務」を果たしていると言えるでしょう。

ではこの「政党」はどうなのか。

〜〜〜
(日経新聞より)

民主、「周辺事態」で議論継続
 
 民主党は24日午前、外務防衛部門関係会議を開き、北朝鮮の核実験を踏まえ政府が検討している周辺事態法の適用の是非を巡って協議した。先に小沢一郎代表、菅直人代表代行、鳩山由紀夫幹事長の3氏が示した「核実験を行うだけでは周辺事態ではない」との認識について、党の正式決定ではないことを確認。さらに党内議論を重ねていく方針で一致した。


〜〜〜

「日本」が「有事」の際に、「いま議論している最中です」というような「政党」に「生命」や、「財産」を任せられるでしょうか。

「国民」は、「民主党」や、「共産党」や、「社民党」の「異常さ」と共に、「自民党」でも「有事」の際の「備え」がまだまだ足りないことを深く認識しなければなりません。

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[参考]

日本を蝕(むしば)む人々 平成の国賊を名指しで糺す・渡部 昇一 (著), 屋山 太郎 (著), 八木 秀次 (著)

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2006年10月24日

「虐待」問題は「個」と「公」の問題です

「虐待」で「子供」が死んだ。

そのニュースを目にした時に、「糞親何やってんだよ!」という感情だけが沸きあがってくる「日本人」が増えているようならば「戦後日本」が破綻する時は近いでしょう。

「日本」を再生し、これ以上、「罪もない子供たち」を犠牲にしたくなければ、「戦後日本の人権意識」を再点検しなければなりません。

「虐待」問題の本質は、「ニート」や、「ひきこもり」や、「依存症」や、「自殺」などの問題と同じく、「個」と「公」の問題に行き着きます。

「人権」を「個」の下(横)に置くのか、「公」の下(横)に置くのかで「社会」の様相は180度変わってきます。

「個」=「個人」や、「家庭」に「人権」が付与されるという「欧米」や、「戦後日本」のような考え方では、「公」=「地域社会」や、「行政」は「家庭」や、「宗教団体」などで「虐待」が行われていても「介入」することは出来ません(法律では認められていても、一部の「左巻き」の悪影響で実質的に)。いまの「日本」は「未成熟な個人主義」の悪影響で「人権」を持った「個人」の全てが「独裁国家」となってしまっています。

「朝鮮に経済制裁をするな!」と言っている連中と、「家庭に介入するな!」、「信教の自由に介入するな!」と言っている連中は同類だと言うことを「国民」が理解しない限り、これからも「未熟な個人主義」による「犠牲者」は生まれ続けることになります。

「個人主義」の歴史が長い「欧米社会」は、膨大な数の「犠牲者」を生み出し続けながら、「戒律」や、「罰則の強化」や、「強制介入」や、「愛国心の強制」などを巧みに「社会」に組み込むことで、「個人主義社会」の必然である「個人を犠牲とする」ことを最小限に抑止してきました。

それに対して「日本」の「未熟な個人主義者」は、「公よりも個の方が大切だ!」と言いながら、「愛国心」や、「少年法の罰則強化」などに反対しています。彼らは本当にどうしようもない大馬鹿者ですが、彼らの「暴走」による「被害」に遭わない為には「国民」が、「個」と「公」の関係についてしっかりと学習しておく必要があります。

「戦後日本」が歩んできた「個人主義」の歴史をこれからも続けるのならば、「個」に対する「公」による「強制介入」の自由を更に認めなければなりません。

「家庭」で虐待があれば「公」が強制的に介入する。

「カルト宗教団体」があれば「公」が強制的に解散させる。

「反政府団体」があれば「公」が強制的に解散させる。

それが「真の個人主義社会」です。現在、「日本」で「信教の自由」が認められ、「政治力」を持っている「大宗教団体」が、「欧米諸国」では「カルト宗教」や、「テロ支援団体」に認定されている。これが「未熟な個人主義社会」と「真の個人主義社会」の違いです。

