2008年06月22日

「教育再生」は「民間力」で

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「東京都のある風俗店に入り浸って未成年の少女と関係を持ち、これが明らかになった教員の非行が新聞紙上を賑わせた。この風俗店で働いている少女は最初に教員が店を訪れたとき、ほとんど瞬時にして学校の先生だと見破ったという。それは、その男がスーツ姿に運動靴という珍妙なスタイルだったことによる。ということはこの服装が小・中学校の先生たちの典型的なもので(略)、このような状況に至ったのは、国公立の小・中学校の教員の一部がいかに質的に低いものであっても、ほとんど刑事事件でも引き起こさないかぎり上部から注意されないという事実による。 服装もまったく自由であって、しかもこれをはきちがえて勝手気ままな教員が跋扈しているのである」(三野正洋・沈黙が日本を亡ぼす―日本人の悪しき美徳を捨てよより)

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「教育基本法改悪反対!」

という「大義」を掲げ、国会議事堂の前で声を荒げ、「子供たちを守る」という素振りを見せながら、夜は、「銀座」や、「新橋」で「税金」で豪遊し、「チャイナ人売春婦」を買いあさっていた「左巻き教師」たちの話は何度か取り上げたことがあるので覚えている方もいるでしょう。

最近、知り合いの「教育関係者」に聞いた話によると、「いまはどこの小学校でも掃除の質が下がっている」そうです。

「民間」の「企業再生」のプロたちが、「掃除」も含めた「整理整頓」や、「身だしなみ」を整えることを徹底的に指導しているのに対して、「教育再生」が必要な「学校」では、「左巻き教師」たちが、「自由」や、「人権」の名の下に、「生徒たちの質」を徹底的に下げ続けてきました。

「質の低い教師」が「質の低い生徒」を作っている。

「民間」=「常識」を知らない「教師」たちに、「質の高い教育」を求めることは不可能です。

「学校」や、「家庭」や、「地域」や、「自然」などを通じて、「質の高い教育」を行っていた「非日本国憲法下の日本」とは違って、「左巻き」や、「アメリカ」などの手によって「教育の場」が壊されてしまった「日本国憲法下の日本」では、「民間」を知らない「教師」ではなく、「社会経験」が豊富な「民間人」たちの力によって「教育」を立て直すことが必要になります。

「常識を知っている国民」たちが、「常識」を知らない「教師」たちを指導し、変えていかない限り「教育」を「再生」することは出来ないのです。

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〔引用・参考〕

沈黙が日本を亡ぼす―日本人の悪しき美徳を捨てよ・三野正洋(著)

掃除道 会社が変わる・学校が変わる・社会が変わる・鍵山 秀三郎 (著)


朝30分の掃除から儲かる会社に変わる―社員ニコニコ業績ピカピカの法則・小山 昇 (著)


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2008年06月05日

「島根」が変われば「日本」が変わる

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(産経新聞6・5より)

「教科書記述遅れてる」 島根県知事が竹島の領土明記を要望

新学習指導要領の解説書をめぐって島根県の溝口善兵衛知事が5日、文部科学省の銭谷真美事務次官を訪ねて、「教科書に領土問題の記載があるが竹島はやや遅れている」と述べ、竹島が日本領であることを明記するよう要望した。銭谷次官は「要望は承ったが検討中だ」と述べた。

 会談には福田正明同県議会議長も出席。溝口知事は会談後、「国民が領土問題を知らないと外交交渉は進まない。教育でも配慮をお願いしたい」と話し、竹島問題の解決には教育が重要だとの認識を強調した。6日午前には外務省にも要望する。

 島根県はこれまで、解説書の基盤で法的拘束力がある指導要領に明記するよう求めてきたが、文科省は韓国側の反発に配慮して見送っていた。

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「北朝鮮」に「家族」を拉致された人たちが、「アメリカ政府」に「家族」を救出してくれるように頼みに行く。

「北朝鮮」の脅威から「国」を守ってもらう、という理由で「アメリカ」の戦争に協力する。

そんな情けなく、腑抜けた「国」に「日本」がなってしまったことと、「竹島問題」が教科書にしっかりと記述されていないことは無縁ではありません。

真性「アメリカ教信者」である「ポチ」も、奇形「アメリカ教信者」である「左巻き」たちも、共に「無日教育」が生み出した「奴隷」なのです。

「自殺」や、「依存症」や、「ニート」や、「ひきこもり」や、「虐待」の増加も、すべては「無日教育」、「無日社会」が生み出しているにも関わらず、そこに触れることなく、上っ面だけの「議論」や、「誹謗中傷」を繰り返している「政治家」や、「マスコミ」たち。

「他国民」の利益を優先し、「自国民」を犠牲にする人たちに「公」に携わる資格はありません。

「溝口善兵衛島根県知事」の行動は、腑抜けてしまった「日本国憲法下の日本」を大きく変える可能性を秘めています。

「島根県知事」の今回の要望を受けて、「日本政府」がどのような対応を取るのかはわかりませんが、「島根県」は「日本政府」の対応がどのようなものであったとしても、「島根学」を作り上げる気概を持って、「竹島教育」を軸にした「教育の正常化」を目指すべきです。

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〔引用・参考〕

闘え、日本人―外交とは「見えない戦争」である・日下 公人(著)

日本人が行けない「日本領土」 北方領土・竹島・尖閣諸島・南鳥島・沖ノ鳥島上陸記・山本 皓一 (著)


世界から見た大東亜戦争

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2008年05月29日

「未来像」なき「教育改革」の「害」

「学校教育は無駄ではないのか?」

いつまでたっても終わらない「左巻き」たちによる「公教育の私物化」や、「エゴイスト育成」や、「エセ国際派」たちによる「中途半端な国際教育」が齎す「全教科かじり化」

このような「公教育の荒廃」を見ていると、「子供」たちの「教育」は、

「道場」による「身体感覚の育成」や、「精神修養」

「塾」による「習字」や、「そろばん」の習得

「労働」や、「奉仕活動」や、「祭り」や、「銭湯」による「社会教育」

などによって行ったほうがいいのではないか、と思えてきます。

先日、「教育懇談会」が「英語教育」の強化、を提言しましたが、「子供」たちに本当に教えなければならないことは、「英語」ではなく、「国語」や、「道徳」や、「生き方」です。

「自由」や、「平等」が存在するという「嘘」を教えるよりも、「困難」に打ち負けることが無い「身体」と「心」を作り、自らの力で「困難」を切り抜けていける「知恵」を身に付けさせる、ことこそが、「子供」たち、「国民」たちを「幸福」へと導くはずです。

「ゆとり」や、「平等」という「左巻きカルト宗教教育」で、「子供」たちを「総弱者化」するよりも、全ての「子供」たちを「プロフェッショナル化(職人化)」させる道を歩ませ、それが叶わなかった場合も、「チーム(組織)」と一体化した「自己」を高め続ける生き方を徹底的に教え込むべきです。

「公よりも個の方が大切だ」

そのようなことばかりしか教えないから、多くの「国民」たちが悩み、苦しみ、喜びを感じることが出来ない「人生」を送るしか無くなってしまうのです。

「日の丸」や、「君が代」を否定し、「国家」や、「集団」を蔑ろにする「左巻き」たちの「カルト思想」が、どれだけ多くの「弱者(持たざるもの)」たちを傷つけているのか。

