2008年07月05日

心の社会・日本

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「英語には、固有名詞以外でつねに大文字で書かれる言葉が一つある。

「私」だ。

日本語では自己に関する言葉や表現はすべて格を落し、かわりに相手を意味する言葉にはすべて尊敬の接頭語やら特殊表現が用いられる」(ロレンツ・ストゥッキ・心の社会・日本―ヨーロッパは日本に何を学ぶかより)

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「チャイナ共産党」による「チベット人大虐殺」を無視する「左巻き」

「サミット」に「テロリスト」を入国させようとする「左巻き」

「過激派」と一体になって活動を行う「左巻き」

「朝鮮」に「拉致」された「日本人」の存在を無視する「左巻き」

「私」=「エゴ」を何億個、何十億個集めようと、そこに生まれるのは「私」と「私」の「対立」だけです。

「私」を主体とした「社会」が生み出す膨大な量の「無駄」が「世界(社会)」を蝕んでいます。

「新幹線(鉄道)」に落書きをして「社会」に迷惑を掛ける人

「ネット新聞」で出鱈目な反日情報を垂れ流して「社会」に迷惑を掛ける人

「年金」を盗んだだけではなく、他人に窃盗の罪を擦り付けて「社会」に迷惑を掛ける人

「私腹」を肥やす為に、日本国民たちに還元されるべき税金を、外国にばら撒き迷惑を掛ける人

「左巻き」が推進した「家族」や、「社会」や、「伝統文化」や、「性別」の「解体」

「裁判員制度導入」や、「弁護士増員」

「日本国憲法下の日本」に溢れる「争い」は、かつての「日本」に存在した「争い」の数の数千倍、数万倍に大増加していることに気付いている「国民」はどれだけいるのでしょうか。

「争い」が増えたから「裁判員制度導入」や、「弁護士増員」が必要になったのではなく、「裁判員制度導入」や、「弁護士増員」を求める「エゴ」が「争い」を増やしているのです。

「裁判員制度導入」や、「弁護士増員」が実現されれば、ただでさえ大増加してしまっている争いは、更に大きく数を増やすことになるでしょう。

今日行われた「朝鮮に拉致された日本人」を救出しようとしている人たちの集会は、「日本国憲法という狂気」=「究極のエゴイズム」とは対極を為す「和心」を持った人たちの集まりです。

「左巻き」や、「アメリカ」の「エゴ」と「狂気」を野放しにしてきた結果、いまの「日本」は、一人ひとりの「国民」が、「私的国家」となり、「武装」し、自らの「命」と「財産」を自らの手だけで守らなくてはならなくなりつつあることに、「国民」たちは大きな危機感を抱かなくてはなりません。

「和」を含まない「私」と、「私」を含んでいる「和」

「私」か、「和」か。

「国民」たちの選択が未来を決めるのです。

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〔引用・参考〕

心の社会・日本―ヨーロッパは日本に何を学ぶか・ロレンツ・ストゥッキ (著)

子どもが育つ江戸しぐさ・越川 禮子 (著)

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2008年07月03日

脱「アメリカ」と脱「左巻き」

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「日本が世界に誇るべき「文化的特殊性」とは、昔から盗賊がいないことであった。嘘だけでも「泥棒の始まり」だと、親が子に教えるのだ。 古代日本人は「窃盗せず」ということで"匪賊の国"中国に驚嘆されている。(略)清貧を名誉と重んじ、世間のことを気にする日本人だからこそ、泥棒を恥としているのだろう」(黄文雄・日本人よ、自分の国に誇りを持ちなさい―世界モデルとしての日本論より)

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小学校で「英語」を教えている「暇」があるのならば、「やってはいけないこと」をしっかりと教えるべきです。

「日の丸」や、「君が代」どころか「国家」や、「国籍」という「社会」を成立させる上で絶対に欠かすことが出来ない「共有認識」を、徹底的に拒否し、「社会」を破壊することで、「国民」たちを不幸にし続けてきた「左巻き」たち。

そんな「左巻き」たちの数え切れないほどの「暴挙」によって、「日本社会」は、「犯罪者」や、「暴力主義者」たちばかりが「得」をする「腐った社会」に成り果ててしまいました。

「歴史偽装」、「食品偽装」、「耐震強度偽装」、「偽装弱者」、「偽装差別」・・・。

まじめに生きている「国民」たちや、ささやかな幸せを求めて生きている「国民」たちが、ありとあらゆる形で「犯罪」の脅威に晒されながら生きなければならなくなった「日本国憲法下の日本」

そんな「社会」を「左巻き」たちは「平和である」と言いますが、「個人」と「個人」が、「騙し」、「傷つけ」、「殺しあう」社会のどこが「平和」なのでしょうか。

アメリカ人コンサルタントの「スティーヴン・ナッシュ」さんは、

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「アメリカは、莫迦げているとしかいいようのないような訴訟社会を、陪審制という民主的な偽装の下に作り上げてきた」(スティーヴン・ナッシュ・日本人と武士道より)

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と言っていますが、いまの「日本」が進んでいる道は、「アメリカ」と「左巻き」たちが求めている「莫迦げているとしかいいようのないような訴訟社会」への道なのです。

「国民」たちは、「裁判員制度」や、「弁護士増員」や、「人権擁護法案」などの成立がどのような「地獄社会」を作り出すのか、ということをしっかりと認識しなければなりません。

最近、「モンスターペアレント」という言葉が大きく取り上げられていますが、いまの「日本社会」に「モンスター」が溢れかえってしまっているのは、「アメリカ」と「左巻き」たちが「エゴ」を「自由」と偽装して、「日本社会」に垂れ流し続けているからなのです。

かつての「日本」が、「欧米型植民地」とは全くことなる「日本型植民地」を作ったように、いまの「日本」には「日本型民主主義」が必要です。

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〔引用・参考〕

日本人よ、自分の国に誇りを持ちなさい―世界モデルとしての日本論・黄 文雄 (著)

日本人と武士道・スティーヴン ナッシュ (著)

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2008年06月07日

「日本国憲法下の公」=「私」は「国民の敵」

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「外務省は、流用・横領の金額が100万円単位だったら懲戒免職、10万円単位ならクビにもならない。外務省に刑事告発されても、流用したカネを返納しているからと、起訴猶予になった者もいた」(元外務省課長補佐・小林祐武・私(ノンキャリア)とキャリアが外務省を腐らせました -汚れ仕事ザンゲ録より)

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連日、「マスコミ」が大きく報じている「役人」たちの「税金の無駄遣い(汚職)」。その一方で「マスコミ」が殆ど取り上げない「広島」で発覚した「食品偽装」

「放火犯」のようにただ「国民」たちの「心」に「怒りの火」を点けては、「問題」を放置し、「視聴率」と自らの「私利私欲」の為だけに動いている「マスコミ」のあり方こそが、「日本国」に「社会問題」が山積している最大の要因です。

以前、「外務省」の「ハイヤー(タクシー)代」の水増し請求による「裏金作り」が発覚した時、「マスコミ」は今回の問題の時と同じように、「瞬間的」に、「大外務省批判」を展開しました。

しかし、その後、「マスコミ」は、次の「大きなネタ」が見つかると「外務省汚職問題」など無かったかのように、報道することを止め、「国民」たちの記憶から「外務省汚職問題」は消え去ってしまいました。

その結果が、今回の「役人」たちによる大量の「税金の無駄遣い(汚職)」の発覚です。

繰り返される「過ち」

「役人」たちの「汚職」の被害に遭うのはいつだって「国民」たちです。今回の「汚職」の発覚を受けて、「国民」たちが、前回の「汚職」の発覚時と同じく、「マスコミ」に踊らされ、「役人」と「マスコミ」の「情報操作工作」に引っかかってしまえば、また「同じ過ち」が繰り返されることになるでしょう。