「個人主義」とは「平和文化」ではなく、「有事文化」です。自分は「個人主義」は最終的に全ての人を「不幸」にすると考えています。だから「日本」は「個」よりも「公」、「個人」よりも「人間」を中心とした「社会」を築くべきだと思っていますが、今後も「個人主義社会」で行くのならば「個」と「公」について、もう一度しっかりと考えなければならないでしょう。

いまの「日本」で、「個」と「公」について最もわかっていない(認知、体知の両面で)のは「左巻き」です。自分は「左巻き」の中枢部にいるカルトを除いた大多数の「左巻き支援者」は「個」よりも「公」を大切にしている人たちであると思っています。

「日本人」の大多数は「個人」ではなく「人間」である。

「訴訟」「格差」「犯罪」「自殺」「虐待」「依存症」増加する社会を望まないのならば「個」から「公」に帰るべきです。

「子供」は「親」だけのもの、「個人」の命は「個人」だけのもの。そんな悲しくて、寂しい社会は近いうちに破綻するでしょう。

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[参考]

完本 梅干と日本刀―日本人の知恵と独創の歴史・樋口 清之(著)

日本人の美点―子や孫に伝えたい、美し国の知恵と発想力・樋口 清之 (著)


日本の文化力が世界を幸せにする・日下 公人 (著), 呉 善花 (著)

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2006年10月23日

「戦後日本の常識を変える」ことが「平和」に繋がる

昨日は「ミラー・イメージの法則」について書きましたが、いまの「日本」の「左巻きのマスコミ」や、「民主党」や、「共産党」や、「社民党」や、「自虐教育」などの現状を見ると、一日でも早く「負のミラー・イメージ」が溢れかえっている「社会」を変えなければ、本来ならば生まれるはずの無かった「犠牲者」が今後も増加していくことでしょう。

不必要な「犠牲者」をこれ以上増やさない為には、「国民」の一人ひとりが、「日本の社会」に「プラス」や、「明るい」ミラー・イメージが広がれば、自分だけではなく、その他の人たちの「幸福」にも繋がるのだと考えて行動していく必要があると思います。

その第一歩が「戦後日本の常識を変える」ことです。例えば、「日本の戦争」について「日下公人」さんはこのように言っています。

〜〜〜

「中国はいつまでも第二次世界大戦の悪口を言うが、それは、その後一度も戦争をしていないからである。何度も新しい戦争をしていたら言われないはずだ」(日下公人)

「「道徳」という土なくして「経済」の花は咲かず―日本の復活とアメリカの没落」より


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「日本」の「大東亜戦争」について「悪口」を言い続け、金を巻き上げ続けている「特定アジア」は、第二次世界大戦以降だけでも「1億人以上」の人たちを虐殺しました。同様に「日本」の「大東亜戦争」の「悪口」を言い続けている「アメリカ」や、「ロシア」や、「イギリス」や、「フランス」などはどのようなことを行ってきたでしょうか。

第二次世界大戦の「勝者」であり「正義」とされた人たちは、その後、「数千回」もの「戦争」を行い、「数億人以上」の人たちを虐殺し続けています。

そのような「現実」を踏まえてみれば、「日本」と「その他の国」のどちらが、「軍国主義」で、「右傾化」していて、「暴力的」なのかがよく分かると思います。

「平和的な日本人」と「戦争好きなその他の国の人たち」。

「世界」を素直に眺めてみたならばそのような構図がはっきりと浮かび上がってきます(もちろんそこには地理や、風土の影響がありますが)。

それなのに、逆に「日本人は残虐だ!」「日本人は戦争の謝罪と反省をしろ!」という御馬鹿さんがいる。だから「世界」に「不幸」が溢れているのです。

「日本」の「大東亜戦争」の「悪口」をいまだに言い続けている人たちや、その主張に同調する「日本人」こそが「真の暴力主義者」なのです。

「靖国参拝」や、「歴史認識」や、「日の丸・君が代」の「非難」は「第二次世界大戦」と必ず結び付けられて語られています。

その言葉を聞いた時に「日本人」が暗くなったり、反省する必要は全くありません。彼らはいまの「日本」が自分たちよりも遥かに素晴らしいことを知っているから、60年以上も前の話しか持ち出すことが出来ないのです。

