「鮭が戻ってくる川を取り戻そう」というキャッチフレーズは、「河川」などの「環境」を改善する時に、よく用いられていますが、いま自分が働いている職場のキャッチフレーズは、「日本人が戻ってくる職場を取り戻そう」です。
先日、「TBS」の深夜のドキュメント番組で、「求人をかけても人が集まらない・・・」と困っている「飲食店」の様子を取り上げていました。
「マスコミ」や、「左巻き政治家」たちが、「ネットカフェ難民が・・・」、「ファーストフードカフェ難民が・・・」と「自民党」を攻撃する為の「プロパガンダ」をどんなに繰り返しても、「現場事情」を知っていて、簡単な「算数」ができる人ならば、彼らの主張が「真っ赤な嘘」であることは誰にでもわかるのです。
「TBS」のドキュメンタリー番組は、「仕事が週に一日しかないのです・・・」などと言っている「ネットカフェ難民」たちの話が、ただ単に「怠ける為の言い訳」であったり、「能力」の問題であることを如実に表しています。
このような話をすると、それでも「住所」がないと面接に受からない、という人がいますが、いまは「都市部」でも「レンタルオフィス」を、3万円もあれば借りることができますし、次々と住居を転々としている「外人」たちがたくさん雇用されているのですから、そのような主張をする人たちは、「ネットカフェ難民」たちをどうにかしたいのではなく、自らの「欲望」の為に「弱者」を利用している「最低の偽善者」でしかないのです(その構図は、捏造の戦争被害者や、被差別者を利用している人たちと同じです)。
これと同じような意見のやり取りを、この間、テレビ番組で、「爆笑問題の太田」さんと、「社会学者」が、「ニートは個人の問題だ(太田)」、「ニートは社会の問題だ(社会学者)」とやりあっていましたが、「ネットカフェ難民」や、「ニート」や、「ひきこもり」の問題は、「個人」や、「社会」のどちらかに問題の原因を求めるべき話ではなく、「当事者」だけではなく、「指導者」も含めた、「個人の問題」であり、「社会の問題」でもある、と考えるべきです。
いま是非を巡って意見が分かれている「外人」の「労働者」や、「移民」や、「留学生」の受け入れ拡大の問題も、このような「広い視野」をもって議論しなければ、後になって「年金」のように更に「大きな問題」を生み出してしまうことになってしまうでしょう。
「オフィス街」や、「商業地域」の「飲食店」などが、いま「日本人一人雇用」するのに必要な金額は、ばらつきがありますが「15万円〜60万円」と非常に大きなものとなっています。
そのような事情もあって、「経費削減」をはかりたかったり、「経営」が苦しい「飲食店」などは、「日本人」と比べたら遥かに質が劣るが(日本語ができず、日本文化を知らないのですから当たり前の話ですが)、簡単に集まる「外人」を雇用し、その友人の「外人」を紹介で次々と雇用するという「外人雇用スパイラル」に陥っているのです。
そしてそのような「非努力」が、新たに「ネットカフェ難民」や、「ニート」や、「ひきこもり」を生み出しているのです。
安易に「外人」を雇用すると「日本社会の質」は大幅に低下する。
子どもの頃から、「日本の教育」や、「公の精神」を学んでこなかった「外人」が、「日本人と同等の質」に達することはほとんど不可能だといえます。
そのことは「外人ばかりの店」を利用した経験がある人や、「外人」と一緒に働いた経験がある人ならばよくわかるはずです。
もちろん「外人」にも「質が高く」、「優秀」な人も存在しています。「石原都知事」は、「優秀な外人から受け入れるシステムを作るべきだ」と主張しています。自分もその主張を全面的に「否定」する気はありませんが、その為には「入り口を狭く、厳しいものとする」ことが必要です。
いま自分が働いている「職場」では、「外人」だらけになってしまった「職場」にもう一度「日本人」を呼び戻す、という取り組みを行っています。
その取り組みは、溢れかえる「外人」に対する「苦情」や(この問題は、外人たちに、日本人と同等の人生経験、を積ませなければ克服できないので、努力うんぬんで根本的な解決をすることは不可能です)、「外人労働者」の「質の低さ」を見かねた上司が、「もう一度、昔のような最高のサービスを取り戻します」と、「会社」の上層部に訴えたことがきっかけとなって始まりました。
これからの「日本企業」、もっと大きな視点で見れば「日本人」は、二つの「現実」に直面することになるでしょう。
非常に困難な道ではあっても「お客様(日本)」のことを真剣に考えて、「スタッフ」も「商品」も「日本産(を中心に)」を使用し、もう一度「質が高かった頃の日本式サービス」に取り組む企業。
安易な道を選んで「スタッフ」も「商品」も「外国産」を使用し、「質の低いサービス」でも、「値段」などの面で「客」を取り込めればいい、と考える企業。
この二つの「サービス」のどちらを「国民」たちが求めるのか、どうかで、「日本社会の未来の質」は全く別の様相を見せるのです。
このまま安易に「外人」の受け入れを拡大し続けたら、「日本」から「匠の世界」や、「職人の世界」は姿を消し、「日本人」の「審美眼」や、「道徳観」は地に落ちることになるでしょう。
その時、「個人」と「個人」は、いままで以上に「醜いエゴ」で、騙し、傷つけ、殺しあう、ことになります。
そのような「最悪の社会」を見越しているからこそ、「外人」の受け入れ拡大を要求している人たちは、「裁判員制度」や、「人権擁護法案」や、「外人参政権付与」を必要とし、「自虐史観」を用いて、「愛国心」や、「質の高かった頃の日本の記憶(歴史)」を必死になって「抹殺」しようとしているのです。
「外人」を受け入れるという、「日本という存在そのもの」を大きく変貌させてしまう問題を、深い議論無しに進め続けている「恐ろしさ」を、「国民」たちはもっと実感しなくてはなりません。
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〔引用・参考〕
日本人の品格―新渡戸稲造の「武士道」に学ぶ・岬 龍一郎 (著)
これだけは伝えたい 武士道のこころ・名越 二荒之助 (著), 拳骨 拓史 (著) 

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