「年金」を「公務員労働組合(公務員)」が盗んでいたことが発覚した時、「マスコミ」と「公務員労働組合の御用聞き政党である民主党」は、

「盗んだ年金」を「消えた年金」と言い換え、

「消えた年金」を「宙に浮いた年金」と言い換え、

自らの「責任」を、「安倍総理(当時)」に「擦り付け」て、問題の本質から「国民」の目を逸らし、問題の解決をより困難な状態にしてしまいました。

「役人」も、「マスコミ」も、「政治家」も「国民の敵」である。

そんな意識を「国民」たちがしっかりと持たない限り、「国民」たちはこれからも犠牲になり続けるのです。

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〔引用・参考〕

私(ノンキャリア)とキャリアが外務省を腐らせました -汚れ仕事ザンゲ録・小林祐武(著)

官僚国家の崩壊・中川 秀直(著)

霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」・高橋 洋一 (著)

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2008年05月30日

「エゴ」の代償

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ゴールを決めた選手だけが素晴らしかったために試合に勝ったわけではない。ラストパスを送った選手、ボールを奪った選手など、ゴールをあげるまでの過程には多くの選手が絡んでいるのだ。 つまり一人で勝ったなどという試合はあり得ないということだ。チーム全員が勝利者なのだ。個人のエゴなど邪魔でしかない。権利とエゴを勘違いするのは論外だ。一人ひとりがエゴを権利だと主張しだしたら、チームはバラバラになってしまうだけだ」(元サッカーブラジル代表・ドゥンガ)

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「卒業式」に乱入して「日の丸・君が代反対!」と叫び狂って、生徒や保護者たちの一生に一度の大切な思い出をぶち壊す「エゴ」

「卒業式」や、「入学式」で、「日の丸・君が代」に敬意を表さない「エゴ」

「国」を守る為に懸命に働いている人たちを蔑ろにして、「憲法九条が平和を作ったんだ!」と主張する「エゴ」

「侵略者」や、「犯罪者」に他人を売り渡し、自分だけが助かる為に「無防備都市宣言」をしたり、「防犯強化」を妨害する「エゴ」

たった一人の「エゴイスト」の存在が、数百人の思い出を一瞬でぶち壊した「狂人左巻き」による卒業式乱入事件。

そんな「エゴ」が肥大化した先に待っているのが、「麻原彰晃」や、「キム・ジョンイル」や、「モウ・タクトウ」や、「スターリン」という「虐殺鬼」たちなのです。

「強盗」、「強姦」、「詐欺」、「殺人」、「脱税」、「不法投棄」、「公金横領」・・・・・

すべては「エゴ」の放置が生み出している。

「社会」が誕生したのは、「エゴ」によって「無駄な犠牲」を生み出さない為です。

「掟」、「教義」、「法律」、「道徳」、「伝統」、「文化」、「迷信」等々

「争いの歴史」から「先人」たちが学び、生み出したものたちをもう一度見直すべき時がきています。

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〔引用・参考〕

PROFESSIONAL勝者の条件―勝ち残る者と敗れ去る者の違いとは・ドゥンガ(著)

江戸の遺伝子―いまこそ見直されるべき日本人の知恵・徳川 恒孝 (著)

修身教授録―現代に甦る人間学の要諦・森 信三 (著)

「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは

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2008年05月13日

「日本国憲法下の日本」=「日本人が最も冷たくなった時代」

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経済力だの技術革新だのは、もしそれが転じて政治活動とならないならば、一個の甘餌にすぎません。なるほど、いまだに日本の侵略の害を言い立てる国々があることは、私も知らないではありません。しかし、むしろ、恐れるがよろしい。日本の存在意義が、もしも車やテレビを彼らに売りつけるためだけであると彼らが知ったなら、それこそは到って新たなるジャパン・バッシングの火種になりかねないということを。 日本の政治家たちは何をしているのでしょうか。日本の経済力を元に、そこから政治的光芒が輝き出て、これが圧制や金権主義からの解放のために役立ってほしいと、いかばかり人類が念願しているか、そのことが彼らには分かっていないのではないでしょうか。日本の伝統文化、それらの秘宝を、どのように彼らは役立てようとしているのでしょうか。いずこの民族においても生命は統一体とされ、とすれば、霊性革新なくして政治革新はありえない道理であるにもかかわらず-であります。 日本の皆さん、いまこそ自分自身を取りもどすべき時なのです!」(オリビエ・ジェルマントマ)

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「フジテレビ」の調査(首都圏の成人男女500人を対象に電話調査)によると、「福田政権の対中国政策を支持しますか?」問いに、「国民」たちは、

評価する 26.0%  評価しない 59.8%

という評価を下しました。

「パンダ外交」

「ピンポン外交」

「チャイナ人サクラ大量動員」

「日本」で、「世界」で、「チャイナ共産党」や、「チャイナ人」たちによる「チベット人大虐殺」や、「毒食品」や、「世界各地での独裁政権支援」や、「資源侵略」や、「犯罪の大増加」が問題とされている中、

「パンダ」や、「ピンポン」で、「国民」たちの目を、問題から逸らし、逆に、問題の解決を妨げる、ような「政治姿勢」に「国民」たちが怒るのは当然と言えます。

「目先の金(利益)を得る為に、魂を売り渡す守銭奴たち」

「チャイナ人」と同レベルの「精神水準」にまで成り下がってしまった、「福田総理」や、「野党」や、「財界人」たちが、「ジェルマントマ」さんや、「世界の平和を愛する人たち」が、望んでいる「日本力」を、「圧制」や、「金権主義」からの「解放」の為に役立てること、など不可能なのです。

「日本人の精神」をただひたすらに腐らせ続けてきた「日本国憲法下の日本」では、「学校」や、「マスコミ」や、「政治家」たちからは学べないこと、にこそ、「日本」と「世界」に「平和」を齎す「知恵」があるのです。

「フリーチベット」や、「毒食品」問題に見られる「日本人の公の精神」を更に発露する為にも、「日本国民」たちは、「ジェルマントマ」さんの言葉に耳を傾け、「自分自身」を取り戻さなくてはなりません。

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〔引用・参考〕

日本待望論―愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙・オリヴィエ・ジェルマントマ(著)

独走する日本―精神から見た現在と未来・日下 公人(著)

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2008年02月03日

「安全」は「個人主義」から壊れる

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「マクドナルドの低価格戦略が他の追随を許さないのは「グローバル・パーチェシング」という武器をもっているからである。 世界94ヶ国のマクドナルド・チェーンの仕入れ部のコンピューターはオンラインで結ばれ、世界中の産地情報が瞬時に読み取れるシステムができている。(略) たとえばチキン・マックナゲットであれば、チキンを生産している世界各国の企業名、現地価格、運賃、保険料のすべてが表示され、最終的な仕入れ価格がわかるシステムになっている。 これを見て、当月の買付けはどこでなにを買うのが一番安いかさまざまなシュミレーションによって判断し、調達すればいいのだ」(藤田田)

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ここ最近、「樋口清之」先生や、「越川 礼子」さんの書かれた本を読み直しているのですが、そこで一番感じるのが、「日本社会」が「付き合い」をどんどん「喪失」していっている、ということです。

「欧米人」たちの目から見れば、「日本社会」はまだまだ多くの「付き合い」を有しているじゃないか、と思うかもしれませんが、「日本の歴史」を「過去」から逆上って見てみると、いまの「日本人」は、「日本の歴史」の中で最も「横の繋がり」だけではなく、「縦の繋がり」をも「喪失」してしまっていることがよくわかります。

冒頭で取り上げた「マクドナルド」の「仕入れシステム」などは、「情報」だけではなく、「物」の移動までもが、「希薄な人間関係」の中で成り立っていますが、このような「システム」こそが、いま大きな問題となっている「食の安全」をも破壊してしまっていることを「国民」たちは理解しなければなりません。