多くの「国民」たちにとって、「日本人」や、「日本代表」や、「組織」という概念を通じて得ることが出来る「喜び」や、「誇り」や、「感動」がどれだけ大きな「救い」や、「エネルギー」となっているのか、ということについて、そろそろ「国民」たちは真剣に考えなければなりません。

「他人の気持ち」を理解する能力が欠如している「左巻き」=「エゴイスト」たちにはわからないでしょうが、大多数の「正常な国民」たちにはわかるはずです。

「公」と一体化することによって、「喜び」や、「誇り」や、「感動」を得ることは全く異常なことではない、ということが。

「日本国憲法」という「狂気」によって、多くの「国民」たちが、「不安」と「孤独」の中で苦しんでいる、

その「苦しみ」を緩和することが出来るのは、

「自分よりも大きな存在との繋がり」

しかありません。「GOD」や、「個人」という極端で、過剰な「世界」に走るのではなく、「生命」や、「自然」や、「動物」たちや、「国家」や、「地域」や、「伝統」や、「文化」や、「歴史」などの「大きな存在」と幾重にも繋がり、一体化して生きる。

「教育改革」は、その改革によって生まれる「社会」や、そこに暮らしている「人」たちの姿を明確に描いてから行わなければ意味がありません。

いま「政府」が進めている、「国民」たちに「未来像」をはっきりと提示できない「改革」は、新たな「不安」を生み出す「害」にしかならないのです。

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〔引用・参考〕

江戸の遺伝子―いまこそ見直されるべき日本人の知恵・徳川 恒孝 (著)

修身教授録―現代に甦る人間学の要諦・森 信三 (著)

絆の法則・澤谷 鑛 (著)


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2008年05月20日

「カルト汚染」

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「冷戦終結とともに新たな局面に入り、90年代になって世界的に共通して宗教回帰現象が起こっているように思われる。世界各地で強烈な危機意識に裏打ちされたラディカルな教義を持つグループが急速に勢力を伸長している。このようなカルト化の中で、自然科学と結びついて暴走したのがオウム真理教である。(略)

 これと並んで、冷戦後、受け皿を失った人びとの中で「人文科学」との結び付きを志向しているのが、旧マルクス主義系の「護憲民主主義」に耽溺してきた進歩的文化人たちであろうか」(宮脇磊介)

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「オウム真理教」の弱体化の影に隠れていますが、冷戦終結後に生まれた「新カルト」は、いまでも「日本社会」を確実に蝕み続けています。

先日、発覚した「自称環境保護団体・グリーンピース」による「窃盗事件」は、「自らの信仰の為ならば法を犯しても構わない」という点で、完全に「オウム真理教」と同じ根を持つ「日本社会」を蝕む「狂気」なのです。

17日に開かれた「山梨県教職員組合定期大会」には、「民主党」の代表代行を務めている議員が参加し、

>全国に誇る100%の組織率を維持し、地域へ出て父母と手をつなぎ、声を国会に届けてほしい

>教育3法や教育基本法が次々と変わり、教員が政治的中立を図る教育ができない(産経新聞より)

などと発言すると共に、「教員免許更新制」に反対することに賛同を示しましたが、「国民」たちは、

「組織率100%」や、「子供」たちの「未来」を大きく左右する立場にある「教育現場」に「無能教師」が存在し続けること、の恐ろしさにもっと大きな「危機感」を抱かなくてはなりません。

「日本国憲法下の日本」の「崩壊」は、「個」を至上価値とする「左巻き」たちによる「公教育の場」の「解体」から始まりました。

いま「左巻き」たちが、「批判」している「新自由主義者」たちも、「左巻き」たちによる「公」の「破壊」や、「解体」がなければここまで「力」を付けることなどなかったのです。

「カルト宗教団体」と、「左巻き」や、「新自由主義者」は「個」を主体とし、「公」を蔑ろにしている点で「同系」なのです。

「国民」たちの「不安」を煽り、「社会」が混乱した隙に、自らの「カルト教義」を広めようとしている「エゴイスト」たちに惑わされてはなりません。

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〔引用・参考〕

騙されやすい日本人・宮脇 磊介(著)

誰も知らない教育崩壊の真実

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2008年04月09日

「教育崩壊」が齎す「道徳崩壊」

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(産経新聞08・4・4より)

「日本も台湾も、経済のために犠牲にしたものが少なくない。ただ、私は日本には期待が持てると思いますよ。かつてパトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本はまれに見る文化的国家であると世界に紹介した。家族、地域社会が健全にはぐくまれ、地域ごとに個性を持ち、多様性を有していると。立派な文化をつくった日本人は戦後、確かに物質的、技術的な発展で妨げられた面もあるが、そろそろ、モラルを持って日本的な精神を保とうと、考え始めているんじゃないかな。社会的遺伝子は今も受け継がれていますよ」(李登輝)

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現在進行形で行われている「大虐殺」を目にして、「思想信条」や、「国籍」や、「人種」を超え、「過去」に対する「追求」を、一時放置して、「怒りの声」をあげている「世界の人々」

それに対して、「チャイナ人」や、「日本の左巻き」たちは、現在進行形で行われている「大虐殺」から目を逸らす為に、「過去」の問題を「歪曲・捏造」してまで「チャイナ共産党」の「大虐殺」に手を貸しています。

「正常なネットユーザー」ならば誰もがわかっているでしょう。

「日本の歴史を虐げ続けている人たちは、虐殺鬼であること」を。

>立派な文化をつくった日本人は戦後、確かに物質的、技術的な発展で妨げられた面もあるが、そろそろ、モラルを持って日本的な精神を保とうと、考え始めているんじゃないかな。社会的遺伝子は今も受け継がれていますよ(李登輝)

いまの「日本」に本当に必要な改革は、「日本国憲法体制(戦後レジーム)」からの脱却なのです。

「安倍元総理」が行おうとした「教育改革」は、「日本人の心」が「本来の姿」を取り戻そうとしていることの象徴と言えます。

その「教育改革」は、「左巻き」や、「チャイナ人」や、「コリア人」たちの「妨害」によって頓挫してしまいましたが、その時に、「反安倍派」が主張したのが、「安倍総理の教育改革は日本を軍国主義化させるものだ!」というものでした。

「チャイナ共産党」による「チベット人大虐殺」を受けて、「平和」について、「世界の人たち」が考えている今こそ、「国民」たちの記憶の中から消え去ろうとしている「安倍元総理」の「教育改革」を巡る、「賛成派」と「反対派」のやり取りを、もう一度「精査」しなければなりません。

「チャイナ共産党」による「チベット人大虐殺」に対する「抗議集会」の様子を見た、「長野県の職員」は、「バカなことやってるよな〜、と思います」と答えました。

そのような「バカ」を生み出さない為にも、「教育」について「真剣に議論」する必要があるのです。

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〔引用・参考〕

日本と中国は理解しあえない・日下 公人, 石 平(著)

日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない・呉 善花(著)

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2008年02月27日

「戦後教育」の醜さ

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「軍国主義を否定することと軍人を侮辱することは同じではありません。戦争末期に行なわれた「特攻」は「作戦の外道」ではありますが、特攻で散華された方々は日本の誇りであり、末代までその栄誉は語り継がれるべきです。 これを区別せずに軍人や自衛官を軽蔑し、特攻を犬死と侮辱することが民主的であると教えたのは、戦後教育のもっとも醜い部分です」(森口朗)

