2006年12月31日

「エゴ」をコントロールすることが「来年の日本」の課題だ

「人類史上最強の男」と言われ、「レスリング」界に数々の伝説を残した「アレキサンダー・カレリン」は、「リーダーシップとは認められたエゴイズム」だと言っています。

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「リーダーシップというのは認められたエゴイズムだね。マットに上がって勝ち、ベストになるチャンスを他人から奪う。そして他人のスポーツにおける出世を破壊したりする。とくに勝ち続ける期間が永すぎるとそういうことになる。ということは私は長すぎたエゴイストなわけだ」(カレリン)

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「人」は誰もが「エゴの種」を宿して生まれてきます。「エゴ」は、「アメ」として、「ムチ」として、「人」が「前(未来)」へ歩みを進める為の「原動力」になるものですが、「力」とはどんな時でも「諸刃の剣」となるものです。「ボクサー」が鍛錬によって身に付けた「パンチ力」で、「自らの拳」を壊してしまうように、「エゴの力」も使い方次第では「自らを滅ぼしてしまう原因」となります。

「エゴの力」が本当に恐ろしいのは「正常な価値観」を喪失させてしまうことです。「人の価値(モノの価値)」は「等価」ではありません。そのことはプロスポーツ選手の「年俸」や、芸能人の「ギャラ」などを見るまでもなく、「日常生活」において「商品の値段」を見れば一目瞭然です。

そのような「価値差」があることは「自然」なことであり、ありのままの「価値差」を認め、受け入れてあげることは「存在の承認」と同じです。

逆に「価値差」を認めずに、「差別をするな!」、「平等を実現しろ!」などと主張している人たちは、「この世の中にあるすべての存在を否認」しているのと同じです。

「この世の中にあるすべての存在」はそれぞれが「全く違った存在」として生まれてきます。そのことをありのままに受け入れるのが「八百万の思想」であり、拒絶し、自然の摂理に逆らい、破壊しようとするのが「GODの思想」です。

「GODの思想」を生み出したのは、「人」の中に宿っている「エゴの種」です。

そのことを誰もが「カレリン」さんのように「認識」していたならば、「世界」にいまのような「不必要な不幸」は殆ど存在していないはずです。

しかし、「世界」にはそのような「真理」を忘れてしまっている人たちが溢れています。

「スターリン」や、「ヒトラー」や、「ポル・ポト」や、「フセイン」や、「金正日」や、「中国共産党」や、「日本の左巻き」や、「フェミニスト」などはその象徴です。

「公よりも個の方が大切です!」

などと声を荒げている人たちは、「自己」を虐げ続けることによって、「自己を喪失」してしまった悲しい人たちなのです。

「公」はその上位に「特定の個」を置かない限り「人類」だけではなく、「自然」や、「動物たち」にも「恩恵」を齎しても、「害」とはならない存在です。

いま、「人類」が、「人類」から絶対に切り離すことが出来ない「エゴ」とどのように向き合い、付き合って行くのかということは、「人類」だけの問題ではなく、「地球全体」の問題となってしまっています。

「カレリン」さんは、「レスリング」のトレーニングを積み重ねる中で「身体」が「在る状態」を手に入れ、「エゴ」をコントロールする術を身に付けたのでしょう。

「エゴ」をコントロール出来ていない人たちが、「差別を無くせ!」、「平等を実現しろ!」、「憲法九条を守れ!」、「無防備都市の実現を!」をと叫んでも、「GODを全人類に!」、「共産主義を世界に!」、「グローバルスタンダードの確立を!」と叫んでも、そんなものは逆に「世界」の「平和」と「秩序」を乱すものでしかないことは、既に多くの人たちが実感しているはずです。

「戦後日本」だけではなく、「ここ数千年間の人類社会」そのものの大半は「平和」を実現する為に「不必要」なものであった、と考えて、思い切った「思想転換」を行わなければ、「世界」は近いうちに「壊滅的」なダメージを追うことになるでしょう。それは恐らく「局地集中的」に始まり、「環境」、「食料」、「経済」、「エネルギー」などの問題へと波及し、「世界全体」へと広がる。その時「エゴ」をコントロール出来ていない「人」たちは・・・。

そんな「悲惨な未来」を避ける為にも、来年の「日本」は、「エゴ」を超えた視点を持って実りある一年を送るべきでしょう。

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[参考]

集中力―テストとトレーニング・ R.M. ナイデファー, R.C. シャープ(著)

子どもの集中力を育てる・齋藤 孝(著)

自分を変える魔法の「口ぐせ」―夢がかなう言葉の法則・佐藤 富雄(著)

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2006年12月30日

「日本再生」は「日本人の心の再生」から始まる

「某居酒屋」のエリアマネージャーが、「社長の「祖国」がどこだか知らねぇけど、商売に私情(祖国キャンペーン)を持ち込んで売り上げを下げたくせに、俺らに責任を押し付けられたらたまらねぇよ・・・」と嘆いていました。

彼らはなぜ「他人」のことを考えることが出来ないのでしょうか。「パチンコ」という「違法賭博」を「日本」だけではなく、「アジア」にも広め、「脱税」や、「不正送金」を繰り返し、「核開発」や、「麻薬密売」や、「テロ」や、「拉致」を支援しただけではなく、数百万人もの「同胞」の「虐殺」に手を染め、「サラ金」で「借り手」がどんなに苦しんでいようが、追い込まれていようが、全く気に留めることなく、「自殺させる」という「殺人」を行ってまで「私利私欲」を満たすことだけを考える。

町中に貼られている「ピンクチラシ」も、不法に貼り付けられた「金融看板」も、彼らの「エゴ」を象徴しているのか、「美しい国・日本」を「醜く」破壊している。

「誹謗中傷」、「レッテル張り」、「冒涜」、「差別」、「傲慢さ」・・・彼らと交流することは「日本人」にとってプラスなのでしょうか。

「人」の「脳」は、自らの口から出た「悪口」だけではなく、他人の口から出た「悪口」にも「汚染」されてしまうように出来ています。「汚染」された「脳」は、「汚染」された「心」と、「身体」を作ります。

最近、何かと問題がある「有害ネット言論を規制しろ!」という声が日に日に強くなり、来年からはいよいよ「規制(=言論統制・言論弾圧の要素が強い)」が開始されることになりました。

だが、ちょっと待っていただきたい!と、どこかの「大新聞」のように突っ込ませてもらうと、「有害ネット言論」がどうのこうのと言う前に、日頃から、自らや、特定アジア人たちの「日本」に対する「有害・暴力」発言や、行動を一方的に垂れ流すだけではなく、「他人の不幸」を「過剰演出」で面白おかしく報道し、「政権政党」や、「右巻き」に対して「誹謗中傷」や、「レッテル張り(根拠が無い)」を繰り返し、「有名人(犯罪被害者なども含む)」だからと言って、踏み込んではならないであろう「プライバシー」の問題にまでズケズケと土足で踏み込んでいるあなたたちが「モノを言う資格」があるのかと。

その他にも「世論調査」という「宣伝工作」を行い、「国民」たちを「誘導」しようとする「愚行」も含めて、いまの「日本人」は、「隣人」や、「マスコミ」を通じてあまりにも多くの「有害情報」や、「有害思考」や、「有害行動」にさらされ続け過ぎてしまっています。

これから「汚染された社会」をどのようにして「浄化」していくのか(もちろんネットも含めて)は、これからの「日本人」にとって非常に大きな課題です。

「いじめ」や、「自殺」や、「虐待」や、「犯罪」や、「ひきこもり」などを増加させているのは誰なのか。「日本人の敵」は「日本」の中に数え切れないほど存在しています。

そのような「社会」を変えていく為には、「公の精神」だけではなく、「ありがとう」という言葉と、その心なども「国民」たちに、入り口では「強制力」を更に強化した形で教えていくしかないでしょう。

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[参考]

自分を変える魔法の「口ぐせ」―夢がかなう言葉の法則・佐藤 富雄(著)

「願う力」で人生は変えられる―心からの願いと「内なる力」を知るスピリチュアル・ルール・アラン コーエン(著)

