2009年05月05日

「不自然」

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(朝日新聞・09・05・04より)

憲法記念日の3日、護憲派、改憲派がそれぞれ集会を開いた。

 平和憲法の堅持を訴える「九条の会・おおさか」は、大阪市中央区のエル・おおさかで「世界同時不況と平和を考える」と題した集会を開催。同志社大大学院の浜矩子(のりこ)教授(国際経済)は、外国人より日本人の雇用を優先する「愛国雇用」の兆候があると指摘し、「差別や排除から平和が脅かされる」と危機感を示した。


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その「地域」にはその「地域」に適した「文化」がある。

「緯度」、「経緯」、「気候」、「風土」…その「地域」の「自然」との結びつきの中で生まれた「文化」は、そこで暮らしている人たちに、「秩序」と「安定」と「利益」を齎してきました。

「自然」=「公」と一体となった「文化」は、「人間」が生み出しうるものの中で、「最上最高の傑作」です。

それとは逆に、「厳しい自然」の中で、「自然」=「公」と切り離された形で生み出された「文化」は、その「地域」においては、「最上最高の傑作」となり得ても、他の「地域」においては「最低最悪の凶器」となる恐ろしいものです。

「多文化共生」や、「アメリカンスタンダード」や、「共産主義」や、「GOD教」などが、数え切れないほどの多くの「命」を奪い続けてきたのは、これらの「文化」がすべて「自然」と切り離された形(自然と敵対する形)で生み出されたものだからです。

「日本国憲法」が、「日本社会」に、「騙し」、「傷つけ」、「殺しあう」ことを日常的に齎し、多くの「日本国民」たちを「不幸」にしているのも、その根底に、「不自然」な流れが存在することが原因です。

「神々」を信仰していた者たちが、「仏」を受け入れた、ことすらも、容認することが出来ないような「不自然なエゴイスト」たちが、「社会」を牛耳ってしまったことによって、「日本社会」から生み出される「答え」は、「極端」で、「不合理」なものばかりとなってしまいました。

自らが「日本人」を心の底から「蔑視」し、「差別」しているという認識すら持つことが出来ない「不自然なエゴイスト」たちを、これ以上、野放しにしてしまえば、「日本人の心」は、核となる部分までもが「不自然」に染まり、「日常」が「戦場」となる「力がすべての社会」に変貌します。

「多文化共生」、「移民」、「外人参政権付与」、「裁判員制度」、「弁護士増員」、「人権擁護法案」、「食料輸入」、「日本国憲法」…

「不自然」さの中で、「劣化」し続ける「日本社会」を立て直すことが出来るかどうかは、「日本国民」が「自然」の尊さをもう一度、思い出すことが出来るかどうかにかかっています。

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「引用・参考」

完本 梅干と日本刀―日本人の知恵と独創の歴史・樋口 清之 (著)

うめぼし博士の逆(さかさ)・日本史―昭和→大正→明治・樋口 清之 (著)


日本待望論―愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙・オリヴィエ・ジェルマントマ (著),

日本人の「覚悟」・日下 公人 (著)


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posted by スーパー原始人 at 03:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
憲法の条文をよく読めば、護憲派と呼ばれる人たちは憲法を蔑ろにしているようにしか思えません。
Posted by コウラン at 2009年05月08日 14:09
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