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「ファシスト」たちに「支配」された「ファシズム島・沖縄」で、また「左巻き」や、「日本の敵国」の主導による「プロパガンダ集会」が開催されることになりました。

「米軍」や、「日本軍(自衛隊)」から受けている「多大なる恩恵」や、「他の外国人(特に特定アジア人や日系人)」が犯している「罪」には全く目を向けることが無いままに、「はじめに答えありき」で、「米軍」や「日本軍(自衛隊)」を盲目的に、狂信的に「非難」している彼らの様な「精神構造」こそが、「森口朗」さんの言う、

>戦後教育のもっとも醜い部分

の「象徴」なのでしょう。ここ最近の「イージス艦」と「漁船」の「衝突事故」に関する「報道」や、「国会」での「質疑」を見ていると、「ファシスト」たちが「支配」しているのは「沖縄」だけではなく、「日本全土」であることがよくわかります。

今回の「事故」について報じる時に、「マスコミ」は「漁師親子」や「関係者」たちの「人間像」や、「想い」を過剰な演出で繰り替えし伝え、「日本海軍人(海上自衛隊員)」や、「防衛大臣」をまるで血の気の無い「マシーン」であるかのように報じていますが、「大きなもの」を背負い、「尊い命」を持っているのは「漁師親子」や「関係者」たちだけではないはずです。

>軍国主義を否定することと軍人を侮辱することは同じではありません。

「森口」さんの言う「戦後教育のもっとも醜い部分」とは、このような「差別・選民意識」が生み出しているのです。

自分の知り合いの「釣り船関係者(漁師ではありませんが)」は、「今回の事故で自衛隊には問題があったけど、悪いのは漁船の側だよ」と言っているのですが、このような「発言」を「テレビ」や、「新聞」が報じることはありません。

「大きな船」ではなく、「小さな船」が道を譲るということは、「海の世界」の常識である以前に、「救急車」や、「消防車」や、「パトカー」や、「軍艦」などの「公務」にあたっている存在を「私」よりも「優先」するということは、「人間として身につけていなければならない常識」であるはずです。

そのような「議論」すら「冷静」にできない、いまの「日本社会」はどう考えても「異常」としか言えないのです。

「国民」たちは、「他人を攻撃する為」に「他人」を利用しているに過ぎない「偽善者」たちを見抜く目を養わなければなりません。

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〔引用・参考〕

戦後教育で失われたもの・森口 朗(著)

吾、身は幼児となりて母を慕い―戦士たちの遺した手紙

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2008年02月09日

「あたりまえのこと」をあたりまえにこなせば、「日本の力」は何倍にも高めることができる

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「親がいて初めていまの自分があるように、歴史があって初めて日の丸をつけてピッチに立てる日本人がいる。それを応援できる日本人がいる。しかも、自分の生まれ育った、この日本という国でだ。親孝行もできない者にロクな人間がいないように、日本のサッカーの歴史を大切にしない選手に一流のプレーなどできるはずがない、とワタシは思っている。歴史を知ろうともしないサポーターが、「12番目の選手」になれるはずがない、と思っている。 サッカーを愛する日本人なら、この国のサッカーの歴史を少し知る努力をしてもバチは当たらないだろう。まして日の丸をつけ、ワールドカップで戦う選手であればなおさらだ」(ラモス瑠偉)



「Jリーグでプレーする選手は、日本でサッカーを始めた人たち、あるいはベテラン選手たち、そして日本サッカーの発展の基礎を築いた人たちに感謝しなければいけない。 なぜなら、今の日本サッカーがあるのは、そういう人たちが出発点になっているからだ。彼らは土のグラウンドで練習し、練習着を自分たちで洗濯していた。そして会社の仕事をしながらサッカーを続け、それでもサッカーへの情熱を失うことなく、今日の基礎を作ったのだ。私は心から共感し、敬意を表する。 これから入ってくる若い選手や会社の人たちは、日本サッカーの基礎を作った人たちの努力を引き継がなければならない。それは一人ひとりが果たすべき使命なのだ」(ドゥンガ)

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「ラモス」さんや、「ドゥンガ」さんが言っていることが「正しい」ことは、「正常な人」ならば誰にでもわかるはずです。

「先人」を大切にすること。

「先人」に感謝をすること。

「先人」に敬意を表すこと。

「今の自分」があるのは、果てしなく続いてきた「過去」があったからです。

「過去」において、たった一人でも「ご先祖さま」が、「天災」や、「戦争」や、「疫病」などで、「子供」を作ることなく亡くなってしまっていたら、「今の自分」は存在しないのです。

そんな「過去」の大切さや、「過去」の重み、を知れば、「自分の命」も、「他人の命」も、「歴史」や、「文化」や、「伝統」や、それらの全てを育んでくれた「自然」や、「動物」たちの大切さや、重みや、尊さがよくわかるはずです。

「今を生きている人たち」は誰もが、数え切れないほどの「チャンピオン」たちの「血」を受け継いでいるのです。

「過去」を大切にすることは、「今の自分」を大切にすることと同じ。

そう考えられるか、どうかが、長い年月をかけて「大きな差」を作るのです。

「想像」してみてください。「日本社会」から「自虐」が消えた姿を。

「日本社会」から「自虐」が消えれば、「日本人」は「明るく」、「元気」で、「前向き」に、「活力」ある人生を送れるはずです。

「あたりまえのこと」をあたりまえにこなせば、「日本の未来」は必ず明るく開けます。

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〔参考〕

魂 HEART・ラモス 瑠偉(著)

PROFESSIONAL勝者の条件―勝ち残る者と敗れ去る者の違いとは・ ドゥンガ(著)

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2008年02月06日

「戦前の白人帝国主義者」=「戦後の左巻き」

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「あるオランダの小説家が、インドネシアは日本から独立を貰った、と書いているのを読んだことがあります。これはまったくの見当外れです。われわれは日本から教育を得た。その教育によってわれわれは自信を得、自分たちの力でたたかい、そして独立を獲得したのです」(ズルキフル・ルビス・インドネシア軍参謀次長)

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いまの「日本」の「左巻き」たちは、「戦前」の「白人帝国主義者」や、「白人ファシスト」と変わらない、「国民」たちはそのことをよく「認識」しなくてはなりません。

「戦後日本」において「左巻き」たちが行なってきたことは、「白人」たちが、「アジア」や、「アフリカ」や、「アメリカ」大陸などで行なってきたことと全く同じなのです。

本当の「帝国主義者」、「ファシスト」、「軍国主義者」、「侵略者」とは、「右翼」でも、「保守」でもなく、「左巻き」たちなのです。

「歴史」を取り上げ、「教育」を取り上げ、「政治」を取り上げ、「報道」を取り上げ、「軍隊」を取り上げる、

「左巻き」や、「アメリカ」や、「チャイナ」や、「コリア」などに「侵略」された「戦後日本人」は、「戦前」の「有色人種」たちと同じように、「自信」を喪失し、「奴隷」として、「搾取」され続けています。

そんな「奴隷状態」から脱却し、「独立」を勝ち取る為には、「インドネシア」が「独立」を勝ち取った時と同じく、「正常な教育」を取り戻すことから始めなければなりません。

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〔参考〕

国家なき日本―戦争と平和の検証・村上 兵衛(著)

世界から見た大東亜戦争・名越 二荒之助(著)

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2007年10月17日

すべては「教育」が生み出す

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「目上の人を敬い、目下の人を助ける気持ちがなくて、どうして人は強くなることができようか」(アニマル浜口)