ほんとうの社会力―あなたの『力』を知る、伸ばす、楽しむ・ 辻 秀一(著)

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2006年12月29日

「個人」と「歴史」のどちらが大きいのかをわからない人たちの「害」

「世界」には「エゴ」によって「歴史の真実」を捻じ曲げ、「ご先祖様たち」を「冒涜」し、「現代」に「争いの火種」を撒き散らしても何とも思わない人たちがいます。

彼らの大半は「個人主義者」であり、「単一化文化(GOD文化)」の中で育った人たちですが、「世界」に、不必要な「戦争」や、「テロ」や、「差別」や、「環境破壊」などが溢れ、多くの「犠牲者」たちが日々生まれ続けているいま、「エゴから切り離された歴史」を「人類」が共有するということは、「世界」に「平和」と「安定」を齎す上で不可欠なことです。

我々「日本人」は、この「地球上」で最も「恵まれた」部類に入る「生活環境」の中で、数万年もの月日をかけて「日本文明」を築き上げてきました。

「日本文明」は、「世界」で最も「多層的」で、「重層的」で、「非絶対的」な「文明」です。

「歴史」とは「特定の個人(GODや、独裁者)」のものではなく、「この世の中に生を受けた全ての人たち」のものです。

だから、自らが「共産主義者」であるからとか、「キリスト教徒」であるから、という視点に立って書かれた「歴史書(自称歴史書)」などは、本来ならば「歴史」と言えるものではなく、「自叙伝」や、「回想録」や、「入門書」や、「妄想日記」などと呼ぶべきなのです。

そのような視点に立って見れば、「日本の左巻き」や、「中国共産党」や、「金正日」の、「妄想日記」や、「自叙伝」を無理やり「勉強」させられている「日本人」や、「特定アジア人」とは本当に「哀れ」でしかありません。

「人類」にとって「歴史」とは「核兵器」よりも遥かに恐ろしい「凶器」です。

「凶器」としての「歴史」とどのように向き合い、制御していくのかは、「世界」を「平和」にする為に避けては通れない道なのです。

「歴史の歪曲・捏造」を一つ一つ潰していく行為は=「平和」へと繋がる「道」と言えます。

現在「世界」で最も「単一化」していない「歴史」が存在しているのは「日本」です(教育だけではなく、書籍なども含めて)。そんな「日本」と、「日本人」には、「日本」と、「世界」の「平和」の為に、「歴史の歪曲・捏造」や、「歴史の私物化」を潰していく「義務」があります。

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(朝鮮日報より)

「日帝が軍国主義なら英国は自由主義的帝国」

ニール・ファーガソン教授インタビュー(上)

(略)―帝国になるための英国の努力が奴隷貿易、植民地弾圧、西洋文明の強要といった傷跡(きずあと)を残した。それにもかかわらず、ファーガソン教授は大英帝国の歴史的役割を非常に肯定的に評価しているのはなぜか。

 「現在の自由貿易市場の土台は19世紀の大英帝国が築き上げた。わたしはそれを“アングロバリゼーション(Anglobalization/英国式地球規模化)”と命名した。アダム・スミスが『国富論』を通じて主唱した経済秩序は、英国の政治的、法的、制度的システムでなければ伝播(でんぱ)することはなかっただろう。代議制民主政治も英国が帝国化し、世界に伝播した」

 「また、英国がなかったならば、第2次世界大戦の結果も変わっていたはずだ。ドイツと日本が勝利したとすれば、日帝の植民地だった韓国の苦痛はさらに長く続いただろう。ドイツのナチズム、日本の軍国主義と比較してみたとき、英国は自由主義的帝国(Liberal Empire)だった」


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このような「個人主義史観(エゴ史観)」を持った人物や、それを持ち上げる(利用する)人物は、「世界平和」を実現する上で大きな「障害」としかなりません。

「世界平和」を実現する為にも、彼らのような「歴史」を「私物化」する人たちが現れた時には、その「明らかに史実に反する箇所」や、「偏向し過ぎている箇所」について、即座に潰しておく必要があります。

>ドイツと日本が勝利したとすれば、日帝の植民地だった韓国の苦痛はさらに長く続いただろう。

「結果」とは「原因」があって初めて存在するものです。従って「歴史の結果」について考える際はまず「過去」に遡り、「過去」と「現在(過去においての現在)」とを対比し、その後で「未来」を検証しなくてはなりません。

「日帝」の植民地(この考え方自体がすでに間違っているのですが)となった「韓国」が苦痛を受けたと言うのならば、「日帝以前の韓国」=「李氏朝鮮」の時代との対比によって、本当に「苦痛」は増したのか、を考える必要があります。

では、「歴史の真実」はどうだったのでしょうか。

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「朝鮮の両班階級が成立して以来、すでに十六、七世紀を数える。(略)両班階級の人口が途方もなく増加したため、彼らのほとんどが極貧に陥り、強奪や搾取で生活しなければならなくなった」

「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕らえさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民たちから田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守礼は、一人もいない」(ダブリュイ)

「私は、十分に耕せそうな土地をほったらかししていながらも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。「どうしてそれらの土地を耕さないのか」ときいたところ、「耕せば耕すほど、税を取られるだけだ」という返事があった」(マッケンジー)


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「ニール・ファーガソン教授」や、「韓国人」や、「朝鮮人」や、「日本の左巻き」たちの主張によれば、「日帝」はこれ以上の「苦痛」を与えたことになりますから、そこは正に「李氏朝鮮という地獄」以上の「地獄」だったのでしょう。

では「歴史の真実」はどうなのか。

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「伊藤統監によって、韓国人は暗黒時代より光明世界に導かれ、未開時代から文明時代へと進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命、財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において2年間に2倍の進歩を遂げた」(ハリス)

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彼らの主張に「真実」が含まれていたとしても、「それだけが真実ではない」ことは明白です。

彼らの「嘘(偏向した考え方)」が無ければ、どれだけ多くの「無駄な争い」を削減できたのか、を考えると、自らの「エゴ」に基づいて「歴史」を一方的に「歪曲・捏造」する人たちの存在を許してはいけない(許すべきではない)理由がよくわかるはずです。

次に、

>日本の軍国主義と比較してみたとき、英国は自由主義的帝国(Liberal Empire)だった

という部分について検証してみましょう。彼らの主張によれば「戦前の日本軍」は「人類史上最悪の鬼畜」だったそうです。

では、「歴史の真実」はどうなのか。

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「ソウルだけでも、現在数千の日本軍兵士が城内と郭外に駐屯していますが、彼らへの抗議はあったためしがありません。彼らの規律は他の範となるべきものです」(アーソン・グレイブスト)

「軍に規律があり、仕事に秩序があり、各人各々その目的を了解し、粛然として義務に服し、厳乎として警戒に任じ、いささかもきょ傲不遜の振舞いがなく、まことに見上げた日本軍であった」(ビショップ夫人)

「一八九四年(明治二十七)年、朝鮮半島を舞台に戦われた日清戦争の当時の状況を書いた歴史書です。当時、朝鮮人に大変尊敬されていた学者が書いた本で、そのなかに日清戦争当時の日本軍と清軍の違いが克明に描かれています。 日本軍は朝鮮半島に上陸して戦闘しました。日本軍に敗れた清軍は退却するとき、村々で略奪をし、女性を陵辱したのです。そのため、清軍が通った村にはなにも残されていませんでした。 それに比して当時の日本軍は、略奪や陵辱をまったく行わなかったのです。日本軍は食料を持参し、村落にはいっつさい被害を与えませんでした。 大陸の戦争では、清の軍隊のような行いが普通であって、村を通ると略奪・陵辱を行うので朝鮮の人たちは軍隊を嫌っていたわけです。ところが日本軍は通過するだけで略奪・陵辱をしなかったので、「日本軍はおかしな軍隊だ」と書いてありました。当時の朝鮮人には、日本軍は奇異に映ったのでしょう」(キム・ワンスプ)


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「軍国主義」と「自由主義的帝国」という対比の仕方自体が、どうなのかな・・・と思いますが、仮に彼らの主張するように「日帝」が「軍国主義国」だったとしても、「軍国主義」=「悪」と決め付けるのには問題があり過ぎるのは間違いありません(それは当然、共産主義や、資本主義などにも当てはまります)。