逆に「日本人」が彼らを「非難」する際には、「チベット」や、「東トルキスタン」や、「イラク」や、「アフガン」や、「チェチェン」や、「ガス田」、「拉致」、「テロ」、「言論弾圧」、「麻薬」、「偽札」などいくらでも「新しい問題」を持ち出すことが可能です。

今現在「火事で燃えている家」の問題と、「60年以上前に何らかの理由で燃え落ちた家」の問題のどちらが大切でしょうか。

今現在「火事で燃えている家」の中で「助けて〜!」と言っている人たちを無視して、60年以上前の火事がどうのと言っている連中のことは思いっきり「軽蔑」しましょう。

「国内」において、「国外」において、いま我々「日本人」がやらなければならないこと、出来ることを行っていくことが「真の世界平和」を実現するのです。

「日本」の「左巻き」や、「野党」や、「特定アジア」や、「アメリカ」や、「ロシア」などのやり方には「未来」はありません。

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*「自民党」に敗れ続けている、本当に御馬鹿な「民主党」と「左巻きのマスコミ」にアドバイス。

「個」や「主語」に基づいた行動を取っている限り「真の勝利」は永遠に得ることは出来ません。

「小泉」や、「安倍」という「個」や「主語」ではなく、「公」や「述語」に基づいた行動を地道に繰り返すべきです。そうすれば「自民党」に勝つことも可能でしょう。

いい加減そのことに気付いてくれないと「国民」に迷惑が掛かるのでよろしくお願いします。


*「民主党」の「鳩山幹事長」は今回の補選の敗北について、とんちんかんなことを言っていますが、日頃の「鳩山語録」に基づけば、「鳩山幹事長」は既に4,5回は「辞任」していなければならないはずです。「民主党支持者」もそろそろ「エゴイスト」だらけの執行部に対して本気で怒ってはいかがでしょうか。このままでは「日本」の「民主主義」が死んでしまいます。「政治(議員)」の世界に「労働組合的発想」は必要ありません。

「プロ野球」のレベルは何故維持されているのか。それは「戦力外通告」があるからです。

いまの「政治(議員)」の世界に必要なのは、「与党」、「野党」問わず、「国民」による「戦力外通告」を健全に行うことです。その為には、「特定の個」の意思に左右される「組織票」を無くさなければなりません。



*本日の注目記事

「厳喜=元気」がでるメルマガ 

『安倍内閣断固支持!』  

http://blog.mag2.com/m/log/0000123740/

「藤井厳喜」さんの記事を読むと、いまの「日本」がいかに「負のミラー・イメージ」で覆われているのかがよくわかります。一部のマスコミを除いて、「戦後日本のマスコミ」は「国民」を「不幸」にする「有害物質」と化してしまいました。いまの「日本」を救えるのは「一般の国民」しかいません。

[参考]

「道徳」という土なくして「経済」の花は咲かず―日本の復活とアメリカの没落・日下 公人(著)

よく考えてみると、日本の未来はこうなります。・日下 公人(著)

ザ・ウィナーズ・パット・ライリー (著)

ほんとうの社会力―あなたの『力』を知る、伸ばす、楽しむ・辻 秀一 (著)


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2006年10月22日

「ミラー・イメージの法則」

自分はここ最近、「日本式」の「呼吸法」や、「身体」の使い方と同時に、「ミラー・イメージの法則」(自分が与えたもの、発したものは鏡のように自らに反射して返ってくる、という考え方)を導入した生活を心掛け、「バカ」や、「マスゴミ」や、「狂師」などという言葉や、「怒り」の感情に囚われたままで行動することを慎むようにしてきたのですが、それでも「修行」?をはじめて日が浅いことと、「聖者」ではないこともあって、たまに「怒り」が限界点を超えることがあります。

最近では、「安倍政権」が誕生した後に、朝鮮の「核」の脅威や、今すぐに「全国民」が一致団結して取り組まなければならない「国内問題」があるにも関わらず、「民主党」や、「共産党」や、「社民党」や、「左巻きのマスコミ」たちが、「靖国参拝」や、「歴史認識」問題を自らの「エゴ」の為に何度も何度も持ち出している最中に、隅田川沿いの「ホームレス」たちの「家」が大雨で水没している姿を見た時がそうでした。