「監督からは野球はもちろんですが、それ以外のことも教わりました。社会に出てからのための教育をしてくれたんだと思います。野球ができるのは短いあいだかもしれないが、それが終わったあとにどういう人間でいられるかが問題だと言って、ミーティングのときにいくつもの人生訓を話してくれました」(イチロー)

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「亀田大毅」のような「ルール」を守ることが出来ず、自らの「欲望(エゴ)」の為なら「他人」を傷付けても構わない、という「子供」を育ててしまったり、「大人」にしてしまうべきではない、と考えているのならば、具体的な「方法」を考えなければ意味がありません。

それは「虐め」や、「殺人」や、「強盗」や、「援助交際(売春)」や、「ニート」や、「引きこもり」なども同様で、それらの行為が「嫌だ」、「おかしい」、「間違っている」と考えるのならば、「自分の子供(世間の子供)」をそうさせない為に「本気」にならなければなりません。

「道徳教育」、「刑罰の強化」、「奉仕活動」、「社会体験」等々、「社会」=「国民(自然)」たちを破壊せずに「自性(個性)」を持った人を育て上げる方法はいくつもあるでしょう。

そんな中で「子供」や、「国」のことを「本気」で考えて、「行動」を起こしたのが「安倍内閣」でした。それに対して「野党」や、「左巻き」たちは大きく反発をしましたが、彼らは具体的な行動は何も起こしていません(反対だけ、では何も生まれません)。

「教育」=「成長させる(する)」上で一番大切なことは、自分の「小ささ」を知ることです。

まず初めに自分の「小ささ」をしっかりと認識することによって、「成長」を感じ、「本当の自信」を身に付けることが出来るのです。

「公よりも個の方が大切だ」というような自惚れは、「壁」にぶつかった時に、脆く崩れ去ってしまう「GODの自信(エゴイズム)」しか育むことが出来ないのです。

自分の「小ささ」を認識した時、初めて「師」と「学びの場」が生まれます。「亀田一家」の暴走も、「環境破壊」も、「戦争」も元を辿れば、「個」=「GOD」=「エゴ」に行き着きます。

自分の「小ささ」を知り、世界の「大きさ」を知り、そこで自己を喪失してしまうのではなく、「一体感」を持ち、「精進」出来る「子供」たちを育てる「教育制度」を確立することこそが、すべての問題を解決する為の入り口なのです。

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[参考]

気合いダァ!二〇〇連発!!―アニマル浜口 魂を揺さぶる熱きメッセージ集

イチロー思考―孤高を貫き、成功をつかむ77の工夫

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2007年09月29日

「教育」=「社会」

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(読売新聞より)

教諭が生徒3人に暴行

府中市立中校長らが謝罪

府中市立中学校で、体育科の男性教諭が27日、男子生徒3人に対してほおをたたくなどの暴行を加えていたことが28日、わかった。27日夜、この教諭と副校長が3人の家庭を訪問し、28日夜には校長も3人の家庭を回り、謝罪したという。

 市教育委員会によると、暴行があったのは27日午後3時20分ごろ。1年生の男子生徒が6時間目の授業後、同校プール脇の女子更衣室に入るなどして騒いでいることに気付いた教諭が注意したが、その際、生徒3人のほおをたたき、2人については足をけるなどした。そのうち1人は口の中を切るけがをしたという。

 同校は3人の家庭を訪問しての謝罪のほか、来週中には1年生全員を集め、教諭が謝罪する予定で、さらに保護者会で経緯を説明するという。

 市教委学校教育部指導室は「学校には体罰はあってはならないと指導してきただけに、まことに遺憾。生徒の心のケアなどに対し、誠意を持って対応したい」としている。

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以前、中学校の「剣道部」の稽古中に、生徒の腕に竹刀でミミズ腫れができ、その生徒の「親」が学校に怒鳴り込んできて、「剣道部の稽古で竹刀を使うのは危険だから、スポーツチャンバラの刀を使うべきだ!」と要求したという話を書いたことがありましたが、今回の「府中市」の生徒指導を巡る問題を見ると、「社会秩序の崩壊」が「大人」から「子供」たちへと伝播しているという実態以上に、「学校秩序の崩壊」が「社会」へと伝播している実態がよくわかります。

先日、「新社会人」の多くが、会社のルールを守れず、軽度のストレスでも仕事に対する熱意を失ってしまうので、優しく指導してあげる必要がある、と主張する「大学教授」のコメントが新聞に掲載されていましたが、その「新社会人」たちは、少し前に問題となった「学級崩壊世代」です。

そんな彼らを育て上げたのは、「府中市」の「教育界」の上層部にいるような人たちではないのか。

「女子更衣室」に侵入した「生徒」が、「罪」を問われ、深く「反省」することもなく「大人」になったらどうなってしまうのか?(殴ってもらったことに感謝もせず、謝罪を行わない生徒たちの親も問題です)

「戦後日本教育」に欠如しているのは「道徳」です。「国旗」や、「国歌」や、「家族」を巡る教育に異論があって、意見が纏まっていないとしても、「物を盗んではいけない」、「いじめはいけない」、「食べ物を大切にしなければいけない」というような教育は、直ちに徹底するべきです。

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[参考]

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2007年07月25日

「戦後レジーム」からの脱却なき「日本再生」など存在しない

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平等をモットーとする日本の学校の教えは、「人は生まれもって平等だ」という概念から逸脱し、「人は結果においても平等だ」「人の成績は平等だ」「人の成績に差はない」とまで大きくゆがんで行く。まるで、現実には存在しないユートピアのような社会が人工的に教室の中だけに作り上げられてしまったのだ。

 ところが現実には、こうした教室の中で生まれるのは、勝者=従順なサラリーマン候補と敗者=落ちこぼれの群れである。皮肉なことに、平等主義をうたう日本の教育システムは、こうした子供の二極分化を通じて、日本の社会の二極分化をうながす原動力になっている
」(ヴィットリオ・ヴォルピ)

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「格差問題」の「真の原因」が、「戦後日本」において「左巻き」たちが、「象徴」となってしまった「天皇」の代わりに祀り上げた「日本国憲法(奴隷・エゴイスト憲法)」や、「旧教育基本法(エゴイスト育成教育基本法)」や、その根幹を成している「個人主義(エゴイズム)」にあることを「隠蔽」しながら、

「生活維新」や、「格差是正」などと叫んでいるインチキ「政党」が存在します。最近は、そんなインチキ「政党」と「マスコミ」が「売国・亡国」の為に手を結び、「ネットカフェ難民」などという言葉を作り出し、「従軍慰安婦」を「捏造」した時と同様に「情報操作」、「印象操作」を繰り返しています。

その様子を「テレビ」や、「新聞」などで目にした人たちは多いと思いますが、「彼ら(ネットカフェ難民)」のことを、自分が経営者だったとしたら「雇用する」という人はどれくらいいるのでしょうか?