このように「冷静」に「歴史」を振り返って見ると、現在、我々が抱えている「歴史認識問題」なるものがいかに馬鹿らしいものなのか、「日本は正しい歴史認識を持て!」「日本は歴史を捏造するな!」などと叫び狂っている人たちが、いかに「異常」で、「エゴイスト」なのかがはっきりとするはずです。

では、我々はどのように「歴史」と向き合い、学ぶべきなのでしょうか。自分は「日本」と「コリア」の関係については、ここまで取り上げてきたような「歴史の真実」と向き合った上で、「当時のコリア人」たちのこのような「気持ち」も理解できる「日本人」を育成するべきだと思います。

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「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国としての対面を保つことはできない。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして日本は朝鮮を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外にわが朝鮮民族が豚の境遇から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない」(李成玉)

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「歴史」が「公共性」を取り戻した時。それが「世界」が「平和」と「秩序」を取り戻す時、でもあります。

いま「日本人」が行うべきことは、「世界」に先駆けて「公共性」のある「歴史」を再生させることでしょう。

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[参考]

これだけは知っておきたい日本・中国・韓国の歴史と問題点80・竹内 睦泰(著)

嫌韓流ディベート 反日国家・韓国に反駁する・北岡 俊明(著)

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2006年12月28日

「歴史」の大きさ

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「日本では、敗戦のその年に帝国議会が開かれ、戦争責任ということが議題になったのだが、それはもっぱら敗戦の責任であり、しかもそれは国民責任論だった。いわゆる「一億総懺悔」である。しかし、占領軍が戦犯の逮捕を次々と実行に移すと、議会はコロリと一転して指導者責任論に傾いた。つまり、東京裁判によってもたらされたのは自虐史観だけではない。「侵略戦争」とか「戦争責任」とかいう基本的概念そのものが、実はアメリカの設定した侵略戦争違法観と指導者責任論をそっくりそのまま鵜呑みにしたものなのだ」(佐藤貴彦)

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「シナ事変」から「70年目」の来年は様々な形で「反日」=「日本破壊工作」が行われことは間違いありません。

そして「日本」は、「大東亜戦争」の時と同じく「敗北」することになるはずです。

その理由は、「日本」が、「大東亜戦争」から60年以上もの月日が経ったにも関わらず、「戦争」によって受けた「怪我」や、「トラウマ」や、それに伴う「後遺症」や、「障害」を克服できていないからです。

「健康」な状態の「日本」は計り知れないほどの大きな「力」を持っています。自分は、「日本」が「本来の力(文化や、伝統の力など)」を発揮できれば、「国内問題」だけではなく、「国際問題」の大半は解決できてしまい、数十年以内に「世界」は「平和と言える状態」を数千年ぶりに取り戻すことが可能だと考えています。

「世界はなぜ平和ではないのか」

答えは簡単です。

「公の精神を持ち合わせていない人類がたくさんいるから世界は平和にはならない」

のです。「個」や、「私」の先には「エゴ」しかありません。だから「私利」、「私欲」、「私闘」、「私語」は際限なくぶつかり合い「不必要な犠牲者」が絶えず生まれ続けることになるのです。

「武力」と「暴力」は違う、「斬る」と「殺す」は違う。

前者と後者の違いは主に「精神制御の有無」にありますが、「力」というものは、それを「行使」する際に「正常」でいられる者だけが「制御」できるものです(脳内物質の影響の前にも我を失わずに)。

「人」や、「動物」などを「傷つける」時に、「心神喪失」や、「気が狂っていた」や、「我を忘れる」ような人には「力」を「制御」することは不可能です(その方が一見すると「人間らしい」といい評価を受けるのですが)。

「特定アジア人」や、「GOD信者」や、「日本の左巻き」のように、「力」を行使する際に「狂い」を必要とする者たちには、「世界」を「平和」にする「力」も、「安定」させる「力」も無いのです。

「歴史とは誰のものなのか」

「米国」、「中国共産党」、「日本の左巻き」?

彼ら(自己)とは「歴史」の前では「カス」みたいなものです。数百万、数千万、数億、数兆・・・もっと言えば、「∞」の存在の「集合体」である「歴史」を、「私物化」できるのだと考えるような「大馬鹿者」がいなくならない限り、「人類」は「正気」を取り戻すことは出来ないのです。

そのことに気付ける人たちが最も多いのは「日本人」でしょう。「歴史」を「私物化」出来ると思い込んでいる、「特定アジア人」や、「日本の左巻き」がいかに「愚か」なのか、「冷静」になって考えれば直ぐにわかる、そのようなことをもう一度真剣に考えることから「平和」は生まれることでしょう。

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[参考]

本当は恐ろしい「平和」と「人権」というファシズム・佐藤 貴彦(著)

子どもの集中力を育てる・齋藤 孝(著)

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2006年12月27日

「教師」の質=「国民」の質

「公」が「個」を「規制」する「社会」は成立するが、「個」が「公」を「規制(侵害)を」する「社会」は成り立たない。

「教育」における、「公」と「個」との関係を「自動車」に例えるならば、「公」は「交通ルール」で、「個」は「自動車と運転手」になります。そのように世の中を見たならば「学校」とは「自動車教習所」で、「教育」とは「運転免許講習」になります。

「義務教育」とは「普通免許」を取得する行為であり、それ以上の「大学」や、「専門学校」や、「道場」や、「塾」などでの教育(学習)は、「二種免許」や、「大型バイク」などの「免許」を取得するのと同じです。

ここまでの段階すら成り立たせることが出来ていないのが、いまの「日本」の「教育」なのです。

「自動車免許」を取得するには「交通ルール」を知り、守ることが求められます。そのことを「筆記」と、「実地」試験を経て、問題なし、と認められたものだけが「公道」を走る「権利」を得ることが出来るのです。

「公」の前では誰もが「平等」です(平等でなくてはならない)。

「個人的」に「制限速度は60キロだけど、120キロでいいや」、「飲酒運転は禁止されているけど、俺には関係ない」、「赤信号だけど、無視していいや」というような考え方は絶対に許されません。

また、各「公」(国や、地域)によって違うルール(右側走行や、左側走行など)にも絶対に従わなくてはなりません。

そのような「公」のルールを破る人たちが出てしまうと、「交通事故」が多発して「犠牲者」が増加したり、「交通渋滞」が起こって「個」の進行が大きく阻害されることになってしまいます。

「日本の左巻き」は、「公を尊重すると個が犠牲になる!」とよく主張していますが、「公」は=「個」とならない限り、「個」にとってプラスになってもマイナスにはならないものです。

昨日、「台湾」で大きな地震がありましたが、地震の際の「お・か・し(押さない・駆けない・しゃべらない)」なども、「個」を守る為の「公」です。

そのようなことをしっかりと理解していない人たちは「指導員」=「教師」の資格はないのです。

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(朝日新聞より)

赤丸に斜線のブラウスで入学式へ 都教委処分に適法判決

東京都立大泉養護学校で02年、赤い丸に斜線を引いたマークの入ったブラウスを着て入学式に出席し、「日の丸に反対している」として戒告処分を受けた渡辺厚子教諭(56)が都教委に処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決が26日、東京高裁であった。原田敏章裁判長は「国旗掲揚などに反対する意思を積極的に表明し、式の円滑な進行を妨げるおそれがあった。教育の統一的な運営に対する保護者や住民の信頼を害する」と述べ、処分を適法とした一審・東京地裁判決を支持。原告側の控訴を棄却した。

 判決によると、渡辺教諭は白いブラウスの右胸につけたマークを理由に校長から上着を着るよう職務命令を受け、従わなかった。都教委は同年11月に職務命令違反を理由に戒告処分とした。


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このような「指導員」としての資格が無い「教師」に指導を受けた「生徒」がどの様になってしまうのかは、最近の「社会」を乱している「若者たち」の姿を見れば一目瞭然でしょう。