「顔」が見えなければ「情」は生まれない。

「長い付き合い」を前提としなければ「情」は生まれない。

「情」が無いところには、「信義」も、「信頼」も、「やさしさ」も生まれない。

「戦後日本人」が、「アメリカ(欧米)人」や、「コリア人」や、「左巻き」たちから取り入れた(押し付けられた)「個を主体としたシステム」は、「日本社会」から「付き合い」と共に「情」を奪い続けています。

「インターネット」を使って、このような主張をするのは、矛盾したことかもしれませんが、もう一度、「日本」を「素晴らしい国」にする為には、「広く」、「重層的」で、「長期」を前提とした「付き合い」を「日本社会」に甦らせるしかありません。

「GOD」=「個」(靖国参拝を否定するキリスト教徒や、仏教徒や、左巻きなど)ではなく、「神々」=「公」によって「社会」を纏め上げる。「GOD」=「エゴイスト」や、「一向宗(公を蔑ろにした戦国時代における)」のような「集団」が、「社会」に溢れ帰り、「政界」や、「マスコミ」や、「教育」という「大公」を犯しているようでは、多くの「国民」たちを「幸福」にする「社会」を作り上げることなど不可能なのです。

「政治」や、「マスコミ」や、「教育」などが腐ってしまっているいま、それらの勢力の「意思」に対抗して、「国民」たちの「意識」を変えて行くには、「祭り」や、「居酒屋」や、「銭湯」や、「塾」や、「道場」などを活用した「地域づくり」、「人づくり」を更に進めて行く必要があります。

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〔参考〕

勝てば官軍―成功の法則・藤田 田(著)

梅干と大福帳―いま見直される“日本的経営”の原点・ 樋口 清之(著)

商人道「江戸しぐさ」の知恵・ 越川 礼子(著)

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2008年02月01日

「私」の「暴走」は、「質の高い公民」によってしか防げない

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(高田延彦ブログより)

ノーコンテスト?

「見事な三崎の勝利」
私の考えは、今月の始めにブログの中でコメントした通りである。
とにかく素晴らし過ぎる戦いだった。
改めて三崎、秋山両ファイターに心から感謝である。(敬省略)

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大晦日に、開催された格闘技イベント「やれんのか!」で行なわれた、

「三崎 和雄」VS「秋山 成勲」の戦いが、「三崎選手」の「KO勝利」に終わったにも関わらず、「コリアマネー」の力によって、「ノーコンテスト」へと変更させられたことは、多くの「格闘技ファン」や、「格闘家」たちを失望させました。

「金」と「セックス」と「暴力」によって、「W杯の判定」や、「歴史の真実」をも覆してしまう「コリア人」たちですから、「格闘技」の「試合結果」を覆してしまうことなど朝飯前でしょうが、「格闘技の試合結果」だからと言って、この問題を放置して、「コリア人」や、その「下僕」たちに、やりたい放題、やらせておくことは、「日本社会全体」に大きな「悪影響」を及ぼすだけに、この問題を簡単に放置してはならないのです。

大晦日に「やれんのか!」を会場で観戦した「格闘技ファン」たちは、「反則八百長男・秋山 成勲」選手に対して、「ブーイングの嵐」を浴びせ続けました。

「秋山 成勲」選手は強い。「格闘技ファン」でなくとも、「秋山」選手の試合を見れば、そのことは一目瞭然です。しかし、「日本人」は、「秋山」選手のことを認めることはありません。それは何故なのか?

答えは、「秋山」選手が、「汚く」、「卑屈」で、「卑怯」で、「人間性が欠如している」からです。

そんな「秋山」選手と対照的なのが、「高田延彦」さんです。「高田」さんが、「コリア人(コリアマネー)」に逆らって、「見事な三崎の勝利」と発言することは、「靖国参拝」や、「郵政民営化」に反対する「族(賊)」たちに対して、「信念」を貫いた(その結果については様々な答えを出すことが出来るでしょうが)「小泉純一郎元総理」や、逆に「小泉元総理」の「政策」に反対し、「離党」をして、その後も「復党」をしなかった「議員」たちと同じくらいか、それ以上に「勇気」がいることだったと言えます。

いま「日本」を「素晴らしい国」にしたいと思っている「国民」たちに求められることは、

「格闘技界」だけではなく、「マスコミ」や、「政界」や、「行政」などにおいて、「金」と「暴力」で「特権」を得ている「コリア人」や、その他にも、様々な分野で「汚く」、「卑劣」で、「卑怯」なことを行なっている、「チャイナ人」や、「欧米人」や、「クウェート人」や、「政治屋」や、「役人」や、「プロ市民」たちに対して、彼らが身動きが出来なくなるくらいに「ブーイング」を浴びせ続け、日頃は、「社会問題」に無関心な人たちに対しても「真実の声」を届けることです。

「文化の違い」に目を向けた上で、「汚く」、「卑劣」で、「卑怯」な人たちを「徹底的に嫌う日本人」が、「日本」と「世界」を救うのです。

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〔参考〕

高田延彦ブログ

http://www.takadanobuhiko.com/

武士ズム~小林よしのりVS堀辺正史~

なぜ今、「武士道」か 日本及び日本人の復活―この「自助の歴史・精神」が将来を救う・福田 和也(著)

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2008年01月20日

「日本愛」が「日本」を救う

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「僕がアメリカに来て最初に感じたのが、アメリカのどこの球場でプレイしていても、彼らがいかに自分たちの国の、ベースボールの歴史を大事にしているかっていうことなんですね。もう現役時代から何年も経っている選手、そういう人たちに対する敬意の表し方、彼らの記憶、プレイの思い出とかいうことにすごく造詣が深いんですよ。そういうのが僕には、すごく刺激を与えてくれるんですね。スタジアムに緊張感を生んでくれるんですよ、そこもまた日米で随分と違いがあるように、僕は感じましたね」(イチロー)



「親がいて初めていまの自分があるように、歴史があって初めて日の丸をつけてピッチに立てる日本人がいる。それを応援できる日本人がいる。しかも、自分の生まれ育った、この日本という国でだ。親孝行もできない者にロクな人間がいないように、日本のサッカーの歴史を大切にしない選手に一流のプレーなどできるはずがない、とワタシは思っている。歴史を知ろうともしないサポーターが、「12番目の選手」になれるはずがない、と思っている。 サッカーを愛する日本人なら、この国のサッカーの歴史を少し知る努力をしてもバチは当たらないだろう。まして日の丸をつけ、ワールドカップで戦う選手であればなおさらだ」(ラモス瑠偉)

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「アメリカ人」たちの「歴史を大切にする心」と「偉人(先人)たちを大切にする心」は素晴らしい!!