恐らく大半の人たちは「雇用はしない・・・」と答えることでしょう。そのような、経営者たちが「雇用」したいとは思えない人たちを大量に生み出したのが、「ヴォルピ」さんが指摘する「戦後左巻き欠陥教育」なのです。

現在の「格差問題」は、「制度」よりも「精神格差」を生み出してしまう「戦後日本」の体質そのものにあるのです。「右」に進むにしろ、「左」に進むにしろ、「真ん中」を進むにしろ、「戦後レジーム」からの脱却なくして「格差問題」の「真の解決」は絶対にないのです。

そうした実態から目を逸らし、隠蔽したままで、小手先(亡国のばら撒き政策)だけで「格差是正」を行おうとしている「政党」や、それに同調している「マスコミ」は、まず自らが「ネットカフェ難民」たちを積極的に「雇用」する必要があります。その作業を経ずして、「他人」に「ネットカフェ難民たちを雇用しろ!」、「フリーターを正社員にしろ!」、「最低時給を1000円にしろ!」などと押し付けるだけの主張は、「ヴォルピ」さんが指摘する「戦後左巻き欠陥教育」と同様の、「戦後左巻き欠陥政策」でしかないのです。

「ソ連や、チャイナや、コリアや、カンボジアは地上の楽園(ユートピア)である!」

という愚かな「情報操作」、「印象操作」を行い、多くの「罪もない人たち」を犠牲にした「過去」から何も学んでいない、インチキ「政党」や、「マスコミ」たちを絶対に許してはなりません。

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2007年07月03日

「大人」たちが変わらなければ「子供」たち=「未来」は何も変わらない

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(読売新聞より)

女子更衣室侵入と誤認…男性教諭、小6男児に“レッテル”


神奈川県小田原市の市立小学校の20歳代の男性教諭が昨年1月、当時、担任していた6年の男子児童の背中に、「僕は、女子更衣室に侵入しようとして失敗したおバカさんです」と、事実と異なる内容の張り紙をしていたことが2日、わかった。

 児童は翌日から約1か月間、学校を休んだ。

 市教委は「不適切な言動」として、同年6月、教諭と校長を訓告処分とした。教諭は今年4月から別の小学校に勤務している。

 市教委によると、教諭は昨年1月30日昼、女子児童から、「男子が女子更衣室に入ろうとしている」と告げられ、事実を確認しないまま、周囲にほかの児童もいる教室内で、着席していた男子児童の背中にサインペンで書いたA4判の紙を張り付けた。男子児童は泣き出したが、教諭は「泣いているんじゃないよ」と言った。

 翌31日朝、保護者が学校に抗議。校長は全面的に非を認め、教諭とともに謝罪した。教諭が女子児童に確かめたところ、更衣室に入ろうとした事実はなかったという。

 教諭は謝罪した際、保護者から、「家には来ないでほしい」と要請されたにもかかわらず、同日夕、児童が一人で留守番していた自宅を訪問。保護者はさらに不信感を抱いたという。

 学校側と保護者で話し合って児童は3月上旬から再び登校するようになり、無事卒業した。市教委の調査に対し、教諭は「軽い気持ちでやってしまった」と釈明しているという。

 県教委は同年4月に市教委の報告を受けたが、「人権に反する行為はあったが、児童も卒業し、保護者の感情も収まった」として地方公務員法に基づく懲戒処分にはあたらないと判断。教諭と校長について市教委が、同法に基づく処分ではない訓告処分とした。


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「教師」や、「親」たち=「大人」たちが変われば(代われば)「子供」たちも変わる。

「大人」たちは自らを変えることで「子供」たち=「未来」を変えることが出来ます。

その時代を生きる「子供」たちの姿とは、その時代を生きる「大人たちの心」の姿と同じです。

キレる子供、引きこもる子供、リストカットを繰り返す子供、いじめを行う子供、犯罪に走る子供、他人の迷惑を考えない子供・・・。

子供たちの姿は、元を辿ると全て「大人たちの心」に行き着くのです。

「自虐」、「反日」、「保護義務の放棄(憲法9条)」、「エゴ(旧教育基本法・日の丸・君が代拒否)」、「ご先祖様たちへの冒涜」、「非常識な権利の請求」・・・。

これらの「醜い大人」たちの姿と、いまの「日本」が抱えている「子供たちの問題」は完全に一致するのです。

「教師」や、「親」のあり方を変えていきましょう、考えましょう!と提言する「安倍内閣」と、

それに反対し、非難している「野党」や、「左巻き」たち。

そのどちらが本当に「日本」の為になることを行っているのか?

>神奈川県小田原市の市立小学校の20歳代の男性教諭が昨年1月、当時、担任していた6年の男子児童の背中に、「僕は、女子更衣室に侵入しようとして失敗したおバカさんです」と、事実と異なる内容の張り紙をしていたことが2日、わかった。(読売新聞より)

こんなに酷い「犯罪」を行った「糞教師」が、「訓告処分」を受けただけで、いまも教壇に立っている、そんな「日本」でいいのか?ということがいま問われています。

「戦後レジーム」からの「精神的脱却」なくして「日本の再生」は絶対にありえないのです。

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2007年06月02日

「努力」という価値の低水準化が「日本」を壊す

「夕方」から「翌朝」にかけて働いている「飲食店関係者」たちは、「仕事」が終わると、そのまま「朝」から「研修」を行い、ほとんど睡眠を取ることもなく、「翌夕方」から働くということはざらです。

「激しい競争」の中、日夜生き残りをかけて戦っている「飲食業界」は、そのようにして「最大効果」、「最大効率」を上げる為の「努力」を積み重ねているのです。

その中でも、「店を預かる立場」にある「店長」以上の役職についている人たちの努力は想像を絶するものがあります。

それに対して、「教育現場」における「店」である「学級」を受け持っている「教師」たちの努力はどれほどのものでしょうか?

これは「教育現場」だけではなく、多くの「公職」についても言えることですが、いまの「日本」における「公の努力」というものは、「民間」で言えば、「準備体操」のようなもので、はっきり言って「努力」と呼べるものではありません(社会保険庁で長い間続けられていた、45分働いて15分休憩する、という習慣はその象徴といえます)。

「安倍内閣」が進めている「教育改革」に反対の声を上げている人たちが、そのような声を上げることはありません。

「飲食関係者」にとって「店」とは、「従業員の為」にある以上に、「お客様の為」に存在しているものです。

「お客様の為」に「最高のサービス」を提供することによって、「給料」を得ているのが「飲食関係者」なのです。

では、「学校」はどうなのか?

「子供」、「教師」、「国民」。

「週休二日」や、「反日教育」や、「競争否定教育」や、「上下関係否定教育」や、「徳育否定教育」などは「誰の為(誰が最優先されるべきなのか)」にあるのか?

これらの「教育方針」はどれもが「民間社会」に出たら「通用しない人たち」を育てるものでしかありません。

「教育」とは、「学校」とは「誰の為」にあるのか?

「教育」とは、「学校」とは「今だけの為」にあるのか、「今と未来の為」にあるのか、「過去と今と未来の為」にあるのか?