「日教組教育」や、「自虐教育」とは、「自動車教習所」で「暴走族」や、「アル中」の「指導員」が「生徒」を指導しているのと同じなのです。

「教育」を一日でも早く「再生」しなければならない理由は、このままでは「社会」=「公」そのものが壊れてしまうからです。

「指導員」=「教師」の「質」は=「生徒」の「質」です。

「左巻きの教師」や、「公を尊重できない教師」や、「指導員としての技術を持ち合わせていない教師」の資格を取り上げることが「国民」を救います。

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[参考]

ザ・ウィナーズ・パット・ライリー(著)

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2006年12月26日

「時間感覚」が狂った人が「現在」を破壊する

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(時事通信より)

「クリスマスの執行残念」=死刑廃止議連が会見−東京
 「死刑廃止を推進する議員連盟」の福島瑞穂社民党党首らは25日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見し、「クリスマスに死刑が執行されたのは残念だ。年末のばたばたの中で執行するやり方は改善されるべきだ」と訴えた。


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「福島瑞穂は狂っている」。と言っても「頭が狂っている」というわけではありません。彼女が狂っているのは「時間感覚」です。

「時間感覚」の狂いとは、「時間と完全に一体化している生物や植物」の中で、「特異な脳」を持った「人類」だけに生じる病で、この病に冒されてしまった人は、必ず「現在」を「破壊」し始めます。

この世の中には「過去」に対する「選択権」や、「介入権」を持った者は存在しません(実際の過去を変えることは今の時点では不可能です)。

そのことを理解している人は、「現実(真実)」を受け入れ、「理想の未来」を描き、「現在(いま)」を「前向き」に、精一杯に生きることが出来ます。

「日本文化」の、「水に流す」や、「あっさり」や、「潔さ」などは、「正常」な「時間感覚」が生み出したものです。

しかし、「時間感覚」が狂ってしまった人は、常に、「愚痴」をこぼし、「責任転嫁」をし、「他人を憎しみ」、「エゴ」で罪もない人たちを弾圧し、傷つけてしまいます。

「金正日」や、「中国共産党」が、「過去」を改竄し、罪もない人たちを傷つけ続けていることなどがその典型です。

彼らは、「過去」→「現在」→「未来」という「正常」な「時間感覚」が狂ってしまっているから、「自己」がいまここに「存在」している理由である、「過去」という「存在」に「感謝」の気持ちを持つことが出来ずに、「暴走」をし続けてしまうのです。

「福島瑞穂」さんの「思考回路」も同様のものです。

「いまの自分が日本人を嫌いだから」

「いまの自分が大東亜戦争を間違っていると思うから」

「いまの自分が昔の日本人の人権意識が気に食わないから」

「いまの自分が売春に反対だから」

「現在」に存在する「福島瑞穂」がそのようなことを考えようと、「過去を生きた人たち」にとっては全く関係が無いことなのです。

例えば「現在」は「売春」が犯罪であったとしても、「売春」が「合法」であった時代に「売春」を行った人の「評価」は変わりませんし、変えてはいけないのです。

「過去」=「歴史」を「現在」に活用する時に大切なことは、「過去」の全てを「肯定」「尊重」した上で、「批判」や、「否定」を行うことです。それが「過去」があるおかげで「現在」に存在している者たちの「最低限の礼儀」でしょう。

「福田和也」さんは、「歴史を参照する理由」についてこのように言っています。

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「過去というのは、今の私たちとは隔絶した空間です。過去の時代に生きた人々が何を考え、何を目指し、何に悩みながらこのような行動をとったのか、と問うことは、まさしく自分の意識とはまったく異質で断絶した領域を実感し、体験することなのです。

 過去を顧みることによって、現在の自分が認識していない、あるいは感知していない事物と触れ、それを眺め、観察する。こうした経験を通して、認識を拡大し、異質な思考を経験することで思惟の柔軟性を高めることができるのです」(福田和也)


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「エゴ」ばかりに走ってしまっている「現代人」に足りないのはこのような視点でしょう。

「死刑になった人」には、「結果」以前に「原因」=「過去」があるはずです。それは「大東亜戦争」も、「いじめ」も、「結婚」や、「離婚」なども同様です。

「戦前の指導者は負けた戦争をしたからいけないんだ!」

そのような主張をする人がいれば、「努力」や、「頑張り」という言葉はいらなくなってしまいます。

「野球」の試合で「アウト」になっても、「全力」で走った人と、途中で諦めて走るのを止めてしまった人の「価値」は同じではないはずです。

「結果」ばかりで「評価」をされて育った子供の「成長」は、「原因」=「過去」に対する「評価」も受けて育った子供たちよりも止まりやすい、ことは多くの学者たちが指摘しています。

いま「日本人」に求められるのは、「死刑になった人には、過去にその理由がある」という考えを更に深化させることが出来る「日本人」を育てることです。

「なぜあの人は人を殺してしまったのだろうか(犯罪を犯してしまったのだろうか)」

そこまで考えることが出来る「日本人」が増えた時、「日本」は「戦前」のような「素晴らしい国」へと再生するでしょう(そのような思考が出来ない人物が、弁護士になれてしまう戦後日本は、異常としか言えません)。

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[参考]

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法 2・福田 和也(著)

ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法・福田 和也(著)

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2006年12月25日

「民主党」=「民主党に所属している人たちの為だけの政党」

「素晴らしい政治を行ってくれれば、自民党でも、民主党でも構わない」

それが大多数の「国民」たちの本音でしょう。「その他の野党支持者」たちとは違って、「主語」ではなく、「述語」に基づいて、「適時適正」な判断を下せるのがいまの「日本人」です。

「主語」を主体として「判断」を下している人は、「平和」や、「安定」や、「秩序」を、「社会」に齎すことは出来ません。

「戦争」について考える時に最も大切なことは、「日本」や、「米国」や、「ドイツ」や、「中国」などの「主語」よりも、「戦争」や、「虐殺」や、「弾圧」などの「述語」を主体として考えることです。

その作業を真っ先に行った上で「自らの所属している共同体(国)」を次に考え、その次に「その他の共同体」のことを考えた時、「社会」は最も「健全」な形で成立することになります。

一番「最悪」な考え方は、「日本」=「悪」、「日本人」=「悪」などのように「主語」に評価を下し、「自らの所属している共同体」よりも「その他の共同体」を優先する人たち(日本で暮らしていながら反日活動をしている人たちや、工作員など)です。

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(時事通信より)

安倍内閣継続、民主に有利=渡部民主最高顧問

民主党の渡部恒三最高顧問は24日のテレビ朝日の番組で、安倍内閣の支持率低下に関し「民主党にとっては、このまま安倍晋三首相がやって無責任な発言、国民から見れば頼りない発言をどんどんしてくれればいい」と述べ、安倍内閣の継続が同党の参院選勝利につながるとの見方を示した。 

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「民主党」の「渡部恒三最高顧問」は、「民主党」の中だけではなく、現在の「政界」の中でも数少ない、しっかりとした「公の精神」を持ち合わせている人だと思います。だからこそ、このような発言は慎むべきです。

>「民主党にとっては、このまま安倍晋三首相がやって無責任な発言、国民から見れば頼りない発言をどんどんしてくれればいい」

「民主党」がどのような考えを持っていようと、現時点で「日本の政権を担当している」のは「自民党」です。その「自民党」が「沈んで」しまうと、「不幸」になるのは「国民」たちです。

「国民」たちが「本当に幸せ」になる為には、「与党」も、「野党」もしっかりとして頂かなくては困ります。

「野球」や、「サッカー」などを観に行く人たちが「ダメなチーム」と「ダメなチーム」の対戦を望んでいないように、「国民」は、「ダメな政党」と「ダメな政党」の対決をなど観たくは無いのです。

そのことがどれだけ「国民」を「不安」にしているのか、「与党」や、「野党」の議員たちだけではなく、「マスコミ」関係者もよく考えるべきでしょう。

「批判」が「批判」の範囲を超えて、「誹謗中傷」や、「レッテル張り」にまで発展してしまえば、「政治」や、「報道」そのものに対する「不信感」が高まり、それはいずれ「日本国」や、「日本人」、そして最終的には「自己」に対する「不信感」や、「嫌悪感」にまで発展してしまうことになってしまうのです(それが目的だと言う人もたくさんいるでしょうが)。

