(読売新聞より)
元高校教諭に罰金刑、卒業式の君が代斉唱で不起立求め
東京都立板橋高校の卒業式で、出席した保護者らに国歌斉唱時に起立しないように求め、式を妨害したとして、威力業務妨害罪に問われた同校の元教諭・藤田勝久被告(65)の判決が30日、東京地裁であった。
村瀬均裁判長は「被告の行為は厳粛であるべき式典に悪影響を与えるだけでなく、実際に式の進行を一時停滞させ、非難は免れない」と述べ、罰金20万円(求刑・懲役8月)の有罪判決を言い渡した。藤田被告は、即日控訴した。
弁護側は「卒業式を混乱させた事実がない」と無罪を主張したが、判決は「教頭の制止や校長の退場要求に従わずに大声を上げ、開式が2分遅れた」と指摘。その上で、「式の妨害が直接の目的ではなく、式はほぼ支障なく行われた」として、罰金刑を選択した。
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この元教師の卒業式での「抗議」の模様はテレビで見ましたが、はっきり言って「馬鹿」を通り越して、「クズ」としか言えません。
事件後に、高校の生徒や保護者たちが、「一生に一度の思い出が台無しになってしまった」と怒りの声を上げていましたが、この元教師は、自分が何をやってしまったのかという自覚が全くないのでしょう。
「日の丸」や「君が代」に反対する権利は誰にでもあります。しかし、そうであったとしても「時」と「場所」を選ばなくてはなりません。
抗議活動は、一生に一度の思い出の場である「入学式」や「卒業式」以外の日に、いくらでも行うことが出来ます。自分の「エゴ」の為に生徒たちや、保護者たちの「思い出」を踏みにじることは絶対に許すことはできません。
個人の「エゴ」を全て認めていたら、「社会」や「共同体」や「行事」は成立しません。どうしても「譲り合う」ことが出来ないのならば、「重要」な場を避けて主張をするか、「社会」や「共同体」から離脱するべきでしょう。
一昔前ならば、卒業式を台無しにした、元教師のような人物は、例外的な「異常者」でしたが、最近は、事情が随分と変わってきています。
私は、浅草や上野へよく出かけますが、上野駅の近辺では、左翼団体が、教育基本法の改正や、共謀罪に反対するビラを配っているのをよく見かけますし、この間の、浅草三社祭りでは、右翼の街宣車を見かけました。
上野や浅草には、日本中から観光客や、修学旅行生などが集まってきますし、海外からの観光客もたくさん訪れます。その中には、一生に一度の訪問だという人たちもいることでしょう。観光客たちの「気分」や、街の「雰囲気」を台無しにしている左翼団体や右翼団体は、仮にその思想や活動が、どんなに崇高なものであったとしても、電車の中で化粧をしたり、携帯電話で大声で会話をしたり、街に落書きをしたり、不法投棄をしている連中と同じです。
自ら動かずに、他人任せにしている日本人が増えている中で、日の丸・君が代に抗議した元教師や、自分の信念に基づいて活動している左翼や右翼団体の人たちは評価するべき点や、見習うべき点も多々あります。
しかし、それでも「時」と「場所」を選ばなければ、一部の人たちからしか評価されずに、効果も上がらないでしょう(それが目標の人もいるでしょうが)。
いまの右翼はそれ程でもありませんが、左翼系の団体は、とにかく自分たちと違った意見を持った人たちに対しては、「悪」のレッテルを貼り、1パーセントの評価すらしない姿が目に付きます。彼らは、日頃から「ファシズムだ!」「全体主義だ!」と相手を非難していますが、そのような自分たちの姿勢こそが、ファシズムや全体主義と同根であることには気がついていないのでしょうか。いまの左翼の多くは「エゴ」にまみれて汚れきってしまいましたが、戦前の左翼は違いました。日露戦争に反対した片山潜はこのように発言しています。
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「わたしはこの戦争に反対である。しかし、日本人として、日本が、過去キシネフにおいてユダヤ人をあのように扱った(虐殺した)ロシアに負けることを望みはしない」(片山潜)
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昔の左翼は、「個人」としての主張をする時にも、「人間」の心を失ってはいませんでした。それに対していまの左翼はどうでしょうか。
「私は、イラク戦争には反対だが、フセインの行っている大虐殺は絶対に許さない」
「私は、日本が行った過去の戦争は過ちだったと思っています。だから、アジア諸国との共存と共栄の為には、過去の戦争について、更なる、心からの反省が必要だと思っている。しかし、真のアジア諸国の共存と共栄を目指すのならば、日本だけが反省するだけではいけません。中国も朝鮮も韓国もモンゴルも東南アジア諸国も、自らの犯した過ちとしっかりと向き合い、反省し、謝罪と、賠償を行う必要があります」
このような発言をする人は殆どいません。日本に左翼が必要だとしたならば、自分の「意見」の押し付けだけではなく、片山潜のように世の中を眺めることが出来る人たちでしょう。
卒業式を台無しにした元教師も、
「私は、日の丸や君が代には反対だ。だが、元教師として、生徒たちの一生に一度の思い出の場を壊すことは出来ない」
そのように考えて、式典が終わってから、ビラなどを配って、「卒業をきっかけに、日本のあり方について真剣に考えてください」と言ったり、「時間のある方は、これから、私の話を聞いてくれませんか」とやっていたならば、随分と違っていたでしょう。
「エゴ」と「主張」することは違います。ラフカディオ・ハーンは、戦前の日本人についてこう言っています。
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「西洋文明から日本の自然な、完全にノーマルな生活環境にとけ込むと、プレッシャーがだいぶ減ります。西洋文明の根本的特徴である個人主義がここにはないのです。それは私にとって日本社会の魅力の一つです。ここでは個人は他人を犠牲にするところまで、その範囲を広げようとしないのです」(ラフカディオ・ハーン)
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ハーンの言葉には、日の丸・君が代問題だけではなく、殺人や、自殺や、詐欺や、虐待や、依存症や、登校拒否や、ひきこもりや、ノイローゼなどの、現在の日本が抱えている問題を、解決する為のヒントがあるのではないでしょうか。当面の日本の課題は、西洋文明のように「個人が他人を犠牲にする」ところまで範囲を広げてしまった「個人主義」の抑制です。
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*新大久保駅の事故についての「JR東日本」への問い合わせの続報。「質問」メールを送ってから、3日経ちましたが「正式」な「回答」はなされませんでした。「人命が関わる問題でコピペはぐらかしメールで終わりかよ!」ということで、次の一手を打ちました(効果の方は?ですが)。JR東日本のHPを見るとトップに「脱線事故」についての謝罪が掲載されていますが、それは「上っ面だけ」と考えざるを得ないでしょう。新しい動きがあったら報告します。
追記:「愛読者」さんからの情報で、「JR東日本」は日頃から、客に対する対応が最悪であることが発覚しました。「ふざけんなバカヤロー!!」と永田裕志ばりの怒りが湧き上がってきましたが、「人命」に関わる問題ですので、怒りを押さえつつ、諦めずにベストを尽くしたいと思います。
[参考]
ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)
日本の文化力が世界を幸せにする・日下 公人 (著), 呉 善花 (著)
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