「教育」について考える際に「一番大切」のことはそこにあります。

「子供たち」にとっても、「教える側」にとっても、「国全体」にとっても、明らかに「マイナス」とわかる批判を繰り返している人たちは、「日本」を「破滅」へと導く存在でしかありません。

「壊れ行く日本」。

その元凶は、「努力をしない教師」、「努力をしない大人」たちにあります。

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2007年04月11日

「公」の再生なくして「平和」なし

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「日本人にとって自然を愛することは国の宗教のようなものである。子供たちは、ごく幼いときから石や植物や虫を愛することを教えられる。私が、言葉よりも正しい意味において「愛する」と言っていることに注意してほしい。実際、それは愛であって好感とか愛着というものではない。日本人が同胞たる植物に向ける愛は、心優しく生気あふれる真実の愛情である。仏教説話の神髄を滋養としてきた日本人は、木の枝が憂いに沈んだり、野の草が苦しんだり喜んだりする心が隠されていることを知っている。こういうことがすべて、幼児の感性を育てるうえで素晴らしい教育となっている」(エンリケ・ゴメス)

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連続9件もの「放火」を行った「くまぇり」こと「平田恵理香」に対する「刑罰」がたったの「10年」であることには驚きましたが、「フェレット」をはじめとする「動物」たちを「虐待(殺戮)」し、「ネット」に画像を公開していた、神奈川県厚木市在住の「森山慎一」に対する「刑罰」は「執行猶予付き」でしかないようです(フジTVでは本人の「どうせ執行猶予が付く」という書き込みを紹介していました)。

「人類」の「不必要な殺戮の歴史」は、数十万年前に開始された「火」を利用した「狩猟」や、「バイソン」などに対する「殺戮」を目的とした「狩猟ゲーム」から始まり、数千年前に始まった「環境変動」によって、「厳しい環境下で生活を送らざるを得なかった不幸な人々」の「人間>自然」という「不自然な思想」によって花開いたものです。

「自然」から切り離され、「過去」から切り離され、「公」から切り離されることによって、「人類」=「人間」たちは「不自然な個人」としての歴史を刻み込み始めます。

「毛沢東」や、「スターリン」や、「ポルポト」や、「金正日」などという「ただの個人」の為に、「数億人」もの「尊い命」が奪われてしまった「負の歴史」も、「個人」というちっぽけな存在に対する「幻想」が生み出したものです。

冷静に考えれば、「金正日」という「個人の命」が「数百万人のコリア人の命(アメリカ人なども含む)」に相当するはずがありません。

しかし、そんな当たり前のことをわからなくさせてしまうのが「個人主義」なのです。

いまの「日本」には「人命は地球よりも重い」という言葉を好んで使う「人種」が存在しますが、そのような思想は根っ子の部分では「金正日」などと完全に繋がっているのです。

「戦後日本」で行われた「個」に基づいた「人権・平和教育」の類の殆どは、実際には「人命」や、「平和」を破壊するものでしかないことを「国民」たちは理解する必要があります。

「崩れ行く人類」、「崩れ行く自然」、「崩れ行く動物たち」、「崩れ行く地球」。

そんな「世界」を救う為には「原点回帰」が必要です。「人類」は自らの「産みの親」である「身体」、「自然」に帰るべきなのです。

「平田恵理香」や、「森山慎一」の行ったことは、「公」=「生命の集合体」に対する「攻撃」、「破壊」行為です。

「安倍内閣」は、「公教育」を再生させると共に、「公に対する罪」の取り締まりや、罰則を強化を更に推進するべきです。

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2007年03月21日

「いつまでもいると思うな親とアメリカ」

「いつまでもいると思うな親とアメリカ」

今日は、「標語」から入りましたが、いまの「日本人」、特に「若者」たちに必要な気構えというのはこのようなものなのではないでしょうか。

自分は、「個人」として生きる為の「個立」は必要ないと思いますが、自分と、大切な人たち(もの)を守れる「人間」になる為の「自立」は必要だと思っています。

これから相次いで行われる首長選挙の大きな争点に「高福祉」があります。

「高福祉」を実現するのか、どうかということは、「親」や、「アメリカ」との関係と同じで、これからの「日本人」に大きな影響を齎すことになるでしょう。それは、

「安心感」と「依存」と「堕落」と「虚無感」

です。「高福祉」も、「親」も、「アメリカ」も自分の側にいてくれれば非常に心強いものであり、「安心感」を与えてくれるものです。

しかし、その関係が必要以上に「密接」になりすぎてしまえば、「依存」と「堕落」を生み、その人を「ダメ」にしてしまう大きな要因となり、更には、「自力」を封じ込め「虚無感」まで生み出していまいます。

「アメリカ様」のお世話になっていながら「反米活動」や、「憲法九条を守れ!」などと言っている「左巻き日本人」や、「韓国人」たちは、「ダメ個人」の象徴であり、この世の中で最も「恥ずかしい人」たちでしょう。

そして、そのような人たちを作り上げた「ダメ社会」が生み出しているのが、「ニート」や、「プロ市民・左巻き」や、「生活保護詐欺」や、「在日コリアン特権」などです。

「親」に「恩返し」していないのに「親」に要求をする「ニート」

「国」に「貢献」していないのに「国」に要求をする「プロ市民・左巻き」

「国」に「貢献」していないのに「国」に要求をする「生活保護受給者」

「日本」に「依存・寄生」しているのに「日本」に文句を言う「在日コリアン」

これらの人たちに共通しているのが「感謝の気持ち」を持っていないということです。

それは彼らが「他人の気持ち」がわからない「個人」、「エゴイスト」だからです。

では、彼らはなぜ「そんな人」になってしまったのか?その答えは、「他人を助けている人たちの努力や、苦労」を知らないからです。

彼らは、自分が貰っている「お金」が、「国(親)」から渡されたものだと思っている、しかし、彼らが手にしている「お金」は、何百万人、何千万人、ご先祖様たちも含めたら何億、何十億人という人たちの「人生の結晶」です。

「自分は他人に生かされている」

彼らにはそのような「おかげさま」や、「感謝の気持ち」が全くありません。そして、それは「役人」や、「政治家」たちも同じでしょう。

彼らも、「税金」を無駄遣いする「役人」や、「政治家」たちも、「給食費」を払わない「保護者」たちも、根は同じです。

「個人」、「エゴイスト」・・・。

「いつまでもいると思うな・・・」の「いると思うな」には、三つの意味が込められていると思います。

一つ目は、「いつまでもいないのだから頼らずに、自立しなさい」という意味。

二つ目、「いままでお世話になったのだから、自分も同じように立派になって、他人を助けられるような人間になりなさい」という意味。

三つ目は、「だからたくさん感謝して、恩返ししてあげなさい」という意味。

この三つの意味の中の、一つ目は「個」を育み、二つ目と、三つ目は「公(人間性)」と「個」を育むものです。

いまの「日本の大人」たちが、「子供」たちに教えているのは、この中の一つ目のことばかりです。だから「社会」に「エゴ」が溢れ、「個人」と「個人」が傷つけ、騙し合うものになってしまっている。

そんな「日本」に必要なのは、「左巻き」の育てようとしている「個立(弧立)」した「個人」ではなく、「感謝の気持ち」を持ち、「他人」を助けてあげるだけの余裕のある、「自立」した「人間」です。

「捏造・従軍慰安婦」問題は、「日本」が「アメリカ離れ」を行い「自立」する機会にしなければなりません。

「国民」たちがそのような気持ちを持った時、「安倍総理」や、「石原都知事」が進める「自主独立」を成し遂げる為の「教育改革」や、「憲法改正」が「真の光」を放つのです。

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*先日、自分の働いている職場に、ある、おばあさんとその娘さんが来てくれました。その、おばあさんは病院に通院する為に、定期的に、静岡から東京へ泊りがけでやってくるのですが、その、おばあさんから、この間、「みなさんへ」ということで和紙で作った手作りの楊枝入れ頂きました。