「自滅」ほど愚かな行為はありません。「政治家」や、「マスコミ」関係者には「第三者的視点に立てる冷静なもう一人の自分」を持つことが求められます。

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[参考]

望みがかなう人は楽天思考・佐藤 富雄 (著)

いい言葉は、いい人生をつくる―いつも私は「言葉の力」を味方にしてきた・斎藤 茂太(著)

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2006年12月24日

「反する」ことが「人生の目的」となってしまっている人たちの害

いまの「世界」の「政界」に必要なのは「オトコ女(脳は男性、身体は女性。もしくは男性的思考の女性)」ではなく「女性」です。

世界では多くの「女性団体」などが、「女性の社会進出調査」なるものを行い、「会社の役員の女性比率は・・・」「国会議員に占める女性比率は・・・」という「数字」に基づいて、「社会」に対する評価を下して、「女性の社会進出を更に進めるべきだ」というような提言を行っていますが、彼ら(彼女)たちに欠如しているのは、「心」や、「感情」や、「思考」が宿っている「身体」や、「脳」に対する配慮です。

「魚」が陸上では生活できないように、「獣」が水中では生活できないように、「女」と、「男」にも「適正」、「不適正」があります。

そのことは「人類」が「数百万年」もの長い間、もっと大きな視点で見れば「数十億年」もの長い長い年月をかけて築き上げてきたものであって、それに比べれば「チリ」以下の存在である、「ジェンダーフリー」や、「フェミニズム」を信奉する人たちが、どのように考えようと、覆すことは不可能な「真理」なのです。

「脳」の学者や、研究者によれば、現在の「男女の機能(身体と脳)」を根底から覆すには、「ジェンダーフリー」や、「フェミニズム」による「拷問」や、「虐待」を、「3万年」から「20万年」以上に亘って受け続けなければならないそうです(遺伝子操作を行えば話は別でしょうが)。

「女性(男脳・女身体、女脳・女身体)」が「活躍」出来る領域が増えることは素晴らしいことです。しかし、その為に「人類」が「数百万年」もの長い長い年月をかけて切り開き、築き上げ、獲得してきた領域を、急激に「破壊」するという行為は「愚行」としか言いようがありません。

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(朝日新聞より)

「日本の女性大変でしょう」 大統領候補のロワイヤル氏

「日本の女性は大変でしょう」。社会党の仏大統領候補セゴレーヌ・ロワイヤル元環境相が22日に会談した福島瑞穂・社会民主党党首に、日本女性の立場を気遣う発言をした。かつて「女性を虐げている」と日本のマンガを批判したロワイヤル氏だが、差別イメージはなかなか抜けないようだ。

会談でロワイヤル氏は「日本の女性が置かれている立場は難しいと思うが、どうか」「マンガの女性表現の問題は」と質問した。

 訪日45回を数える大の親日家シラク大統領とは対照的に、ロワイヤル氏は家庭・児童担当相として1度訪日しただけ。男性優位の仏政界でもまれてきただけに性差別には敏感で、和製アニメ・マンガを批判した89年出版の自著では「日本社会は暴力とポルノに寛容」と形容。このため大統領に当選したら、日仏関係が冷え込むとの懸念が日本政府には強い。


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この会談を行った「二人の女性」は将来、「人類」の存在にとっての「破壊者」のリストに名を連ねることになるでしょう。

これからの「世界」に必要な思想は、「男」と「女」を「分離」したり、「対立軸」として捉えたものではなく、「人間」がこれからより繁栄していく為には、どのようなことに取り組むべきなのか、を考えるものです。

「行き過ぎた男女共同参画」とは、「仕事」も、「家事」も、「育児」も、「教育」も、「政治」も「素人」が行う「社会」で、「各分野」から「職人(プロ)」がいなくなってしまうと言うことは、「人類の未来」である「子供」たちの「質」の低下を招く、「人類の存亡」に関わる重大な問題なのです。

いま「日本人」が真っ先に取り組まなければならないことは、「思想・信条」の自由だけではなく、「脳」や、「身体」の自由までもを奪ってしまう「思想」や、「制度」を変えることです。

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「ロワイヤル」大統領候補の

>「日本社会は暴力とポルノに寛容」

という考え方には一言。

「日本人はアニメやマンガを「強制配給」しているわけではありません。暴力とポルノばかりを買い漁っているのは「フランス人」ですよね?」

「福島党首」はそれぐらいの切り返しを出来ないようでは「政治家」を辞めた方がいいでしょう。

[参考]



絶対うまくいく魔法のじゅもん「心・技・体」!・齋藤 孝 (著)

身体から革命を起こす・甲野 善紀 (著), 田中 聡 (著)

こんなに違う! 女の脳と男の脳・米山 公啓(著)

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2006年12月23日

「光」を遮るのは誰?

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第二次世界大戦後の日本においては、過去の歴史や文化の良き部分が探られることは一切なかった。過去の日本人のモラルには、墨でくろぐろと線が塗られた。日本人のかつての生き方は、すべて封建的であり、軍国主義の悪しき野心に根ざすものとされた。(略)

日本は、形式的には七年後には独立を回復する。そのあいだ、この国の人民は明治以来、世界の掟を破りつづけた没義道漢の国家である、と教えられつづけた。(略)

日本の政治社会は、昭和三十五年の安保騒動、また七十年代に前後する広範な学園騒動を経験するが、それは右のようにして洗脳された青年たちの怨念の発露であった。六十年安保の主役たちは、素姓を洗うと戦時下のファナティックな軍国少年たちであり、それは遅蒔きの春機発動、「禁じられた遊び」であった」(村上兵衛)


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「日本の左巻き」たちは、自らの「眼」と「心」と「思考」が、「墨でくろぐろと塗られた」状態であることに気付いていません。

だから「戦前の日本人」が「米国人」や「英国人」たちを「鬼畜」であると思っていたように(実際には現在左巻きが伝えているほどの影響はありませんでしたが)、「自分と同じ価値観を持っていない日本人」の全ては「鬼畜」であると思い込んで(洗脳されて)しまっています。

「人類の脳」とは「現実」と「嘘」を明確に区別できるようには出来ていません。

「人は自分が想像した通りの人物になる」

古くから多くの「知者」たちが主張し続けてきたそのような考え方は、近年の「科学技術」の発展によって「真実」であることが証明されました。

「想像」は、「自分」から、「他人」からの区別無く、全ての「人」の「人生」に多大な影響を及ぼします。

「日本の右傾化が進んでいる!」「日本の軍国主義化が進んでいる!」「日本は世界から孤立している!」

と主張している「左巻き」たちが、「ナチスドイツ」や、「特定アジア」で、「エゴ」、「暴力」、「差別」を社会に拡散させた人たちと同様の振舞いを行っているのは、彼らの「存在」が、「エゴ」や、「暴力」や、「差別」のことばかりで満たされているからです。

そんな彼らの「悲しい暴力思想」は、「教育」や、「マスコミ」を通じて、「戦後日本社会」に「暗い影」を齎してきました。

「自殺」、「いじめ」、「虐待」、「凶悪犯罪」などの増加には、彼らの「思想」が大いに影響しているのです。

「人格」や、「雰囲気」とは、「社会」が作るものですが、「社会」とは「そこで生活を送っている人たちの心」が作り上げるものです。

はじめに「心」ありき。

「日本」を「戦前」のような「素晴らしい国」にする為には、「国民」たちの「心」のあり方から変えていくしかないのです。

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[参考]

国家なき日本・村上 兵衛(著)

絶対うまくいく魔法のじゅもん「心・技・体」!・齋藤 孝 (著)

ちょっとした習慣であなたの人生は変わる ―思いのままに望みが叶い、最高の自分を手に入れる!―・佐藤 富雄 (著)

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2006年12月22日

「個人史観(エゴ史観)」を脱却し、「人間史観」へ。

「ロバの耳」を持っていることを隠していた「王様」は、「ありのままの自分」を晒せないことによって「ストレス」を溜め込み、「人格」を破綻させていきました。

その為に「犠牲」となった人たちは数知れず・・・。

しかし、その後、「ロバの耳」を持った「王様」は、「ありのままの自分」を知られてしまい、「受け入れた」ことによって「人間性」を回復します。

「現代版ロバの耳を隠している自称王様」であるこの人たちが、「ありのままの自分」を「受け入れる」日は来るのでしょうか。

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(newsclip.be より)