「大東亜戦争後」、「歴史」と「偉人(先人)」たちを「粗末」に扱い続けてきた「日本人」たちは、「アメリカ人」たちの素晴らしい生き方から学ばなくてはなりません。

その上で、「日本人」たちは、「アメリカ人」たちを超える必要があります。

「アメリカ人」たちのように「自国の歴史」や、「自国の偉人(先人)」たちは「大切」にするのに、「他国の歴史」や、「他国の偉人(先人)」たちを「粗末」に扱うような人たちの「更に上」を目指さなくてはなりません。

その為にはまず「自虐」という「マイナス地点」から、「愛」をもって「日本」と向き合い、「スタートライン」にまで辿り着く必要があります。

「日本を一番大切に出来ない人」たちに、「日本人」を「幸せ」にすることなど出来るわけがないのです。

いまの「日本」がおかしくなってしまったのは、「日本愛」が無い人たちが、「社会の中枢部」にいるからです。

「日本人」から「日本愛」を奪ったのは、「アメリカ」や、「チャイナ」や、「コリア」や、「左巻き」たちです。

自分が属している「共同体」を「愛する」ことは自然なことです。自分が属している「共同体」を「粗末にする」ことは不自然なことです。

素晴らしい「共同体」だから「愛せる」のではなく、「愛する」から素晴らしい「共同体」を作ることが出来るのです。

「日本国民」たちが「日本愛」を持たない限り「社会問題」を根本的に解決することは不可能です。

これからの「日本」に必要なことは「日本愛」を高める為に、「日本人」の中の「日本の濃度」を上げていく作業です。

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〔参考〕

イチロー×北野武キャッチボール・北野 武・イチロー(著)

魂 HEART―2002・日本代表への最後のエール・ラモス 瑠偉(著)


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2007年12月08日

「公国・日本」を蝕む、「私国のエゴ文化」

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(日刊スポーツより)

被害額3億!窃盗犯1000件の盗み自供

三重県警に窃盗容疑などで逮捕された韓国籍の住所不定、無職呉信次被告(40=窃盗罪などで公判中)らが調べに対し「東海、近畿の2府6県で自動車盗や車内荒らしなど約1000件の盗みをした」と供述していることが8日、分かった。


(読売新聞より)

国連人権高等弁務官、日本の死刑執行に「遺憾」

【ローマ=松浦一樹】国連人権高等弁務官事務所(本部ジュネーブ)のルイーズ・アーバー高等弁務官は7日、東京と大阪で同日、死刑囚3人の刑が執行されたことについて、「遺憾」とする声明を発表した。

 高等弁務官は、刑が執行された死刑囚の中に70歳代の高齢者が含まれていたことを問題視しており、声明の中で、「高齢者に対する刑の執行に正当な理由は見あたらない」とした。

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「欧米」や、「特定アジア」の「野蛮」で、「エゴ」に塗れた「人権意識」から「日本」が離脱しない限り、「日本社会」から軽犯罪を減らすことですら難しくなってしまいます。

「犯罪」について考える際に大切なことは、「数字には現れない部分」をしっかりと見ることです。

「左巻き」たちのように、自らが「数字捏造」という「犯罪」を犯していながら、「数字の問題じゃない!」というような人たちは、話になりませんが、「犯罪問題」を根本的に解決したいのならば、「全ての国民(ここが絶対的なポイントです)」に、「数字には現れない部分」を過剰なまでに「意識」、「想像」させるような「教育」を施さなくてはなりません(ただし左巻きの行っているような、特定のイデオロギーの奴隷となるような教育では意味がありませんが)。

「犯罪」の被害にあった人は、どのようにしてお金を稼ぎ、物を買ったのか?

被害者は、何十年間も朝から晩まで働き、贅沢をせず、子供や孫たちの為に、一生懸命生きてきた、おばあちゃんかもしれない。

被害者は、病気と闘っていて、お金が必要な人かもしれない。

「日本政府」の行うべきことは、「犯罪」の被害にあった人たちが、そのことによってどのような「人生」を送ることになってしまったのか、ということを「教科書」や、「ドキュメンタリー番組」などを通じて、「国民」たちに知らせることです。

そのようにまず「犯罪被害者」のことを徹底的に「想像」させ、次に「加害者」の生い立ちなどを徹底的に「想像」させ、それ以外にも、「自然」や、「動物」たちなどを通じて「感性」を磨くことができる「教育」と「街づくり」などに取り組んでいかなくてはなりません。

「感性」は「公」、それも「良質な公」との触れ合いの中でしか磨くことはできません。

「光市母子虐殺事件」に見られる「弁護屋」や、「国連人権高等弁務官」のような「エゴ」でしかものごとを捕らえられない人たちや、「ゴージャス生活」のテレビ放送なども含めた「エゴ」の流布は「社会の害」でしかないのです。

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[参考]

「江戸しぐさ」完全理解―「思いやり」に、こんにちは・越川 禮子 (著), 林田 明大 (著)

完本 梅干と日本刀―日本人の知恵と独創の歴史・樋口 清之(著)

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2007年12月01日

「日本」があってこそ

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「親がいて初めていまの自分があるように、歴史があって初めて日の丸をつけピッチに立てる日本人がいる。それを応援できる日本人がいる。しかも、自分が生まれ育った、この日本という国でだ。親孝行もできない者にロクな人間がいないように、日本のサッカーの歴史を大切にしない選手に一流のプレーなどできるはずがない、とワタシは思っている。歴史を知ろうともしないサポーターが、「12番目の選手」になれるはずがない、と思っている」(ラモス 瑠偉)

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「ラモス」さんの言葉には「魂」がある。「ラモス」さんの言葉には「時間の流れ」がある。だからそこに「歴史を貫く大切なこと」があり、「真実」がある。

「チーム力」とは「選手」や、「監督」だけの「力」で決まるのではなく、「チームの裏方」さんや、「サポーター(12番目の選手)」の「力」も含めて決まる。

いまの「日本国」が、様々な分野で「素晴らしい人材」や、「実力」を持っていながら、その「力」を十分に発揮できないのは、それぞれのポジションにある人たちが、「縦の繋がり」も、「横の繋がり」も無くしてしまい、「個立(弧立)」してしまっているからです。

そのことによって「日本国民(世界の人々)」たちが失ってしまっている「富」は計り知れないものがあります。

「日本の中の自分」

ここ最近、「政治」や、「経済」において何らかの問題があると、「日本とアメリカの離間を目論んだものだ」「日本とチャイナの接近を妨げようとしたものだ」というような主張を目にする機会が増えていますが、離間や接近を妨げるものの中で最も大きく、重要なものは、「日本人と日本人」や「日本国と日本人」や「日本人と日本史(ご先祖様たちや日本文化)」を巡るものです。

この問題の克服無くして、「自立」や「弱者救済」を行う「余力」を、「日本国」は持つことをできないことを「全国民」は忘れてはならないでしょう。

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[参考]

魂 HEART―2002・日本代表への最後のエール・ラモス 瑠偉 (著)


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2007年10月07日

「舛添バッシング工作」を行おうとしている「犯罪者」たち

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(NHKより)

田村市は刑事告発見送り

市町村などの職員が年金の保険料を着服していた問題で、合併前の町の職員による着服が6年前に明らかになった福島県田村市は、懲戒処分にしたこの元職員の刑事告発は行わない方針を決めました。

 市町村などの職員による年金保険料の着服をめぐっては、刑事告発が行われず、7年の時効を迎えていない事案があった全国9つの市と町に対し、社会保険庁が、着服した職員の刑事告発含めた厳正な対応を求めています。

 このうち田村市では、6年前の平成13年、合併前の旧常葉町で、町民課長だった当時54歳の男性職員が国民年金の保険料21万円余りや町民税など合わせておよそ50万円を着服していたことがわかり懲戒免職になっています。

 田村市では今月2日に社会保険庁などからの厳正な対応を求める文書を受けて刑事告発などの対応をすべきかあらためて検討した結果、すでに懲戒免職になり、社会的制裁も受け、被害金額も弁済されているとして元課長の刑事告発は行わない方針を決めました。
 
 これについて田村市の冨塚市長は、「過去の事例を再度罪に問うのであれば、年金以外の横領などについても罪に問わなければ不公平になる。市町村が年金の確認作業に追われているときに作業の遅延を招くような社会保険庁の通知は筋違いではないか」話しています。

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「犯罪」を犯せば「警察」に捕まる「一般国民」たちと、「犯罪」を犯しても「警察」に捕まらない「公務員」たち。

「他人」の「金(税金)」を盗んでも「罪」を問われない「公務員」たちが存在している中で、「大人」たちは「子供」たちの「教育」を行えるのでしょうか?