「国民」の一人ひとりが自らの「理想」を持って、主張し、行動することは本当に素晴らしいことです。

しかし、その行動が「エゴ」にまで発展してしまっては見過ごすわけには行きません。

最近一番見過ごせないのは、自らの「エゴ」の為に形振り構わず「ガセネタ」を垂れ流し、「問題の本質」をずらしている人たちがいることです。

その代表的な例が、「郵政民営化決定で竹中大臣が2兆円、小泉総理が1兆円貰った」というものや、「イーホームズの藤田」などが行っている「耐震強度偽装」に関する「プロパガンダ」です。

「郵政民営化・・・」についてはもう少しマシな「嘘」を考えろよ、で終わりですが、「イーホームズの藤田」たちが行っている「パフォーマンス」(藤田は無責任さと、責任回避を望む心に付込まれたのでしょうが)や、「問題の本質」から「国民」の目を逸らさせる行動は許してはならないものです。

「安倍総理」に対する「印象操作」については、「長期政権の実現」と「現金数百万円」のどちらを取ることが「得」なのか、を考えれば取るに足らないものですが(もしも「現金」を取っていたら本当の馬鹿です)、問題なのは「耐震強度偽装」問題を、「民主党」や、「共産党」や、「社民党」や、「左巻きのマスコミ」のように、「靖国参拝」や、「歴史認識」問題と同様に「利用」している連中です。

「耐震強度偽装」問題について「国民」が本当に考えなければならないことや、やらなければならないことは、「犯罪者」の追及や再発防止だけではなく、「地震対策」について考えることです。

「耐震強度偽装」が発覚して以来、偽装マンションに暮らしている人たちの生活について多くの政治家やマスコミが取り上げました。行政の対応の遅さに対しては自分も批判をしました。しかし、そのようなことは「問題」の入り口でしかありません。

「問題の本質」はどこにあるのか、と言えば、「耐震強度偽装マンション」よりも遥かに「倒壊」の危険性が高い建物が「国内」にたくさん存在していることです。

街を歩けばわかると思いますが、「耐震強度偽装マンションの住人」よりも先に引っ越さなければならない人や、建て替えなければならない建物はたくさん存在しています。自分は、それらの「問題」に対して、「大地震」が発生した際の「損害」や「損失」を考えれば、今のうちに「国債」を発行して徹底的に手を打つべきだと思いますが、そのような「議論」も、「エゴ」と、「私利私欲」に走るだけの「民主党」や、「共産党」や、「社民党」や、「左巻きのマスコミ」たちのせいでまともに為されることはありませんでした。

「政権交代」と「国民の生命と財産」のどちらが大切なのか。

そんなこともわからない連中が「公」に携わっていることがいまの「日本」が抱える一番の問題です。

実は、「民主党」や、「共産党」や、「社民党」や、「左巻きのマスコミ」のような「エゴイスト」たちの問題と、彼らが生み出している「弊害」と「損害」は、冒頭で取り上げた「ミラー・イメージの法則」と大きく関わっています。

細かいことには触れませんが、彼らの存在と、「自殺」や、「ひきこもり」や、「依存症」などの増加は大いに関係があることです。

〜〜〜

「試合するのが楽しいんです」。彼は答えた。「コーチが誰だろうと、なにをやれといわれようと、そんなことはどうでもいいんです」彼はこうつけ加えた。「チームメートが許してくれれば、ぼくはまとめ役をやりたいな」いったい彼はどんな人間なんだ?自分のことを最優先に考えない謙譲の美徳を重んじるプレーヤーなのか?いいや、そうではなかった。彼は、ちゃんと自分のことを考えていたのだ。マジック・ジョンソンの信念はこういうものだった。もし自分が、他のメンバーが望むような試合運びになるよう手助けすれば、おのずと勝利は転がり込んでくる。やがて、時がくれば、自分自身が報われる日もきっとやってくる。彼はそう信じていた」(パット・ライリー)

〜〜〜

「ミラー・イメージの法則」とは「公」のものです。日本風に言えば「和」と言ってもいいでしょう。「公」とは「家族」「チーム」「会社」「地域社会」「国家」などを指します。