「抗日英・」は共産党と同義、情報相が発言=マレーシア

【マレーシア】マレーシアのザイヌディン情報相が17日、サラワク州とヌグリスンビラン州の華人墓地に抗日英・記念碑が設置されていることについて、「記念碑は共産党を記念したものだ」と発言し、波・を広げている。華字紙星洲日報などが伝えた。

 マレーシアは建国直後、共産党ゲリラの掃討に苦しんだ経緯から、当時のマラヤ共産党に対する袖否感が今でも根強い。また、ゲリラは華人が主導しており、戦時中の抗日運動とも関係が深いとされる。

 ザイヌディン情報相は「マレーシアが来年独立50周年を迎えようとしている時期に無神経で、国民の団結を阻害するものだ」と記念碑を批判。「国民は共産党がマレーシアにとって最大の敵であることを歴史から学ぶべきだ。歴史上の記録にも抗日英・が共産党に属していたとの記述があり、共産党と抗日英・は同義だ」と持論を展開した。

 これに対し、華人団体は「情報相が抗日英・記念碑を共産党記念碑と見なしたことは歴史の歪曲だ」と強く反発している。


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「華人(中国人)」たちは「自らの歴史観」に反する者たちに対して「耳」を傾けると言うことを知りません(ただ、酷いのは現指導者層で、最近の若者たちの中には、本当に実のある会話を出来る人が多くなっています)。

今回の「ザイヌディン情報相」と「華人」との間の「衝突」も今の所、「ザイヌディン情報相」が「確たる根拠」に基づいて主張を行っているのに対して、「華人」の側は「根拠を示さないまま」で「歴史歪曲だ!」と連呼している状況です。

では、この両者のどちらが「正しい」のか(正確には両方とも「正しい」でしょうが、「正統性」の大小について)は、「その当時」を知っている人の意見を参考にすればよくわかります。

〜〜〜

「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに来たのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系のゲリラだけでした。そして、日本の将兵も血を流しました」(ノンチック)

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この証言からわかることは、「日本人」は「英国人(当時の)」と「華人」と戦った、ということです。

そして「双方」の多くの人たちの「尊い命」が失われました。

最も大切なのはそのようなことであって、「どちらが正しいのか」という話は、二の次の話です。

現在、世界に溢れている「不必要な不幸」の大半は、その「順序」を間違ってしまっている人が多いことによって生み出されています。

「日本の教師」が、「騙されて」、わざわざ「マレーシア」まで足を運んでしまったのも、「人種差別」や、「奴隷制度」の要である「主語を主体とした思考」に陥ってしまっているからで、この教師が「述語を主体とした思考」を身に付けていたならば、もっと有意義な時間を送れていたはずです(この教師(女性)は後に「洗脳」から脱却したようですので、マレーシアまで足を運んだことはよかったでしょうが)。

「靖国神社に参拝するな!」

などと主張している人たちも、「華人」や、この「教師」と同じで、その「心」にあるのは「エゴ」と「差別心」ばかりなのです。

そのような人たちが行っている「教育」が「個人主義教育(エゴイスト育成教育)」ですが、いまの「世界」に必要なのは「人間教育」です。

まず最初に「敵」や「味方」の区分を超えて、「双方」の「犠牲者」を追悼し、「悲しみ」を知り、「喜び」や、「感動」を知ることが、「健全な人間」を育成するのです。

いまの「日本」の「歴史教育」に足りないのは「バランス」です。

「自虐教育」一辺倒の教育から、「捏造」された歴史を徹底的に取り除き、これまで「隠蔽」され続けてきた「声」にも「耳」を傾けることが、「日本の教育」を、そして「日本」を再生させるのです。

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「この頃の日本の若い人たちはどうかしてしまったのでしょうね。自分たちの父や祖父たちが、命をかけ、血と汗を流して、ともに興したアジアのことを少しも知ろうとしませんね。私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、長い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。長い間眠っていた「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」というこころを目醒めさせてくれたのです」(ノンチック)



「日本の政治家の冒頭の挨拶は、ハンで押したように決まって次のような、「過ぐる大戦において我が国は貴国に対してたいへんご迷惑をおかけし申しわけありません」というお詫びです。 私は、そのたびに、なぜそのような挨拶をなさるのですか。あの戦争で日本は立派なことをなさったではないですか。日本軍がイギリス軍を追い払ってくださったからこそ我々は独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシアも、インドネシアも、シンガポールも、その他インドをふくめた東南アジア諸国の独立は考えられません」(シャフィー)

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「主語」や、「GOD」の前での「平等」は絶対にありえません。この世の中に「本当の平等」は存在しないでしょうが、唯一「平等」に近づけるとしたら、それは「人類」が「述語」を尊重したときです。

そのことを「人類」が理解するまでは、これからも「不必要な犠牲者」は生まれ続けることでしょう。

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[参考]

日本人よありがとう―マレーシアはこうして独立した・土生 良樹 (著)


王様の耳はロバの耳・渡辺 一枝(著)

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2006年12月21日

「お金」は大切。しかし「道義」はもっと大切。

「戦前」の「急激に変わり行く(壊れて行く)日本」の姿を目の当たりにした「夏目漱石」の苦悩を、「村上兵衛」さんはこのように解説しています。

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「夏目漱石は、日本を犯しつつある「二十世紀の堕落」に悩んでいた。漱石は「それから」の中で、主人公代助の口を籍りて「(その堕落は)近来急に膨張した生活慾の高圧力が道義慾の崩壊を促したもの」と言わせている。生活慾は、経済とも言いかえられるだろうが「この生活慾の目醒しい発展は、欧州から押し寄せた海嘯」であった。代助は「貧弱な日本が、欧州の最強国と、財力において肩をならべる日の来るまでは、生活慾と道義慾の平衡は日本において得られない」と言っている。そして「かかる日は、到底日本の上を照らさないもの」と諦めてもいた」(村上兵衛)

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「教育基本法」や、「憲法」や、「歴史教科書」や、「道徳」や、「被害者と加害者の関係」などに対する最近の「見直し機運」の高まりを見ていると、「夏目漱石」の、

>「貧弱な日本が、欧州の最強国と、財力において肩をならべる日の来るまでは、生活慾と道義慾の平衡は日本において得られない」

という「分析」はさすがとしか言いようがありません。

「金」という基準に基づいて狂ったように「上」を目指し続けてきた「日本人」は、その「頂上」が目の前に迫った所でようやく目を覚ましつつあるようです。

そのように考えれば、「堀江」や、「村上」の失墜や、「土下座外交」や、「自虐教育」や、「左巻き」などの衰退は、「日本人」が「生活慾」狂いから抜け出し、「道義」を尊重する社会の構築に向けて再び歩み始めた「象徴」と言えるでしょう。

「夏目漱石」の

>「かかる日(生活慾と道義慾の平衡)は、到底日本の上を照らさないもの」

と言う予測を「裏切って」、「日本」を再生出来るのかは「国民」たちが「本気」になれるのかにかかっています。

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[参考]

国家なき日本・村上 兵衛(著)

それから・夏目 漱石(著)

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2006年12月20日

「仏」の顔も何度まで?