「田村市」の「冨塚市長」や、「公金」を「横領」した「公務員」たちは、「公金」が=「国民たち」であり、「国民たちの人生」であることを理解していない最低の人たちです。

「冨塚市長」は、「横領犯」の「刑事告発」を行わない理由を、

>「過去の事例を再度罪に問うのであれば、年金以外の横領などについても罪に問わなければ不公平になる。市町村が年金の確認作業に追われているときに作業の遅延を招くような社会保険庁の通知は筋違いではないか」

と言っていますが、彼の発言は「私」=「エゴ」だけに基づいたもので、「公の意識」が完全に欠如しています。

もしも彼の頭の中に「国民(公)」が存在していたならば、

>「過去の事例を再度罪に問うのであれば、年金以外の横領などについても罪に問わなければ不公平になる」

と言うのではなく、「民間人(一般国民)たちが罪を問われるのに、公務員だけが罪を問われないのは不公平になる」と言い、徹底的に調査を行い、処罰を下し、告発を行っていたでしょう。

先日、「沖縄」で行われた「工作集会(教科書書き換え要求集会)」を主催した人たち(左巻き)や、「マスコミ」たちは、「参加人数」を大幅に水増しし、誤魔化しました。彼らの行っていることと、「横領」や、「水増し請求」を行っている「公務員」たちは同類=犯罪者です。

「参加人数」を誤魔化す人たちの主張は信用できるのか?

「横領犯」を告発しない「市長」たちの政策は信用できるのか?

その「答え」は「始まった瞬間」に既に出ているはずです。

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[参考]

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2007年09月22日

「裁判」を乱発する「プロ市民」と、「救急車」をタクシー代わりにする人たち

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(毎日新聞より)

教育基本法:改正の無効求め提訴
 
 昨年12月に改正された教育基本法が教育目標に「愛国心」を盛り込み、家庭の教育方針を規定しているのは思想・良心の自由などに反し違憲として、市民団体のメンバー245人が21日、国と与党国会議員5人を相手に、改正法の無効確認と1人当たり10円の賠償を求めて東京地裁に提訴した。同様の訴訟は、5月に愛媛県の市民団体のメンバーら298人が松山地裁に起こしている。

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改正「教育基本法」に「愛国心」を初めとする「公共心」に関する項目が加えられたのは、このような「裁判」を起こすような「エゴイスト」たちが「社会」に溢れかえり、「社会」が健全に「機能」しなくなってしまった、ことにあります。

本来ならば「国民」の代表者である、「政治家」たちが「政治」の場において行うべき議論を、「司法」の場に持ち込み、「公」を「私物化」している人たちは、救急車をタクシー代わりに使用している不届き者と同じです(光市母子虐殺事件の加害者弁護団も同類です)。

そんな連中たちのせいで、「浪費」され、「破壊」されてしまう「公」を守る為に、「公共心」を子供の頃から育む為の教育は絶対に不可欠なのです。

改正「教育基本法」の「愛国心」に関する項目は、

>伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

となっています。この項目に書かれていることについて反対する「国民」たちは殆どいないはずです。

「国民」たちは、いま問題となっている「年金流用」で失われた「公金(発覚している分だけで)」よりも、「教育基本法」や、「靖国参拝」や、「教科書」や、「国家補償」問題などの「政治」の場で行われるべき議論が、「左巻き」たちの手によって、「全国」の「裁判所」に持ち込れ、そのことによって「浪費」されている「公金」の方が遥かに多い、ということを認識する必要があります。

「裁判」を起こし、「反日活動」を行うことを「職業」としている連中を許してはなりません。

彼らのような「エゴイスト」たちの存在を「民間(国民)」たちが、許している限り、「国民」は、「官」と「民」の「私」に挟撃され「搾取」の対象として生きるしかありません。

「民」が変わらなければ「官」が変わることは無いのです。

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[参考]

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2007年09月10日

「私」に支配された「戦後日本」

少し前に、「NHK」で働いている知人が、

「豊臣秀吉と小泉純一郎は、バカだけど、物凄く強運である、と描かないと駄目なんだよ・・・」

と嘆いていたことがありました。その人は、人数ばかりが増えて質が急激に低下している「そこら辺の大学教授」よりも遥かに、歴史や政治に対する知識も情熱も持っている人で、「豊臣秀吉が、強運だけで天下を獲れると思うか?」と、常々「NHK」の描く「豊臣秀吉」像に疑問を抱いていました。

そんな彼は、ある時、思い切って「上司」に対して、「○○の秀吉像は滅茶苦茶ですよ!」と言ったのですが、その時、彼に対して上司はこう言ったそうです。

「秀吉が偉大な人物だと傷つく人たちがいるんだよ・・・」

「NHK」は「秀吉」が偉大な人物だと傷つく人たちがいるという理由で、「秀吉」を「実力」よりも「運」で伸し上がった人物であると描き(運で戦国時代を勝ち抜くことなど絶対に不可能なのですが・・・)、「秀吉」の人類史上最も「壮大なサクセスストリー」を徹底的に「矮小化」させていたのです。

「NHK」のホンの一握りの「個人」に対する「配慮(特権)」で、「歴史」という「公」=「共有財産」を「私物化」する姿勢は絶対に許してはならないことですが、そんな「NHK」が「私物化」している「公」は遠い「過去」だけではありません。

いまの「NHK」は「日本文化」から「戦争」や「政治」に至るまで、とにかく自らの「思想信条(左巻き思想)」に適わないものは、「強運」、「偶然」、「奇跡」、「○○の恩恵(主に特定アジア)」であると「情報操作」を行ってきます。

そのような姿勢が「謙遜」から生まれるのであれば、まだ救いようがあります、しかし「NHK」の「偏向報道」は明らかに、特定の「内部勢力」の力(暴力)によって齎されたものです。そしてその姿勢はいま「民放各社」にまで浸透し、「日本社会」を蝕み、「国民」たちを傷つけ続けています。

既存の「マスコミ」がそんな状態ですから、「国民」たちは「ネット」などの「新マスコミ」に「救国」の活路を見出さなくてはなりませんが、「売国奴」たちは「ネット」の世界にも「魔の手」を伸ばし始めています。

「正常な幸福の享受を望む国民」たちは、「族議員」や、「官僚」や、「左巻き」や、「コリア人」たちなどの「特権者」と戦い、「富」や、「機会」を「民間」や「本当の公」に解放(開放)しているのが誰なのかをしっかりと見極め、自らも「特権者」たちとの戦いに参加する必要があります。

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2007年09月06日

「公の意識」なき「戦後日本」で、「任命責任論」は「百害あって一利」なし

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(北海民友新聞より)

▼新聞紙上、テレビでは「安倍総理の任命責任」を問う論調が続く。野党もその責任を追及する構えだ。しかし任命責任とは一体何だろう。任命とは、国民が自由な意志で選び国会に送り出した人物を、その適性に合わせて重要ポストに就けることである。その身辺にその後、何か問題が発生することと任命することとは別次元の問題ではないだろうか。それとも詳細な身辺調査を行ってから任命せよと言うのだろうか▼首相に任命責任を求めるなら、その人物を国会に送り込んだ、その地域の有権者の選出責任はないのだろうか。一票を投じることはこの人を国家のために役立て下さい。有能な人なのです≠ニいう意思表示である。その責任の一端が有権者にあるという自覚も必要なのではないか▼松岡大臣の自殺が参院選挙に影響するとか、安倍内閣の支持率が下がるとか、何かの時に一喜一憂し、短絡的な判断基準を設ける今の日本。政争の具にしたり、他を批判することで自らを高めることは愚かな行為である。もっと遠くを見て、世界の中の日本を確立する事こそ、急務ではないだろうか。

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「任命責任」、「身体検査」・・・「日本国」の「総理大臣」は、そんなことを行う為に存在しているのでしょうか?