その、おばあさんは、亡くなった自分のおばあさんにそっくりなので会う度にホロッと来てしまうのですが、

そんな出来事があったので、「ドラえもん」の「おばあちゃんの思い出」という話をもう一度見てしまいました。

「おばあちゃんの思い出」

http://www.youtube.com/watchv=EKWFbqkcYiY&mode=related&search=

http://www.youtube.com/watchv=e7OO9zaMmo&mode=related&search=

http://www.youtube.com/watchv=e7OO9zaMmo&mode=related&search=

「アメリカ」では、「ドラえもん」は「子供たちの自立心を奪ってしまう」ということで放送できていないそうですが、本当にそうなのでしょうか。「おばあちゃんの思い出」という作品は、30分という短い時間に、「人間」が生きて行く上で、「本当に大切なこと」がたくさん詰まっている気がします。

[参考]

映画ドラえもんのび太の結婚前夜/おばあちゃんの思い出・藤子 不二雄F(著)

日本人の美点―子や孫に伝えたい、美し国の知恵と発想力・樋口 清之(著)

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posted by スーパー原始人 at 17:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月16日

「北海道民」たちが、「左巻き」の支配から脱却するのは今しかない

「菅・柳沢発言」、「犯罪」、「いじめ」、「自殺」、「売国」、「自虐」、「脱税」、「汚職」等々。

それらの問題は、全て「教育」問題です。

「教育の再生なくして日本の再生はなし」

「米国」の「絨毯爆撃」や、「原爆」による「日本」に対する「ホロコースト」で、ボロボロになった「日本」が再び立ち上がることが出来たのは、「戦前の日本人」の「質」が非常に高かったからです。

「質の高い日本人」の存在を「敵国」は本当に恐れています。

だから彼らは、「占領政策」や、「左巻き」を利用して、「戦前の日本人は最低だった」という「嘘」を刷り込み、「教育」や、「報道」などを通じて「日本人」の「思考」を「単一化(愚民化)」させることに力を注ぎ続けてきました。

その結果として、いまの「日本」は「政界」、「教育界」、「財界」、「マスコミ」と、「国」の「基幹部」に「売国奴」たちが溢れかえってしまっています。

そんな「腐りきった戦後日本」を、「根本(教育)」から変えようとしているのが「安倍内閣」です。

「教育基本法」と「憲法」という「戦後日本人の精神」を腐敗させた「根源」の改正を「安倍内閣」が最大の目的としているのは、「教育」=「精神」の再生なくして日本の再生は絶対にありえないからです。

「教育」を再生し、「質の高い日本人」を育てておけば、この先、「日本」が、どのような「失敗(敗戦)」を犯しても、再び立ち上がることが出来ます。

しかし、「教育」の再生が為されず、「質の低い日本人」のままで、「失敗(敗戦)」を犯せば、再び立ち上がれる保障はありません。

いまの「日本」に最も必要な改革は「教育改革」です。

先日、「いじめ調査」を妨害した「売国集団・北教組」が、今度は「学力テスト」の妨害に乗り出しました。

〜〜〜
(北海道新聞より)

全国学力テスト 北教組非協力を指示 全支部に「格差拡大の恐れ」
 
 北教組は十四日までに、文部科学省が四月に約四十年ぶりに実施する「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)へ協力しないことを決め、道内の全二十一支部に指示した。  全国学力テストは、小学六年と中学三年を対象に、国語と算数(数学)で実施。学習環境なども調査する。北教組の小関顕太郎書記長は非協力の理由を「授業がテスト対策偏重になりかねないほか、結果が学校評価に利用され、教育格差を拡大する恐れがある」と説明している。実施当日の対応は協議中という。 これを受け、北教組各支部や分会は各市町村教委や学校長に非協力を通知した。小樽では、各校の北教組分会が、非協力の通知と、全国学力テストを行わないよう学校側に求める署名簿を校長に提出。受け取りを拒否した中学校長は「口頭で非協力の理由などを告げられたが、すでに実施は決まっているので、北教組の求めに応じることはない」と話している。


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自分の「美点」と「欠点」を把握していない人は、本来の「実力」を発揮できず、「成長」も止まってしまいます。

「北教組」の行っていることは、「北海道の子供たち」を、自らの都合通りに動く「操り人形」にすることです(彼らは、国がそのように動いていると批判していますが、実態は全く逆です)。

そのやり方は、「日本人」から「真の歴史」を奪い取った「GHQ」の「占領政策」と同じです。

「子供」たちを愛する「北海道民」たちは、「教職員組合」と「マスコミ」と「政治家」たちが一体となって行っている「北海道民愚民化工作」を許してはなりません。

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[参考]

日本解体―「真相箱」に見るアメリカGHQの洗脳工作・保坂 正康 (著)

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2007年01月24日

「子どもたち」を必死に守ろうとしている「安倍総理」と、簡単に見捨てる「教職員組合所属教師たち」

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(共同通信より)

安倍晋三首相は、いじめへの対応や環境戦略の策定を相次いで関係閣僚に指示、25日召集の通常国会に向け指導力をアピールしている。(略)

首相は22日、いじめをした児童・生徒への出席停止措置を現行法の活用で実施するよう伊吹文明文部科学相に指示した。通常国会では、教育再生関連法案の成立を目指す構えだが、いじめ対策でのスピード感を示したい考えとみられる。


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「安倍総理」が「いじめ対策」や、「教育改革」を急いでいるのは、「共同通信の単細胞記者」が言うような、「指導力をアピールする」為や、「スピード感を示したい」為ではないことは、「過去」の「安倍総理」の「著書」や、「言動」を見れば明白です。

そのことは「新聞記者」ならば誰もが知っているはずです。しかし、その事実を隠蔽し、捻じ曲げ、「国民の意思」を「私事」で「ある方向」へと誘導しようとしている「マスコミ」関係者たちは、「私的」に活動を行うのならまだしも、「高い公(公平・公正・公共性など)」が求められる「報道」に携わる資格はありません。

「いじめ」問題を含めた「教育」問題は、その主対象となる「子どもたち」にも、色々なタイプがいて、数も膨大なものですから、一つの「対策」や、「法案」で全てがよくなったり、大幅な改善成されることは無いでしょう。

「左巻き」や、「反安倍派」たちは、

「教育基本法を変えただけで全てがよくなるのか!」

などと騒ぎ狂っていますが、そのようなセリフは、「安倍内閣」のように「行動」を起こし、「具体案」を提示した人たちだけが言えるものであるのと同時に、「複合的」な「社会」=「公」の出来事を、「単」=「個」に結び付けて考える愚かなものでしかありません(「ポエム」の公表を、「行動」だと言った「日教組」は国民を愚弄し過ぎです)。

一度「暗の方向」へと向かって生まれた「流れ」は、「明の方向」に目を向け、「変える!」という強い意志を持って、動かない限り変えることは出来ません。

「明」と「暗」を「川」に例えると、「明」とは「上流」にあるもので、「暗」とは「下流」にあるものです。

「人」が「明」=「明るい未来」を手にしたかったら、「流れ」に負けない「力」を身に付ける為の努力が必要です。

しかし、「暗」=「暗い未来」を手にする為には「努力」はいりません。何もしないで流され続ければいいのですから。

ここ最近の「日本」の「社会」を見ていると、「アクション」を起こし、「努力」しているのは、常に「与党」や、「保守」たちで、「野党」や、「左巻き」たちはその「アクション」に対して「ただ反対する」だけです。

「反対する」というと、「努力」をしていたり、「流れに逆らっている」ような印象を受けますが、「反対」にも「二種類」あって、「ただ反対する」のと、「反対して自らの意見を示す」ことは全く別のものです。