「民主党」の「前代表」であった「前原」議員は、「与党とも協力できることについては協力していきます。反対の為の反対は止めます」と言いました。「党」という「私(個、もしくは小さな公)」よりも「国家」という「公」の方が大切だと考えていた、「前原」議員には「ミラー・イメージの法則の精神」があったと言えるでしょう。

それに対して「小沢」「管」「鳩山」「岡田」「田中真」「福島」「志位」や、「加藤」「山崎拓」という政治屋たちや、「左巻きのマスコミ」はどうでしょうか。

「日本」が様々な問題を抱えているのも関わらず国会での質疑の大半を「靖国参拝」や、「歴史認識」問題で費やすような「エゴイスト」たちを支援すれば、「負のミラー・イメージ」が「国民」の「精神」と「身体」をボロボロに破壊しつくしてしまうでしょう。

「自虐教科書」、「土下座外交」、「反対の為の反対」、「誹謗中傷記事」、「不幸の過剰演出放送」、「似非平和憲法」、「似非人権尊重」、「似非男女平等」等々。これらの「負のミラーイメージ」が改善されるだけで、「フリーター」、「ニート」、「ひきこもり」、「依存症」、「自殺願望者」、「ホームレス」をはじめとする多くの「国民」が救われることになります。

「小泉純一郎」が圧倒的な支持を受け、「新庄剛志」選手の人気があるのも、「民主党」や、「共産党」や、「社民党」や、「左巻きのマスコミ」たちが垂れ流す「負のミラー・イメージ」で、「国民」たちが苦しみ、不幸になっていたからでしょう。

>「マジック・ジョンソンの信念はこういうものだった。もし自分が、他のメンバーが望むような試合運びになるよう手助けすれば、おのずと勝利は転がり込んでくる。やがて、時がくれば、自分自身が報われる日もきっとやってくる。彼はそう信じていた」(パット・ライリー)

そんな「日本」を「国民」たちの手で作る時が来ました。

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[参考]

ザ・ウィナーズ・パット・ライリー (著)

ほんとうの社会力―あなたの『力』を知る、伸ばす、楽しむ・辻 秀一 (著)


スラムダンク勝利学・辻 秀一 (著)

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2006年10月21日

「公」で行くのか、「個」で行くのか、「公」と「個」で行くのか、の選択をしなければ「社会問題」は増大する

「クライン孝子」さんと「曽野綾子」さんの共著の「なぜ日本人は成熟できないのか」で「曽野」さんが「西欧」の「ギャラントリー精神(騎士道などに通じる勇気と、女性に対する丁寧な行動)」の実例として自らの「体験」を語っています。

〜〜〜

「障害者の方たちとノートルダム寺院に行った時に、こんなこともありました。ちょうど復活祭にあたってしまって、礼拝堂の中は満員電車みたいだった。私は盲人の方の手を引いていたのですが、祭壇のそばまで行くのも大変だからあきらめようと思っていた。それで、その方に、すごく込んでいてとても前に進めそうにないから、ここで音楽を聴いて帰りましょう、と言って、大きな柱だけに触っていただいて帰ろうとした。その時、道が開いたんですよ。まるで、モーセが紅海を渡ろうとした時に海が二つに割れたように!」

「フランスに限らず、ヨーロッパには、ギャラントリーの精神を持った男性はたくさんいます。イタリアのアッシジにある聖フランシスコ教会にも障害者の方とよく行くんですが、地下聖堂につながる階段は、一段が高くて、何十段も車椅子を持って上がり下りするのが大変なんです。男手が足りなくて、どうしようかと思うことも度々ある。そんな時、必ず守護の天使が現れる(笑)。どこの国の人だかわからない男の人が、ちゃんと手伝ってくれるのです。そして、こちらが(略)何語でお礼を言えばいいのか迷っているうちに、にっこり笑って消えてしまう」(曽野綾子)


〜〜〜

このような光景をいまの「日本」(特に都市)で見かけることは殆どありません。

「優しい西欧」と「冷たい日本」の「社会」の違いはどこから生まれてくるのか。

その違いは「個人主義」に対する「理解」と「成熟度」にあります。

「個人主義」とは存在そのものが「有事」のものであり、「人間」という「自然体」から、「個人」という「不自然体」を強要するものですから、それだけで、「犯罪」や、「自殺」や、「差別」の増加や、「離婚」などによる「家族」や、「地域社会」の崩壊を招き、そこに属している人たちに「不幸」を強いるシステムです。