「総理大臣」とは「政界の頂点」、「権力者の頂点」に存在していますから、「国会議員」や、「役人」だけではなく、「国民」たちが起こした「犯罪」に対する「責任」をも負わなくてはならない立場にあることは間違いありません。

そのように考えれば、「野党」や、「マスコミ」たちが主張している「総理大臣の任命(公認)責任」が存在していることも間違いありません。

「総理大臣は責任をとって辞任するべきだ」

そんな主張も「個」を主体とした「責任」のあり方をよしとする「戦後日本人」としては当然のことなのでしょう。

しかし、ここで「国民」たちが考えておくべきことは、「個人」が「責任」をとる、とらない、の問題よりも、「個」を主体とした「責任論」が本当に「国民」たちの「利益」に繋がっているのか、どうか、ということです(個の責任を問う必要が無い、というわけではなく)。

「政治家」による「犯罪」はこれまでも数多く摘発されて来ました。その度に「個(個人・任命者・政党)」は「責任」をとり続け、「犯罪者」たちは「政界」を去っていきました(再び戻って来た人たちも数多くいるのですが)。

それにも関わらず、「政治家」たちによる「犯罪」は後を絶つことなく、今日に至っても「撲滅」することが出来ていません。

そのことが「国民」たちに示しているのは、「個」を主体とした社会の「限界」です。

「松岡問題」が発生した時、「国民」や、「マスコミ」や、「野党議員」たちは、「故松岡大臣」や、その「任命者」である「安倍総理」や、「公認者」である「自民党」の「責任」をこれでもか、と言うほどに「徹底追及」しました。

けれど、その時に「北海民友新聞」が主張している「投票者」の「責任」を取り上げる人たちは殆どいませんでした。

「故松岡大臣」を「国会」に送り出したのは、「安倍総理」や、「自民党」ではなく、「投票者」であるにも関わらずです。

それを本当の「無責任」というのではないでしょうか?

昔から「日本社会」には「上に立つ者」、「代表者」が「責任」をとる=「罪を背負う」という習慣が存在しました。古くは「殿様」や、「武将」、最近では「いわゆるA級戦犯」などがその代表と言えるでしょう。彼らが「罪(いわれなき罪も含めて)」を背負ってくれたおかげで助かった命は数知れません。

ただ「上に立つ者」、「代表者」が「責任」をとる文化、の「性質」は、明治維新以前と以降の「神」という概念が全く違うように、「A級戦犯」以前と以降では全く別のものに「変貌」してしまっていることを「国民」たちがしっかりと認識しなければ、これからは、かつての「日本社会」とは逆に、「罪も無い国民」たちが「被害」に遭い続ける可能性が増えることを忘れてはなりません。

「政治家は靖国神社に参拝するな!」、「A級戦犯を分祀しろ!」

などと叫び狂っている「無責任」で、「公意識」の欠片も無い「エゴイスト」が存在している「戦後日本」において、「上に立つ者」や、「代表者」にだけ「責任」を負わせることは、「国民」たちから「公意識」を更に奪い去り、「エゴイスト」を育成し、「社会的危機」を増大することに繋がってしまうのです。

「個人」と「個人」が騙し、傷つけ、殺しあうまでに「腐敗」してしまった「戦後日本」を再生する為には、「戦前」の「隣組」や、「五人組」に見られるような(特定アジアに存在したものや、左巻きたちによって歪曲されたものとは異なる)、「公」を主体とした「社会」の構築に取り組まなくてはならないでしょう。

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[参考]

完本 梅干と日本刀―日本人の知恵と独創の歴史

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2007年09月01日

失って初めて気付いた「和の心」の素晴らしさ

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(朝日新聞より)

「外国人単純労働者受け入れず」 鳩山法相

外国人単純労働者の国内への受け入れに道を開くことを柱とした長勢前法相の「私案」について、後任の鳩山法相が31日、否定的な見解を示した。受け入れをめぐっては厚生労働、経済産業、法務各省が外国人研修・技能実習制度の見直しを検討しているが、新法相の就任により「私案」の実現は後退した形だ。

 政府は現在、単純労働者の受け入れを認めない方針を堅持している。長勢前法相は5月に「短期外国人就労制度」の創設を提唱。見直し議論に一石を投じていた。

 これに対し、鳩山法相は31日の報道各社によるインタビューで「単純労働者を入れるという考えはとっていない」と説明。長勢私案については「『私案』ですから検討しろと命じている形跡はない」と述べ、法相として私案の実現を担う考えがないことを明らかにした。

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「日本人」が「MF(ミッドフィルダー)」なら、「外国人」は「FW(フォワード)」である。

ここ1年間、「外国人」が常に8割、9割を占めている職場で働いてきた自分の感想です。

とにかく「外国人」(例外もいますが)は、「自分のポジション(仕事)」の内部に留まり、「楽(手抜き)」をすることばかりを考える。

そのことが「効率化」に結び付いているのならば「全体(公)」にとって「有益」なのですが、「個の利益」のみをひたすら追求する彼らの行動は、結果として「全体」の足を引っ張り、大きな「無駄」を生み出してしまう原因となっています(FWばかりを集めたサッカーチームが機能しないように)。

「企業(組織)」というものは、「利益」を生み出さなくてはなりませんから、彼らが生み出した「無駄」は、誰かが「補填(カバー)」しなくてはならなくなってしまいます。

そこで「負担」が大幅に増加しているのが「日本人従業員」たちです。自分は多くの「外国人」たちと一緒に働いて、本当に実感しました。

「日本人はやさしい」

と。「日本人」ほど、常に「他人への気配り」を忘れず、困っている人がいたら「手を差し伸べ」、「協力」しあって生きている人たちはいないでしょう。

「和の心」

。最近は、「個人」の醜い「エゴ」が生み出した、悲しい事件が溢れかえっている「日本社会」ですが、それでも「世界標準」から見れば、まだまだ大半の「日本人」には「やさしい心」が残っています。

自分の働いている会社ははっきり言って、「外国人労働者」がいなくなってしまったら1週間で潰れてしまいます(飲食業やコンビ二などは皆同じでしょう)。それでも「外国人労働者」の受け入れの、これ以上の「拡大」には大反対です。いま「日本語」を話せない「外国人」、「日本語」を話さなくても働けてしまう職場、が急激に増えています(主に日本人を相手にしているにも関わらず)。そのことによって「日本のサービス」、「職の質の低下」が大幅に進みました。

「外国人労働者」の受け入れについては、「犯罪増加」や、「日本人の雇用減少」の面などから反対している人たちがたくさんいますが、自分は、ニートや、引きこもりや、ネットカフェ難民や、依存症や、精神障害や、犯罪増加等々の面も含めて、

「日本の心」

「美しい心」

「素晴らしい心」

「素敵な心」

「やさしい心」

などの「心」について、いまこそ真剣に議論する必要があると思います。

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[参考]

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2007年07月29日

「広義の愛」か、「狭義の愛」か?