「他所の国」で働き、「定住」したいのならば、「その国」に対する「愛国心」を持ち、「忠誠」を誓い、「文化」や、「伝統」や、「生活習慣」を学ばなければならない。

自らが「生活を送っている国」に対して、「権利を超えて反対」をし、「破壊活動」を行ったとき、「外国人」は、「お客様」から「侵略者」へと変わります。

「市民」とは、自らが暮らす「街」の為に、最後まで「命」を懸けて戦い抜くことを誓った者を指します。「街」とは「国家」の一部としての「義務」を背負い、「責任」を果たした時、「国家」の「一員」として「内」に入ることが認められるものです。

そのような「誓約」を守れない者たちは、「日本人」であれ、「外国人」であれ、「日本の公」=「日本人たちの共同財産」の「恩恵」を受ける権利はありません。「公」を犯す者たちは、「国民」にも、「人間」にもなることは出来ないのです。「公」という「船」に穴を開けたり、火をつけようとするものは、「船」=「国」、「社会」から叩き出すか、最悪の場合処刑をも辞さない決意を持って、しっかりと対応しておかなければ、「船」そのものが「沈没」し、多くの「犠牲者」を生み出してしまうことになってしまうのです。

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(朝日新聞より)

外国籍の子どもに愛国心強調しないで

公立学校での在日コリアンの民族教育の推進に取り組む「コリアNGOセンター」(大阪市東成区)は16日、改正教育基本法の成立を受け、外国籍の子どもの教育権を守り、愛国心や郷土愛を強調しないよう求める声明を出した。

 声明では、国会の法改正審議は、朝鮮半島にルーツをもつ子や中国残留孤児帰国者の子、南米日系人の子らの教育権について触れていないとし、重大な問題がある、と指摘。今後、改正基本法のもとで新しく策定される学習指導要領や教育振興基本計画で、様々な民族、文化の子どもたちの教育について議論し、計画の中に位置づけることを求めている。

 同センター事務局長の金光敏(キム・クァンミン)さん(35)は「日本人でないのに日本国に対する愛国心を問われるのは、子どもたちにとって大きな精神的圧迫となる」と話す。金さんによると、在日コリアンの子どもを対象に民族の言葉や文化を教える民族学級を設けている公立小中学校は、府内に170校以上ある。今回の法改正で、教育現場からは「公立校で民族教育は不要とする意見が出かねない」と警戒する声も出ている。


〜〜〜

「在日コリアン」が「常識」(日本と世界の)を知らないのならば、「日本人」は彼らを「指導」しなければなりません。

「在日コリアン」が「エゴ」をもって「暴走」をするのならば、「日本人」は彼らに「制裁」を加えなければなりません。

それでも彼らが「傲慢不遜」で、「非常識」な態度を改めないのならば、「日本人」は彼らを「追放」しなければなりません。

〜〜〜

在日朝鮮人が自らの意志で、引き続き日本に居住したいのであれば、彼らは日本に対して害をなすようなことはしてはならない。日本国民の権利をすべて手にしたいと考えるならば、日本人にならなければならない。これは世界各国の移民政策の基本である。在日朝鮮人が日本に対するよりも朝鮮に対する忠誠を優先するというのであるならば、当然のことながら彼らは日本から出ていかなければならない」(日高義樹)

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「戦前」は、「コリア人」たちの為に「東北地方」を中心に、多くの「日本人」が犠牲となりました。

現在の「コリア人」たちは「戦前」程度の「義務」と「責任」も果たさないままに、「常識」では考えられないくらいの「優遇」を得ています。

本格的な「冬」に突入した「日本」。「街」には、ダンボールの中で生活を送っている人たちがいて、「川沿い」には、ブルーシートの家の中で生活を送っている人たちがいる。

「反日民族教育」を行っているような人たちに「血税」を投入する余裕があるのならば、もっと他に使うべき場所があるはずです。

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[参考]

別冊宝島『嫌韓流の真実! ザ・在日特権~朝鮮人タブーのルーツから、民族団体の圧力事件、在日文化人の世渡りまで!~』

嫌韓流ディベート 反日国家・韓国に反駁する・北岡 俊明(著)

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2006年12月18日

学校で「ありがとうございます」という習慣を身に付けさせれば「いじめ」の大半は無くなる

「獣」を野蛮である、と見下す「人類」。しかし、「獣」たちが「狩り」をしている時間は、長い一日の中のほんの一瞬でしかありません。

それなのに、「獣」は野蛮である、と決め付ける「人類」。「人類」がそのような「誤った」「偏向した」イメージを持ってしまうのは、「人類」が「獣」のような「真実」の世界でだけ生きる動物ではなく、「真実」と「空想」の世界の間を行き来する動物だからです。

〜〜〜

私たちの脳は簡単にいうと、古い脳(大脳辺縁系)と新しい脳(大脳新皮質)に分けることができます。古い脳はいわゆる自律神経系と呼ばれるもので、体のリズムをコントロールする機能を持っており、呼吸や心拍、消化・吸収など、無意識のうちに行われるような体の働きを司っています。 これに対して新しい脳はものを考えたり、判断したりする、いわば人間の意思の部分を担当しています。人間がほかの動物と決定的に違うところは、この新しい脳を著しく発達させたことにあります。

 この二つの脳は別々にそれぞれの役割を担って働いていますが、新しい脳の働きの一つである「想像力」というものによって、二つの脳は結びつけられることになるのです。 古い脳は、本来人間の意思など受けつけず胃酸を出したり、血液を循環させたりしていますが、新しい脳が想像したものに対しては、反応する特性がある。たとえば梅干を頭の中で想像しただけで、唾液が出てくるのがそうです。(略)

 ここで重要なことは、古い脳は本当にあったことと想像したものの区別をすることができないということです。

 
 このように古い脳と新しい脳は、想像力で結ばれているので、悲しいことを新しい脳で考えていると、古い脳はそれに反応し、好ましくない影響を体に及ぼすことになります。逆に楽しいことやワクワクするようなことを考えていると、それに反応して満面の笑顔や元気はつらつとした表情をつくりだしてくれます」(佐藤富雄)


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「佐藤富雄」さんの言っていることは、「日本人は残虐な民族だ!」「日本は悪の国だ!」「日本の右傾化が進んでいる!」「日本の軍国主義化が進んでいる!」「改悪反対!改悪反対!」などと叫び狂っている人たちの「表情」を見ればよくわかるはずです(特に日常のちょっとした出来事の際の異常な反応)。

「テレビ」や、「新聞」や、「教育」を通じて、一日中「人の負の面」や、「残虐性」や、「悪口」や、「レッテル張り」という「毒情報」を浴び続ける「日本人」。

それに対して、「楽しいこと」や、「ワクワクすること」に関する「薬情報」は微々たるものです(ニュース番組や、ワイドショーは殆ど全てが強烈な毒性を帯びたものばかりです)。

「自殺」や、「依存症」や、「虐待」や、「いじめ」や、「犯罪」などが増加している原因も、「子ども」の頃から徹底的に「日本人は残虐だ!無能だ!」というイメージを植えつけられていることと大いに関係しているのです。

そのような「負の社会現象」を抑止、抑制したいのならば、「日本人(人間)の素晴らしさ」や、「日本の美点」や、「日本の誇り」や、「日本の偉人」などのことや、「挨拶」や、「美しい姿勢」を徹底的に教え、「戦前」には、「教育勅語」や、「修身」などを通じて教えられていた「美徳」をもう一度しっかりと教えればいい。

「希望」や、「夢」や、「目標」や、「目的」などを持ち、「前向き」に生きている人には、「自殺」や、「いじめ」などをしている時間はありません。

「個人」「絶対」「GOD」「完璧」等々。このような「非日本文化」(有事文化)の及ぼす「悪影響」についても考えながら、「左巻き」や、「特定アジア」や、「過激な右巻き」などが撒き散らしている「毒情報」を「国民」たちが「浄化」していけば、「日本」は大きく再生します。

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[参考]

あなたが変わる「口ぐせ」の魔術―言葉の心理学・生理学・佐藤 富雄(著)

ちょっとした習慣であなたの人生は変わる ―思いのままに望みが叶い、最高の自分を手に入れる!―・佐藤 富雄(著)

声に出すほど美人になるおまじない・佐藤 富雄(著)

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2006年12月17日

「売国心」が「国民」を不幸にするのだけは間違いない

「愛国心」とは「飲食店」で言えば、「自分の働いている店を愛しましょう。愛せるような店を作りましょう」ということで、その「心」は、「包丁を大切にしましょう」「食器は丁寧に扱いましょう」「食品の無駄遣いは止めましょう」などという「心掛け」の延長線上にあるもので、そのことを守れば「従業員全体」が「得」をするものです。