その最も悪い面ばかりが集まってしまっているのが「戦後日本社会」であり、「ニート」や、「ひきこもり」や、「自殺者」や、「依存症」や、「虐待」や、「犯罪」や、「格差」の増加は「個人主義」が齎したものです。

自分は「個人主義」が生み出している膨大な数の「被害者」を救済する為には、「日本社会」を「個」が主体の形から、「公」が主体の形へと戻さなければならないと考えていますが、そうではなく、現状の「個」を主体とした社会をこのまま続けていく際の対策も考えておかなくてはなりません。

「社会」が何とか機能している「西欧」と、崩壊寸前の「日本」の違いはどこにあるのかと言えば、「本当の強制」の有無にあります。

「個」=「個人」の「決定権」は「個人」にあります。「個人」とは「公」=「人間(公人)」とは違って「単体」ですから、「暴走」を根本的に抑止する手立てはありません。

「公」が「軍隊」や、「武力」を有し、その管理下に置いている場合なら、様々な「人」たちの意見によって「決定」がなされます。その為、「軍隊」や、「警官」などが「暴走」する可能性は少なくなります。だから「破壊力」を有するものに関しては、徹底的に「公」と一体化させ、「個」から切り離す必要があるのです。「豊臣秀吉」が行った「刀狩り」とは、「破壊力」の管理を「個」から、「公」へと移す作業であり、そのことによって「暴力」を「武力」へと発展させ、そこに更に「道徳」をも一体化させることによって生まれたのが「武士道」です。

本当に多くの人たちを「幸福」にする為には「公」=「人間」を主体とする形の社会を選択するしかないのですが、その選択は「日本」のような「恵まれた環境」があったからこそ出来たともいえ、「西欧」や、「シナ」や、「中東」のような「厳しい環境」下では「個人主義」を「成熟」させる以外に選択肢はありませんでした。

そんな「厳しい環境」下で彼らが膨大な数の「犠牲者」を積み重ねながら生み出された知恵が「社会」に「本当の強制(本当の義務)」を導入することでした。

「戒律」や、「刑罰」などを厳守させることから、「愛国心」や、「愛GOD心」や、「愛教祖心」を「強制(義務化)」させるのは、そうしなければ「個」を主体とした社会が生み出す「犠牲者」を減らすことが出来ないからなのです。

そのことを全くわかっていない為に「加害者」となり続けているのが「日本の左巻き」です。

「公よりも個が大切だ!」

と主張するならば、「日の丸」や、「君が代」だけではなく、「西欧」社会が「バイブル」の中で「強制(義務化)」している「愛」や、「生き方」のように、「愛国心」や、「教育勅語」のような「心」の問題への介入も必要となりますし、「少年法」を初めとする「刑法」の「罰則」を更に強化する必要があります。

そこまでやって何とか「個人」を守れるのが「個人主義」ですが、それでも「個人」の「決定権」は「個人」が有していますから、「暴走」する「個人」が出てくることになります。

そこで必要になるのが「防犯カメラ」や、「鉄格子」や、「複数の鍵」や、「保険」などになります。

その結果「個人」の「リスク」や、「負担」は大幅に増大することになり、「個人」の自由が制限されることになり、多くの「犠牲」が生まれるのが「個人主義」なのです。

先日発覚した山口県の「体罰」問題はその象徴と言えます。

〜〜〜
(朝日新聞より)

教諭体罰、生徒が10日間のけが 山口・下関国際高

山口県下関市の私立下関国際高校(吉岡将年校長)で、男性教諭(57)の体罰で1年生の男子生徒が顔や首に10日間のけがをしていたことがわかった。生徒側は20日、県警下関署に被害届を出した。

 同校によると、教諭は物理担当。19日午前10時半ごろ、授業後に廊下で生徒から「気持ち悪い」「あっち行け」などと言われ、言葉遣いを注意するうちに平手で顔をトイレで1発、職員室で3発たたいた。教諭はたたいたことを認め、「反省している」と話しているという。

 一方、生徒側は学校に対し「トイレでは十数発殴られ、首も絞められた」と主張している。

 同校の武田種雄副校長は「指導熱心なだけに手が出てしまったようだ。体罰はいけないことで、今後はないよう指導体制をしっかりしたい」と話している。


〜〜〜

この問題も「個」に基づいた解決方法と、「公」に基づいた解決方法と、「個」と「公」に基づいた解決方法があるでしょうが、問題が一部の「個人」だけではなく、「社会」の構造そのものにあることに対して、「国民」が本当に「危機感」を持たなければ、今後も多くの「罪もない人たち」が「犠牲者」となり続ける社会が変わることはありません(山口の問題に関しては、一番問題なのは「生徒」と「親」でしょうが)。

そのことだけは「個」を主体とした社会であっても、「公」を主体とした社会であっても、共通する「真理」なのです。

「明日は我が身」とならない為には「無関心」であることから改めなければなりません。

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*本日の注目記事

魁!清谷防衛経済研究室

「【全学連】まだいたの? 自己矛盾に気が付かない狂信者達 」

http://kiyotani.at.webry.info/200610/article_20.html

自分が使っている「個人」とはこのような人たちや、いまの「日本」が置かれている状況を考えずに、「靖国参拝」問題を訪中の際に取り上げると宣言した「小沢一郎」のような人物を指します。

[参考]

なぜ日本人は成熟できないのか・曽野 綾子 (著), クライン 孝子 (著)

国家の決断―7つの課題・クライン 孝子 (著)

「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは・李 登輝(著)

日本人の正体・養老 孟司(著)

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2006年10月20日

「憲法改悪反対!」と主張する「エゴイスト」が犠牲者を増加させている

「日本国民」にとっての「最大の脅威」は、「中国共産党」や、「朝鮮」ではなく、「民主党」をはじめとする「野党」や、「左巻き」という「同居人」たちではないのか。

「鳩山由紀夫」のような低レベルな政治家でも、野党第一党の幹事長になれてしまういまの「日本社会」や、彼のような人物に投票するような「国民」がいることは弛んでいるというよりも「異常」だと言えます。

〜〜〜
(読売新聞より)

民主・鳩山幹事長「2回目核実験なら周辺事態認定も」

 【モスクワ=加藤理一郎】ロシア訪問中の民主党の鳩山幹事長は18日夜(19日未明)、モスクワ市内で記者団と懇談し、北朝鮮が2回目の核実験を強行すれば、周辺事態法に基づく「周辺事態」と認定できる可能性があるとの認識を示した。

 鳩山氏は、「国連安全保障理事会で経済制裁決議が全会一致で採択されているにもかかわらず、『宣戦布告』として、2回目の核実験を行った場合は、今回(1回目)とはレベルが違う。その場合は、周辺事態と見ることを否定しない」と述べた。

 一方で、「北朝鮮に厳しく当たりながら、対話で解決できるような環境をどう整備するかに重点を置くべきだ」と外交努力の必要性を強調した。


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「鳩山由紀夫」や、「民主党」に投票した人たちは、この記事の意味を真剣に考えた方がいいでしょう。

「核」の力をコントロール出来なかった場合に生じる「壊滅的なダメージ」については、「幼稚園児」でもわかるでしょうが、「鳩山由紀夫」の「脳」の機能は「一般人」とは違っているのか、「核」の脅威について全く理解していないようです。その「危機意識の欠落」は「阪神大虐殺」を行った「社民党」の「村山富一」に通じますが、「脳」といえば、「養老孟司」さんが「無思想の発見」の中でこのようなことを言っています。

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大家族の家単位だった私的空間が、憲法上つまりタテマエ上は、個人という実質的最小単位まで小さくなってしまったのが、戦後という時代である。そうなると実質とタテマエをなんとか工夫してすり合わせるのが日本人だから、どうなったかというなら、「大きい」家族を、「小さい」個人のほうにできるだけ寄せるしか手がない。その折り合い点が「核家族」になったのでしょうが。

「ひとりでに核家族になったんだろう」

たいていの人はそう思っているはずである。冗談じゃない。そんな変化が「ひとりでに」起こるものか。「ひとりでに」というのは、

「俺のせいじゃない」

と皆が思っているというだけのことである。だって憲法のせいなんだから
」(養老孟司)


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「養老」さんはこの後、「幼児虐待」と「日本国憲法」との関連について論じていますが、「個人主義」の悪影響は、「幼児虐待」だけではなく、「自殺」や、「ひきこもり」や、「ニート」や、「ホームレス」や、「依存症」や、「凶悪犯罪」や、「格差」などの増加と大いに関係があります。

いまの「日本」に存在している「不幸」の大半は、「日本国憲法」のような「エゴイスト憲法」を支持し、「日本」に持ち込んだ連中が生み出したものです。

日本の歴史上、「日本国憲法」ほど多くの「人間」を犠牲にした「法」は無いのです。

そのことを「国民」が理解しない限り、今後も「戦後日本」は不必要な「犠牲者」を生み続けることになります。

「公の軍隊」を否定するということは、「戦車」や、「爆撃機」や、「核ミサイル」や、「テロ」などの「脅威」への対処は「個人」で行え、ということです。「社民党」が行った「阪神大虐殺」や、「オウム」が行った一連の「テロ」は「日本国憲法のエゴイズム」の象徴とも言える出来事です。

「個人」は「GOD」にはなれません。人生において「悩み」、「苦しみ」、「失敗し」、「挫折する」のが「人間」です。だから「日本人」は「和」や、「八百万」を尊び、それぞれの「欠点」を補い合う「社会」を築き上げてきたのです。

「個人」として「子供」を育てること、「個人」として「防犯」すること、「個人」として「生きる」こと等々。そのような「個」を主体とした「戦後日本」や、「欧米」や、「特定アジア」などは必ず行き詰ることになるでしょう。

「日本国憲法」とは「日本人」にとって「最大の公」です。その「最大の公」が「国民」を守ることを放棄している。世界に「個人」を主体とした「集団」は数多く存在していますが、「同胞」を守る為の手段として最も大きな力を発揮する「軍隊」を放棄する、というような「最低な憲法(ルール)」は存在していません。

その「弊害」が、「鳩山由紀夫」や、「民主党」や、「共産党」や、「社民党」であり、「自殺」や、「ひきこもり」や、「ニート」や、「依存症」や、「ホームレス」や、「格差」などの増加なのです。

いまの「日本」に必要な人材は「個」の弱さや、「個」の苦しみを知っている人たちです。

自分が、「フリーター」、「ニート」、「ひきこもり」、「ホームレス」、「自殺経験者」、「依存症」、「学校中退者」、「リストラ経験者」たちが本気で立ち上がれば「日本」は再生すると言っているのは、彼らが「個」の限界を知っているからなのです。

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[参考]

無思想の発見・養老 孟司(著)

希望のしくみ・養老 孟司(著)

日本人の正体・養老 孟司(著)

まともバカ―目は脳の出店・養老 孟司(著)

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posted by スーパー原始人 at 07:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 憲法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月19日

「百人斬り」ほど明確な「冤罪」はない

「合気道」の「養神館」(http://www.yoshinkan.net/)の創設者である「塩田剛三」先生の「合気道修行―対すれば相和す」の中に「師匠」である「植芝盛平」さんの「モンゴル」での「馬賊」との激闘の話があります。

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大正十三年頃、植芝先生は大本教の出口王仁三郎について蒙古に渡りました。早い話が蒙古進出を狙っていた王仁三郎の用心棒としてお供したのです。そして旅の途中、一行を襲ってくる現地の馬賊と何度も闘いました。

 先生は日本刀を振り回して大活躍したらしいのですが、鮮やかに相手を斬り捨てることができるのは、最初の二人か三人だけだそうです。というのは、人間の体の脂肪というのは我々が思っている以上にすごいらしく、それが刀にベッタリとついて、たちまち斬れなくなってしまうんだそうです。

 そうなると、あとはもう突きしかありません。ただひたすら突きで敵を倒し続けたということです。 だから、時代劇で次から次に人を斬っていくのは、あれはあくま