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(日刊スポーツより)

被災地の自衛隊員10日間も入浴できず

新潟県中越沖地震で被災した柏崎市、刈羽村に23個の屋外風呂を設置して被災者に喜ばれていた自衛隊。しかし、隊員は風呂に入れず、中には10日間も入浴できなかった隊員もいた。

柏崎市災害対策本部はこうした実情を把握しておらず、28日夕の対策会議の席上、山田哲治総合企画部長は「隊員の皆さんが大変な思いをしているとはうかつにも気付かなかった。申し訳ない」と謝罪。29日以降、被災者の入浴後に自衛隊員も風呂に入ることが決まった。

自衛隊によると、派遣された隊員は約3200人。近くの駐屯地の隊員は駐屯地などに戻って入浴できたが、遠方から応援に来た約2000人は入浴の機会がなかった。

自衛隊は、被災者支援が目的として自分たちの入浴の希望を伝えなかったが「給食を調理する隊員もおり、衛生上も問題」として柏崎市に申し出た。


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「生活保護申請者」や、「コリア人」たちが、「助けて貰う側」でありながら、「支援しろ!」、「金を寄こせ!」、「人権を守れ!」などと叫び狂い、自らの「怠慢」を他人のせいにし、「被害者面」をし、時として「暴力」に走る姿を見ると、本当に腹が立ちますが、「被災地」で、「個」の欲求を抑え、「公」の為に尽くしている「自衛隊員」たちのことを考えると、「人間」は素晴らしいな、という思いが湧き上がってきます。

ここ最近、「アフガニスタン」で人質となった「コリア人」たちに関するニュースを「マスコミ」が大きく取り扱い、そのどれもが彼らを「コリア人ボランティア」という言葉で表しています。

しかし、自分の同僚の「インドネシア人女性」は、彼らのことを「侵略者(精神侵略)」と言っています(コリア人たちはインドネシアに対しても同様の侵略行為を繰り返しています)。

「ボランティア団体」の仮面を被り、「イスラム教文化」を無視し、冒涜しながら「布教活動」を続けている彼らは、「イスラム教徒」たちにとっては明確な「侵略者(精神侵略者)」たちなのです。

「他人」のことを全く尊重することが出来ない「コリア人キリスト教徒」たち。

それと同じことは、「仏像」を破壊した「タリバン」の側にも言えます。

そのような視点に立てば、今回の人質事件は、「個」と「個」のぶつかり合った「戦争」であることがわかります。

いま「日本」は、様々な「外敵の個」による「侵略」を受けています。しかし、そのことに気が付いている「国民」たちは殆どいません。

過剰な「個」は我が身を滅ぼす劇薬です。しかし、「個」を発揮するべき時、守るべき時に、立ち上がり、戦わなければ、「個」そのものが消滅してしまうのだ、という危機感を「国民」たちはもう少し持つべきでしょう。

「コリア人」や、「タリバン」や、「左巻き」たちのように「個」の下に「個」を結集させるのではなく、「自衛隊員」たちのような「公」の下に「個」を結集させることが、いまの「日本」には必要です。

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2007年06月12日

「個」の暴走は、「公」で防ぐしかない

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(毎日新聞より)

コムスン:現場に厳しいノルマ「月に最低4人増やせ」
 
 介護事業所の新規・更新を不許可とされた訪問介護大手「コムスン」が、利用者数と介護報酬額の確保や、集めるケアマネジャーの名刺数などについて、現場責任者らに厳しいノルマを課していたことが分かった。ノルマを達成できず早期に退職する管理職や社員もいたという。関係者は、上部からの厳しい締め付けが今回問題となった虚偽申請などの一因となったと指摘している。

 「上からうるさく言われる『純増4』『単価1万8000円』のノルマが常に頭にあった」。関東地方のケアセンターで05年にセンター長を務めていた男性は証言する。「(経費のうち)人件費を6割に抑え、利益を確保する」よう徹底され、少しでも利幅が出るように頭を悩ませる日々だったという。

 「純増4」は月に最低4人の新規利用者を確保すること。訪問介護の場合、利用者が死亡するなどして月に1割程度の「純減」が生じる。これを補うための目標だったという。「単価」は常勤ヘルパーの介護報酬目標で、1日に計1万8000円と設定されていた。06年4月の改正介護保険法施行前は、介護報酬の単価は身体介護が約4000円、生活援助が約2000円だった。各センター長は固定給の常勤ヘルパーを効率的に働かせ、なるべく単価の高い身体介護を組み込み1万8000円の目標を達成しようと躍起になっていた。

 月2回のセンター長会議では、トップのセンター長が「コムスンの誓い」などを唱和する際の音頭を取った。ノルマ最優先のやり方に男性は「利用者からキャンセルの連絡を受け、とっさに『単価が下がってしまう』と考えてしまう自分を恥じ、もうこのままでは続けられないと思った」という。男性は間もなく辞表を提出した。

 また昨年、グループ会社で介護付き老人ホームの施設長だった関東地方の男性は、コムスン社員から「ケアマネジャー100人分の名刺を毎月集める」というノルマを課せられた。ケアマネジャーに自分の施設を紹介してもらえるようにすることが目的だったという。

 会議が近づくと施設長は名刺を求めて外出してしまい、施設に電話をしても連絡が取れないことが多かったという。このノルマは間もなく取りやめになった。男性は「理由は不明だが、入居者の家族から『なぜ施設長がいないんだ』とクレームがついたのでは」と推測する。【市川明代、苅田伸宏】

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「人間」の「脳」の「最大欲求」は、「GOD」です。

「全知」になり、「全能」になり、「人間」や、「植物」や、「動物」を創造し=「クローン技術」、「ハルマゲドン」を起こす力を持つ=「原水爆など」等々の「力」を自らのものとしようとする。

「宗教」や、「法律」や、「芸術」や、「スポーツ」や、「科学技術」などの殆どは、そのような「GODの意思」=「脳の欲求」が生み出したものばかりです。

「人類」が愚かな「戦争」や、「差別」や、「虐殺」や、「環境破壊」などの「狂気」に走ってしまうのも、その根源に「不自然な脳」を持ってしまった「人類の宿命」があるのです。

そのような「狂気」を、「憲法九条」という「超狂気」で抑止するべきだ!と主張し、「他人」の「狂気」を誘引している「馬鹿」は、この「地球」を破滅へと導く「悪魔」でしかありません。

「脳」=「GOD」を動かしているのは「個」です。

「日本人は侵略戦争を謝罪しろ!」

「日本人は靖国神社に参拝するな!」

「日本人は正しい歴史を学べ!」

などと言っている「狂人」たちこそが、「世界」を「不幸」にしているのです(彼らの主張が、同等か、それ以上の「個」に対して「相対」として為されているのならば話は別ですが、VS「個」や、「個」の押し付けはただの「狂気」でしかありません)。

「個」=「GOD」=「個人」や、「絶対」や、「永遠」とは、この世の中に「絶対」に存在しない「不自然」な存在です。

この「地球」に存在する「生命体(自然を含めて)」の中で、「不自然な破壊」を行うのは「人類」しかいません。

「生命体」が「自然」の中で「破壊」や、「終焉」に遭遇しても、そこには「不幸」は存在しません。「ライオン」に食べられた「シマウマ」も、「寿命」で死んだ「人間」もその全ては「自然」という「幸福」の内にあるからです。

その一方で、「人間」の「脳」が作り出した「不自然な生活」には、「不幸」が溢れています。いま「人類」の多くは必要以上の「不幸」を感じています。

それはこの世の中(近代社会)が、「脳」に支配されてしまっているからです。

「格差」や、「差別」の是正を多くの人たちが求めるのは、「人間」が「脳」という「不自然」と、「身体」という「自然」を有しているからです。

「自然界」には、「人間社会」のような「格差」や、「差別」は存在しません。

1頭の「ライオン」が、1万頭の「ライオン」が食すだけの食料を確保しても意味が無いからです。

それに対して、「人間」は、たった一人が、何千億円や、何兆円もの資産を貯め込む。

「飢餓」で死んでしまう人がいる中で、「肥満」で死んでしまう「馬鹿」もいる。

このような馬鹿げた話は、全て「脳」が生み出しているのです。

「介護放棄(他人任せ、金任せ)」の問題も、「コムスン」の問題も、根源を辿れば「脳」に行き着きます。

「携帯電話」や、「ネット」が普及し、生活と完全に一体化した今、「人間」はこれからも「個」=「GOD」への欲求に大きく影響され続けることになります。

「犯罪」、「詐欺」、「自殺」、「テロ」、「虐待」、「戦争」、「ひきこもり」、「ニート」、「フリーター」等々の「個の問題」は、これから益々拡大し、複雑化することになります。

それを「放置」したままにしておけば、「地球」はとんでもないことになってしまう。

そんな「地球」を救うのは、「人間」が「脳」よりも、「身体」を重視していた時代の「知恵」=「文化」です。

これからの「地球」に「平和」を齎すのは、「携帯電話」や、「ネット」などの「個の文化」に、「男は男らしく、女は女らしく」や、「国や、地域を愛する心」や、「ご先祖様を敬う心」や、「自然を愛する心」などの「公の文化」でブレーキを掛けることです。

「左巻き(リベラリスト)」は、「個人」と「個人」が、傷付け、騙し、殺しあう社会を作りました。戦前よりも、人間が、冷酷な個人となった戦後日本がその証です。戦前は他人を傷つける時でも「誰かの為」の気持ちがありました、しかし、戦後日本は、「自分の為だけ」に他人を傷つける時代となってしまいました。

「左巻き」たちの「嘘」に騙されてはなりません。「自分の為だけ」に「他人」を傷付け、騙し、殺す「社会」のどこが「平和」なのでしょうか?

「左巻き」が「平和憲法」と読んでいる「日本国憲法」の正体は、ただの「暴力憲法」でしかないのです。

腐りきった「戦後日本」を健全化するのは、「他人の為」=「公の精神」です。

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2007年05月03日

「不必要な個」を削れば「幸福」を作ることが出来る

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(日経新聞より)

首相、北朝鮮追加制裁も検討
 
 【カイロ=中山真】安倍晋三首相は2日、カイロで記者会見し、北朝鮮が6カ国協議で合意した核施設の停止・封印などの「初期段階の措置」を履行していないことを踏まえ、追加的な制裁措置を検討する考えを示した。

 北朝鮮に関して「初期の段階でやるべきことをやっていないことを念頭に、さらなる措置も場合によっては考えないといけない」と強調。「拉致問題についても進展がなければいろいろと考えないといけない」と述べた。

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「小泉政治」が「はさみ将棋」ならば、「安倍政治」は「詰め将棋」と言えます。

「小泉純一郎」という「世紀の大天才」の最大の能力は、「敵を不在にする」才能です。

「小泉政治」を批判している(いた)人たちは、「小泉は敵を意図的に作り上げ、問題の本質を誤魔化し、国民を騙している」というような主張をしていますが、「小泉純一郎」にとって「敵」とは「最大の味方」であって、「一般人」=「個人」=「凡人」が考えている「敵」と「味方」という概念は、「小泉純一郎」の「頭の中」には存在していないのです。

「小泉純一郎」にとって「敵は味方で、味方は敵」であり、「ニワトリは卵で、卵はニワトリ」なのです。

「小泉純一郎」という「公人」の中には、「鳩山」も、「菅」も、「岡田」もその他、この世の中の全てが含まれていて、その大きさ、広がりは「限りなく無限大」であって、「個」という「小さな器」の中でしか生きることが出来ない「反小泉派」の人たちは、時間の経過と共に、自然な形で「強大化」していく「小泉純一郎」には、どうやっても勝てるわけが無かったのです。

そのことに気が付かず、「幻影である個人としての小泉純一郎」や、その周囲にいる「個人」に対しての「攻撃」や、「誹謗中傷」を繰り返していた「反小泉派」は、「公人」として「公」=「述語」に対する「非難」しか行っていなかった「小泉純一郎」に、どのように接したとしても、最終的には全てが「無」に帰してしまうのです。

何度も、何度も「小泉純一郎」を倒す機会があったように思えながら、「反小泉派」が成果をあげられなかったのは、「小泉純一郎」と「反小泉派」が、「公」と「個」という、全く「別の次元」で戦っていたからなのです(小泉純一郎にとって、戦いとは最大の対話でもあります)。

いま「反安倍派」が、「安倍晋三」を仕留めることが出来ない理由も、それと全く同じです。

「安倍晋三」が「教育」や、「憲法」や、「同盟関係」などを、「個」から「公」の方向へと進め続ければ、「反安倍派」は「一点」に対して、「特攻」や、「玉砕」の覚悟を持って挑まない限り、万に一つも勝ち目は無い、と言えます。

さらに、「反安倍派」にとって頭が痛いことは、「安倍晋三」という男は、全ての戦略を、数十手、数百手先を読む「詰め将棋」のように緻密に、理論的に繰り出してくることです(そこに付け入る隙も生れてきますが)。

「安倍晋三」は、「日本」を「美しい国」にする為に、克服し、取り除くべき課題、障害を、「個」=「エゴ」=「戦後日本を牛耳り続けてきたエゴイスト」たちに設定しています。

「拉致」、「朝鮮制裁」、「サラ金規制」、「パチンコ規制」、「新同盟構築」、「偏向マスコミ批判」、「環境対策」、「教育改革」、「憲法改正」等々の「政策」は、「戦後日本を牛耳ってきたエゴイスト」たちと、彼らの「汚さ」によって、「エゴ」で汚れてしまった「日本人の心」を「浄化」する為のものなのです。

いま「日本人」は「心の奥底」で、「戦後日本」の至上理念であった「個」からの脱却、解放を求めています(戦後日本において、個のピークは、バブル期でしたが、阪神大震災や、オウム事件などをきっかけとして、日本人の心は、この世の中の真理である「無常」に帰ろうとしています)。

「個(私)」に走るだけの「野党」や、「マスコミ」や、「組合」や、「特権者」たちが「没落」し続けている理由は、「公」を求めている「日本人」たちの支持を得られなくなってしまったからなのです。

今後、「右」や、「左」を問わず、「日本」を、「世界」をよくしたいと考えている人たちは、「個」や、「私」や、「極」ではなく、「公右」や、「公左」などのように「公化」する必要があります(もちろん「公」の為に、意図的に「個」や、「私」や、「極」というピエロ=おとり、となるのならば別ですが)。

例えば、ここ最近、特に「没落」が激しい「左巻き」たちは、「教育基本法改悪反対!」や、「憲法改悪反対!」や、「安倍は軍国主義者だ!」などという「個」=「エゴ」を捨て、

「私たちと一緒に本当に、平和を実現できる素晴らしい憲法を作りましょう」

と「国民」たちに呼びかけると共に、「特定」の「団体」や、「国」との過剰な繋がり=「個」を断たなければなりません。

「安倍政権」は、これからも「公」に基づいた「政策」を次々と繰り出してきます。その時、「戦後日本」において常に「他人」を傷つけて来た「個」=「エゴイスト」たちが、今後も「個」に「固執」すれば「壊滅的なダメージ」を受けることになるでしょう(特に、「安倍政権」が「戦略」の中に盛り込んでいる「個」=「エゴイスト」たちよる「テロ」は、「安倍晋三」が思い描いている「美しい国」を構築する為の最大の支援となるでしょう)。

「不必要な戦い」ほど「愚か」なものはありません。

「戦後日本を牛耳り続けてきたエゴイスト」たちは、いまこそ自ら「一歩引き(特権を返上し、それによって得てきた私益を社会に還元し、場合によっては罪を償う)」、自らの利益と、「公」の利益の両方を確保するべきです。

「反安倍派」の中から「擬態」でもいいので、「安倍晋三」と「同化」し、「公」の中に「細胞」を植え付けようとするものが現れることが、最も「多くの人」たちに「幸福」を齎す道でしょう。

「ステーキ」を食べたいと思った時に、「牛一頭」を手に入れようとする、のがいまの「日本」の「個」の実態です。

そんな「不必要な個」を削る作業が「日本」を再生します。

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[参考]

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posted by スーパー原始人 at 11:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 公の精神 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月24日