これに対して、「店」や、「従業員全体」よりも「一個人」を重視するような考え方に立てば、「食材を勝手に食べたり」、「掃除の手を抜いたり」して、「個人的」には「得」をし、「楽」をすることが出来ます。

ただし、そのような「公」よりも「個」を上位に置くような考え方を多くの人たちが持ってしまえば、「店」が廃れ、「従業員同士の関係」が壊れ、「店」の売り上げが落ち、最悪の場合は「店」が倒産し、「従業員全体」が職を失うことになってしまいます。このような「負の連鎖」を生み出しているのが「戦後日本」の「売国教育」、「自虐教育」です。

「汚職」や、「税金の無駄遣い」や、「犯罪」などが増加し、「国民」たちを「不幸」にしている主因は「公の精神」が欠如してしまっているからです。「現時点」において、それを改善する為の「必要愛」が「適正」に機能する範囲は「国家」という単位です。

「血」や、「家」や、「宗教」や、「人種」などでは「共生」することが出来ない人たちを纏めることが出来るのは「国家」しかありません。

「国家」について考える上で最も大切なことは、「国家」とは「公の精神」抜きには成立しない、ということです。

自分は「国家」と「個家」は違う、と何度も主張していますが、「国家」という「公」の存在に、「特定の個」が結びついた時、「血」や、「家」や、「宗教」や、「人種」は纏まりと、秩序を失い、不必要な「差別」や、「対立」の火種が生まれてしまいます。

例えば、「国家」と「共産主義」という「個」が結びつけば、「共産主義者」以外の人たちと大きな対立が生まれますし、「国家」と「特定の宗教」が結びつけば、それ以外の「宗派」との対立が生まれることになります(ただし神道は例外とも言えます。もちろん左巻きの言う似非神道ではありません)。

現在「世界」に溢れている「不幸」の大半は、「個」を主体とする社会から、「公」を主体とする社会(自然や動物たちも含んで)にシフトチェンジすれば無くすことが可能なものばかりです。

「愛国心」は「必要愛」ですから、「愛国心教育反対!」などと言っている「エゴイスト」の主張を聞く必要はありません。彼らは「公」が見えていませんから、その主張は的外れなものでしかありません。

「愛国心」について考える上で重要なことは、「愛国心」が、「朝鮮」や、「韓国」のように「個」=「エゴ」に基づいたものになるのか、「公」に基づいたものになるのか、ということです。

「国民」を「幸福」にする「愛国心」とは「公」に基づいた「愛国心」ですが、「公」をしっかりと維持する為には「条件」が存在します。

それは「個」=「エゴ」を許さず、「より多くの人たちが参加する」ことです。

「公」を「特定者」だけのものにしたくなかったら(公が、個や、私になるということ)、「審議拒否」などは絶対に行ってはならないのです。

同じようなことは「靖国神社」にも言えます。「靖国神社」という「公」を、「特定者」だけのもの(実際に存在するのかはわかりませんが、例えば軍国主義者)にしたくなかったら、「戦前の靖国神社のあり方に反対する立場にある人」こそ、「靖国神社」に参拝するべきなのです。

「エゴ」で「心」が犯されてしまっている人には、その意味すら理解できないでしょうが、「危険性」を孕んでいるものがあるのならば、「閉じる」ことや、「単一化」させるのではなく、「開く」ことや、「複合化」させることが大切です(ただし、朝鮮のように、特定の個人が、閉じることを必要としている場合は、特定者の排除が不可欠です。韓国や、日本の左巻きが、朝鮮での虐殺に大貢献してしまった理由は、公の精神を持っていなかったからです)。

ここ最近、「特定アジア」で、「歴史」という「公」を、「私物化」しようとする動きが活発化しています。それに同調する「日本の左巻き」や、「世界のエゴイスト」たちも存在します。

「正義」、「悪」、「聖戦」、「侵略」・・・そのような「個」を、「歴史」に持ち込もうとする動きを封じ込めない限り、「不毛な争い」は続くことになります。

大多数の「国民」たちは、「日本」で一生を終えることになるはずです。そうならば、「国を愛して、もっと愛せるように生活する」ことと、「売国心」や、「自虐心」を持って生活することのどちらがより多くの人とたちを「幸福」にするのかは容易にわかるはずです。

もっとも「地球市民」として「世界」のどこへでも「自由」に行き来が出来て、だから「日本」も「他の国」も同じだ、という人たちにとっては関係が無い話でしょうが・・・。

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[参考]

本当は恐ろしい「平和」と「人権」というファシズム・佐藤 貴彦(著)

日本人から奪われた国を愛する心・黄 文雄(著)

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posted by スーパー原始人 at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 公の精神 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月16日

「一般人」と「特別な人」は違う

「一般人」が、普通に「恋愛」をしても、「結婚」をしても、「不倫」をしても、「離婚」をしても「世間」が大騒ぎすることはありません。

しかし、「芸能人」や、「スポーツ選手」や、「政治家」などが同様の行為をした場合は「世間」は大きく騒ぎ立てます。

両者への「反応(反響)」の違いを生むのは「一般」と「特別」という概念の違いです。

「一般人」とは違って、「芸能人」や、「スポーツ選手」や、「政治家」などは「特別な存在」(選ばれた者)です。

彼らは「一般人」とは違って、常に「複数の人」を相手にして生きています。「一般人」と「特別な人」の違いを「パチンコ」に置き換えると、「特別な人」とは「パチンコ店の経営者」です。「経営者」は「複数の台」を所有し、一度に「複数の客」を相手に商売を行っています。それに対して「一般人」とは「パチンコ店の客」です。「客」は一度に「一台」しか利用することが出来ません。

一度に「複数者」を相手にする人、と一度に「単数者」しか相手に出来ない人(動かせない人)。

両者の「収入(恩恵)」の差を生み出すのは「複数」と「単数」の違いです。その両者が共に「思い通り」に「仕事」を行った場合、どんなに腕の立つ「パチプロ」であっても、「パチンコ店経営者」の「収入」を超えることは不可能です。

だから「人生」の目標が「お金を多く稼ぐ」ことならば、「複数者」を相手にする道を選んだ方が、より多くのお金を稼げる可能性は高くなります。

ただし・・・「特別な存在」を志すということは、「ハイリターン」を得る可能性と共に、「ハイリスク」や、「大きな責任」も同時に背負わなければならないことになります。

「嫉妬」する動物である「人類」が、「ハイリターン」を得ている人たちの存在を容認しているのは、「特別な存在」となった者たちが、「ハイリスク」や、「大きな責任」を背負っていたり、彼らの「活動」が多くの人たちに「恩恵」を齎しているからです。

しかし、彼らが一旦その道を踏み外してしまえば、「嫉妬」や、「社会的制裁」の対象となり、集中砲火を受けることになってしまいます(最近で言えば、政治家や、知事や、官僚などの議員年金や、汚職や、天下りなどがいい例です)。

「特別な存在」に自らの意思でなった者たちは、「ハイリスク」や、「大きな責任」を絶対に負わなければならない。それが「社会」を円滑に成立させる為のルールです。

大半の「特別な存在」に自らの意思でなった者たちは、そのルールをしっかりと守っています。そのような人たちに対しては、「不当なバッシング」や、「社会的制裁」を加えてはなりません。

ただ残念なことですが、「世の中」には、全身に「エゴ」や、「卑怯さ」が染みこんでしまっている人たちが存在します。彼らは「ハイリターン」は得るが、「ハイリスク」や、「大きな責任」を背負おうとはしません(脱税などがその象徴)。

「真の卑怯者」である彼らは、自らに「非」があったとしても、その「罪」を認め、「謝罪」することはありません。

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(MBSニュースより)

野中広務氏ら招き 部落問題を語るシンポジウム

 大阪と奈良で相次いだ部落解放同盟の現職幹部による事件などをうけ、野中広務元官房長官らを招いてのシンポジウムが大阪で開かれました。

 13日夜7時前から開かれたシンポジウムは大学が主催したもので、200人余りが参加しました。

 長く人権問題に取り組んできた野中広務元官房長官は、部落解放同盟の現職幹部による事件が相次いだことについて、『当初から利権が生じやすい構造だった同和対策事業の問題点が背景にある』と指摘しました。