「野党」や、「左巻き」のように「ただ反対する」だけならば、「かかし」や、「ロボット」を椅子に座らせておけば十分です。彼らの存在は「無駄」=「マイナス」でしかありません。

「私」のことしか考えず、「努力」もせず、「言い訳」を繰り返し、「愚痴」を言っているだけの人たちの存在が、どれだけ多くの「国民」たちを傷つけ、時として「命」や、「人生」までをも破壊しているのか、ということについて、「国民」はもっと敏感になる必要があります。

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(読売新聞より)

「いじめ調査に協力するな」北海道教組が支部に通達

北海道教育委員会が昨年12月に行ったいじめ実態調査に対し、北海道教職員組合(北教組)が道内全21支部に、協力しないよう「指導」していたことが23日、明らかになった。

 多くの学校では協力したものの、小樽市では、教員が調査回答や回収を拒否。このため市内の一部の学校では校長が保護者に直接、回収協力を求める事態になった。

 北海道では昨年9月、滝川市の小6女児のいじめ自殺が発覚。道教委は同12月、いじめの実態把握などのため、札幌市教委が独自にいじめ調査をした同市立小中高校生を除いた、全道の小中高生と教員計約46万人を対象に調査を行った。児童生徒にはいじめられた経験やどんな行為をいじめと思うかなどを尋ね、教員には、いじめに対処した経験などを聞いた。

 小樽市教委によると、実施前、北教組小樽市支部から「協力できない」と通告された。「現実と向き合い、調査結果を指導に生かすことが必要」と説得したが、支部側は「調査結果がどのように使われるか不透明」「調査を実施することでいじめ問題が早期に解決するかどうか見えない」――などとして協力を拒否したという。教員らが協力を拒否した学校では校長、教頭が回収を代行。市教委は昨年12月26日までに全校から回収したが、教員からの回答率は3割にとどまった。

 北教組本部の小関顕太郎書記長は読売新聞の取材に対し、調査への組織的な非協力を文書で指導したことを認め、「いじめの実態は学校現場で把握し、対応している。全道一律の調査は必要ない」などと話している。


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「こいつら(北教組)」がやっていることは「学校」と、「教育」と、「子どもたち」の「私物化」です。

>「いじめの実態は学校現場で把握し、対応している。全道一律の調査は必要ない」

「学校現場」だけで対応が出来るのならば、「いじめ」や、「自殺」や、「登校拒否」や、「学力低下」は既に「克服」出来ているはずです。

しかし、日に日に「複雑化」が深化している「現代社会」において、「教育」は「教職員組合」が取り仕切るという「日本史上最も集約化(私物化)された教育方法」では、様々な問題には対応することは出来ません。

だから「安倍内閣」は、「日本社会」に所属している「あらゆる層の人材」を集めて、知恵を出し合って、「教育」を再生しようとしているのです。

「腐りきった戦後日本教育」を必死になって再生しようとしている「安倍内閣」とその「協力者」たちと、何もしない「北教組」。

そのどちらを「国民」は支持するのか。

>「調査を実施することでいじめ問題が早期に解決するかどうか見えない」

「北海道」の人たちは、このような主張をする人に「子どもたち」=「未来」を預けられるのでしょうか。

「早期」に解決出来ないからこそ、「早期」に動く必要があるはずです。「北海道」では去年9月に生徒が自殺しているのです。

「北教組」の人たちは、「子どもたちを戦場へ行かせない!」などと主張する前に、自らの「エゴ」で、「学校」が「戦場」と化してしまっている現状に目を向けるべきでしょう。

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[参考]

「日教組」という名の十字架・小林 正 (著)


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2007年01月06日

「身に付ける教育」の復活が「日本」を救う!

一度「泳げる」ようになった人や、「自転車に乗れる」ようになった人はなぜその「技術」を忘れないのか?

それは「身体で覚えた」からです(中には忘れてしまう人もいますが)。

「身体で覚える」

いまの「日本の教育」には「身体」が欠如してしまってします。

「身体で覚えたこと」。だから「身に付く」と言います。「技術」とは「身に付いた」時、はじめて「活用」が出来るものです。

だから「学習」とは「身体」で行うべきものなのです。

「身体で覚える」ことの代表は、何と言っても「スポーツ」や、「武道」ですが、「身体で覚える」ことが必要なのは「運動系」だけではなく、「文系」や、「理系」や、「家事」なども同じです。

「身体で覚えること」の重要性については、評論家の「フランソワーズ・モレシャン」さんがこのように言っています。

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「今の子どもたちがかわいそうなのは、鉛筆やボールペンで文字を書いたり、最近ではワープロで文字を打つことです。それでは漢字の魅力は70パーセント落ちてしまいますね。筆で書くと、太いところ、細いところがあり、人の腹式呼吸と同じなんです。世界のアートがわかるためには、文章もそうです、絵もそうです、着物のデザインもそうですが、みな腹式呼吸の問題だということを理解しなければなりません。そういう意味で、漢字の書き方は、人の生き方、人生にすばらしく近い。漢字を知って、それをとても感じました」(三人寄ればニッポンが見える・モレシャン)

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「モレシャン」さんの言う「腹式呼吸」は「身体感覚」を「身に付ける」上で切っても切れない関係にあります。

「日本文化」の「奥義」や、「極意」や、「仏教」の「悟り」なども「腹式呼吸」を通じなければ「身に付け」られないものばかりです。

「腹式呼吸」、「身体感覚」=「生命力」

と言っても差し支えはありません。「幼い頃」は「明るく」、「活発」だった「子ども」が、年齢を重ねると共に「生気」を失って行ってしまうのは、いまの「日本の教育」、「日本の社会」が余りにも「身体軽視の社会」となってしまったからなのです。

そのことがわかっていない「学識者」の提唱する「心の教育」が全く成果を上げられていないのは、「心」と「身体」は「一体」であることを「理解(体感)」したことがないからです。

「リストカット」などは、そのような「身体軽視の社会」が生み出した典型的な「病」ですが、最近問題となっている「いじめ」や、「自殺」や、「虐待」や、「学級崩壊」なども、「自分の身体を軽視(無視)し続けた反動」でもあるのです。

「身体」とどのように付き合っていくのか。

そのことは最終的には、「戦争」や、「環境破壊」などにも通じる、非常に重要な問題です。

いま「日本」の「教育現場」では、「書道」のような「身体感覚」と「感性」を養う為の授業時間を増やさずに、「パソコン」や、「外国語」や、「株取引」などの授業時間が増やされています。

本当にそれでいいのか。

「人」が生きて行く為に本当に必要なものは何なのか。

もう一度、真剣に考える時が来ています。

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*プロボクサー「平成のKOキング・坂本博之」選手が本日「引退試合」を行います。興味のある方は、坂本選手の「人生」、「生き様」をぜひ目に焼き付けてください。

「坂本博之引退試合」

日本テレビ ・1月6日(土) 26:20〜27:20

「坂本博之ブログ」

http://ameblo.jp/sakamoto-hiroyuki

[参考]

三人寄ればニッポンが見える―エレガンス・老いと死・ユーモア・アルフォンス デーケン , フィリップ グロード , フランソワーズ モレシャン (著)

身体から革命を起こす・甲野 善紀, 田中 聡(著)

身体知-身体が教えてくれること・ 内田 樹, 三砂 ちづる(著)

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posted by スーパー原始人 at 13:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする