3月1日に配信された「縄文通信」さんが「広島」の「原爆碑」に書かれている「文言」についての記事を書いています。
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(縄文通信より)
主語不在の「原爆碑文」問答
中村 忠之
今回は趣向を変えて、≪ WEB 熱線 第825号 ≫(02/14)の<読者の広場>欄に掲載された「広島原爆碑」に絡む問答に、勝手に割り込んだ一連のやりとりをお伝えしたい。(なお、前半の直接関係のない部分は割愛させていただいた)
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<WEB 熱線>読者の広場2007/02/14 より
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┌──────────「通りすがりのブサヨさん」男性gosaku様、 OJIN 様、ちょっと失礼いたします。(前略)
藤岡さんという偉い先生が書いた本の中で、広島慰霊碑の「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから」の碑文に言及し「過ち」を「日本による侵略」ととらえていましたが、本当に「過ち」とはそういう意味なのでしょうか。
私は「核兵器が使われること」が「過ち」だとしか読めないのっですが、私の考は間違ってるのでしょうか?ーーーご教示いただければ幸いです。
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
どの記事に対するご意見なのかと探してみましたが、gosakuさんと野太郎さんと OJIN という組み合わせになりますと、元記事はgosakuさんのということになると思うんですが、gosakuさんの記事は何しろ長大で、さらにコメントや感想も膨大で、特定できておりません。 (中略)
ところで、「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから」には、なるほど!今までは「過ちは」は「(侵略)戦争は」という解釈で頭が固まっていましたが、碑文のある施設の性格を考えると「核兵器を落とされるような事態」・・・とも読めるんですね〜。もっと頭に柔軟性をもたせねば――――。
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☆ 主語不在の碑文 ―2007/02/21 by 縄文塾 中村忠之
先週水曜日号の<WEB 熱線>で、広島平和記念公園にある慰霊碑の文言について意見が交わされていました。被爆者の一人として、広島の話題となると黙ってはおれません。厚かましいことながらちょっとばかり割り込まして下さい。
(以下「通りすがりのブサヨさん」および OJIN さんの文章引用分を省略します。 中村)
ちょうど2月14日、広島の平和記念公園で外人相手の英語ボランティアをしている旧友(旧制中学同期)が、『原爆と平和』をテーマに研究しているという、有名な東京のH大学院生N君(社会学研究・地球社会学研究を専攻)に、いろいろ話を聞かせてやってくれといって連れてきた。
「原爆所有」容認論をぶちかねない「硬派(?)の」中村さんでは、少しばかりお門違いではないかと思っていたが、やはりこの話が出てきたーーー。
『やすらかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから』―――
この碑文は確か広大の偉い先生の言葉らしいが、いまでも時に応じて(この<WEB 熱線>でのように)「一体誰が過ちを繰り返さないのか?」について繰り返し論議されている。
ーーー当然その話になった。
旧友曰く、「実は、通訳していていつもその部分で、誰が?(Who?)と質問されるのだ」と言っていた。しかたなく彼が答えるのは、「我々(We)」だと答えているのだ言っていた。
彼が言う「我々」とは「全世界の人」だという意味である。すると今度は「何故?(Why?)」とくるそうで、うまく説明できずに困っていると嘆いていた。 ーーー考えようでは罪な碑文である。
時あたかも別の知人が、彼のブログで、カナダのモントリオール大学で日本語教育に従事している金谷武洋先生の『主語を抹殺した男:評伝三上章』という本を紹介しており、早速読んだばかりだったので、碑文の意味を伝えることに苦労した気持ちがよくわかった。
http://chinachips.fc2web.com/tiny/jp_top.html全く知らなかったのだが、実はこの三上先生、広島出身だったそうで(碑文の作者もだが)無知さ加減に赤面するばかりであったーー。
金谷先生が学生相手に日本語を教えるときに悩んだのは、「ジュ・テーム」とか「アイ・ラヴ・ユー」が、そのまま日本語に訳せない、訳すと、まさに極めつきの「悪文」になるし、第一日本人は、誰も、事に及んでこんな言葉を使わない。ーーー悩んだ彼に日本の親友が送ってくれたのが、この三上章の画期的な「(主語は不要という)日本語文法書」だったのだという。
それ以降、金谷先生の悩みも氷解して、三上文法の紹介と普及に努力しており、その一環がこの本に凝縮されているのだが、金谷先生が同書内で慨嘆されるのは、――――日本の国語学会の閉鎖性で、戦後の英語教育からの誤った遺産を後生大事に墨守して、日本語にも「主語+述語+動詞」という教育を(すでに破綻したにも拘わらず)依然として行い続けるという頑迷な教育者と教育行政に、痛切な批判を投げかけている。
原爆記念碑の碑文から大分逸れたが、ヒロシマの「主語不在の碑文」は、ただ主語不在ですまされる問題ではなく、わざわざ韜晦(とうかい)し、曖昧にし、結論から逃避した卑怯な文だということもできる。
―― 追記:
ご存じかどうか、原爆被爆者には「原爆被害者手帳」が支給され、これがあると(社会保険・健康保険の払い込みが必要だが)治療費や入院・手術費の負担額がなくなり無料となるありがたい制度がある。
加えて、特定の病気には「健康手当」が支給される上、さらに「原爆症患者」に認定されると、毎月そこそこの補助金が支給されるのだが、病気と原爆の因果関係が不明で、最近その支給を巡って裁判沙汰になっていることをご存じの方も多いだろう。
私の考えは、たまたま広島で被爆したのだが、アメリカの無差別爆撃で、広島以上の死傷者を出した東京・大阪を始め、無数の被害者がいる中で、広島・長崎だけが特別の恩恵を受けているではないか。それを今更国や広島市を相手に裁判沙汰にするのは、強
く言えば「許せぬ」、柔らかく言えば「いかがなものか」と言いたい。
原爆症だったら、もうすでに死んでしまっていてもおかしくない。もし裁判に勝って支給されたら、それなく死んでいった人たちがいる事からみても、まさに不公平ではないか。
もし、どうしても裁判に持ち込みたいのなら、相手は当然アメリカであって然るべきである。――――戦後の政府や広島市には一切責任など無い。
こうした事件は、碑文にはっきり「アメリカは過ちを繰り返すな!」と書いていなかったためではないか。
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<WEB 熱線 第829号 >(02/23)
読者の広場より
________「北村真一さん」男性@四十代@会社員@福島
いつも楽しく拝読させて頂いております。今回は、私も意見を言いたいと思い投稿させて頂きました。
「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから」についてですが、過ちは「核兵器を使用した事」についてだと思っていました。人それぞれ捉え方が違うようです。
私が思うに、わざと主語不在の文にしたのではないかと思われます。それは、読んだ方が自分で考え反省する、日本人的発想(?)からだと思われます。
仕事上、外国の方とのお付き合いもありますが、当然彼らには伝わりません。殆どは自分に有利な方向で解釈します。ただ、現代でもこの日本人的発想は無くしたくないと思っております。
___________
(OJINさんから、北村真一さんの投稿にコメントして下さいという依頼に応えて、
___________「縄文塾 中村忠之さんから」
(前 略>
この碑文については、以前よりあれこれ論議されていますが、作文された先生は故人となっていらっしゃるせいか外野席での侃々諤々(かんかんがくがく)当然本人抜きですので真相は藪の中で終わっています。
私個人的に作者の心根を忖度(そんたく)すれば、__おっしゃるように他国では決して通用しないでしょうが__おそらく日本を含めて、この戦争を行った(広く第二次世界大戦の)当事国、或いは「全世界の人たち」ではないかと思っています。
実は今もそうですが、広島は、あれこれ問答無用という「絶対的平和論者」のメッカみたいな位置づけですし、平和学習の総本山です。この問題ですが、できれば日本中でアンケートを採ってみれば面白いのでは、と、バカなことを考えています。
竹島・尖閣・北方領土問題、それに拉致問題の長年放棄など、先方に非があってもそれをはっきりと言えない日本の、日本人の有り様をみれば、「日本の常識 世界の非常識」、八方丸く収まることを本気で考えるところにおのずと答えが見えてきます。私はこれを「弥生式発想」と呼んでいます。
さて、お答えになったかどうか疑問ですが。
http://joumon-juku.com〜〜〜
自分は、「原爆碑」に書かれている、
「
やすらかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」
という文言は、今後の「日本」と「世界」の「平和」を考える上で、「左巻き」たちが「GOD」としてカルト的に祭り上げている、「憲法九条」よりも遥かに重要なものだと思っています。
「原爆碑」の「文言」については、「日本人」だけではなく、「外国人」からも、
「過ちを繰り返しませぬから」の「主語」は誰なのだ、という声が上がり、「日本人」の中からは、
「過ちを繰り返さない、と言うべきなのは日本人ではなく、アメリカ人だろう!」
という怒りの声も聞こえてきます。
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(国民新聞より)
三好誠氏 戦後始めて、広島の原爆碑撤去を訴える
広島市平和公園にある「あやまちは繰り返しません」の原爆碑に、戦後初めて撤去運動が起こった。
『はめられた真珠湾攻撃』、
『この国で見た北朝鮮』
など多くの著作がある三好誠氏が、「あやまち」とは日本ではなく、原爆投下した連合国の方として、原爆碑の撤去を求めて、平和公園で8月1日から抗議の断食・座り込みを行う。
この碑文の作者は広島大英文学の雑賀教授。三好氏の行動に共感を示す名越二荒之助氏は
「あの碑文をホワイトハウス前に移設してはどうか」
などの応援エールを送っている。
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「原爆碑」の「文言」について論じる時のポイントは、作者である「雑賀教授」にあります。
>この碑文については、以前よりあれこれ論議されていますが、作文された先生は故人となっていらっしゃるせいか外野席での侃々諤々(かんかんがくがく)当然本人抜きですので真相は藪の中で終わっています。(縄文通信より)
「雑賀教授」がご存命であったならば、直接、その意を聞くのが一番なのですが、残念ながら「雑賀教授」は既にお亡くなりになられてしまっています。
そのことが「右」や、「左」や、「国籍」に関係なく、多くの人たちを巻き込んで、「論争」や、時として「対立」を引き起こしているわけですが、いつまでも「原爆碑」の「文言」を巡って、「未来の住人」たちが「対立」を続けることは、「原爆」で亡くなった方たちも喜ばないでしょう。
ですから多少「強引」なやり方であっても、「原爆碑論争」は終焉させてしまって、これからの「日本」のあり方を決定付ける、きっかけを作ってしまった方がいいと思います。
「原爆碑」の「文言」について、「国民」たちが、「雑賀教授」から直接、その意を聞く機会は永遠に失われてしまいましたが、幸いなことに、「雑賀教授から直接、その意を聞いた人」からの「手紙」を「中條高徳」さんが「魂を抜かれた日本人」の中に掲載しています。
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(魂を抜かれた日本人より)
「先生の批判された碑文は私の恩師雑賀先生が書かれたものです。私は雑賀先生によく可愛がられました。氏は英文学の先生で英国の桂冠詩人ブランデン氏とも大変親しい仲でした。一方、国学者風な毅然としたところもお持ちでした。
私も先生に面と向かってこの碑文を批判しました。碑の「過り」とするのはerror(誤り)ではなくevil(悪)の意味なのです。
「この碑文は、百年たたなければ世界の人々が円いテーブルを囲んで一緒に話し合えないだろうね」と先生は碑文という制限された枠内に一言で表現するにはこの言葉しかない」との信念を貫かれておりました」
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この「お弟子」さんの話が「真実」であるのかはわかりません。しかし、自分は、この「手紙」が仮に「嘘」であったとしても、手紙に書かれている「雑賀教授」の言葉を、「国民」たちは「事実」であると決めつけ(思い込み)、「原爆碑」の「文言」を今後の「日本人」の生き方を決定する「精神の柱」の一つにするべきだと考えます。
「「主語」ではなく「述語」を大切にする」
それが「本来」の「日本人」の姿でした。
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「「死ねば神になる」という伝統的感覚や仏教信仰からくる「衆生悉皆成仏」「山川草木悉皆成仏」の死生観から、日本では敵も味方も死ねばみな神だとして信仰対象になる。 これは敵であれ、すべての悪しき過去も「水に流す」という文化の表れでもある。 また戦犯であろうと何であろうと国家に殉じた者は護国の英霊として合祀するのが靖国神社だ。 まさに日本人の死生観の精華といえる。 戦前、日本軍は靖国神社の心で、敵国の戦死者に対しても、その国、護国の英霊であるとして戦闘の合間に慰霊、供養したのである。 敵でも死後は丁重に弔うというのが日本人だ。 世界では今日でも民族間、宗教間で憎悪に満ちた対立抗争が決して後を絶たない。そうであるなら日本人の死生観、その象徴である靖国神社こそ、世界人類にとっては大切な遺産なのではないだろうか」(黄文雄)
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「
(罪を憎んで人を憎まず)こういう発想は、ちょっと間違うと個人の責任を問わないものとして批判されても仕方がないものとなる。たしかに責任回避につながる面はあるのだが、そもそも罪というものに対する考え方が違うのだ。一口に罪とされるが、その罪が形づくられるにはいろいろな動因があり、単に個人を責めてすむものではない-そういう発想からすると、罪を発生させたのは個人だけではなく、他者、世間、家族、歴史、習慣、制度、教育・・・などさまざまなものが絡みあった総体ということになる。罪の主体を立てない表現には、そういう主張が潜んでいる」(呉善花)
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このような「述語的発想」を持ち合わせていない「憲法九条」や、その「信者」たちよりも、「述語」を主体とした「雑賀教授」が書いた「原爆碑」の「文言」や、「日本文化」こそが、「日本人」と「世界の人たち」や、「自然」や、「動物たち」を最終的に「幸せ」に出来るのではないでしょうか。
いまこそ「述語」。いまこそ「日本文化(人と人、人と自然や動物たちが述語で繋がっていた頃の文化)」です。
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[参考]
魂を抜かれた日本人―歴史に学ぶ日本人の生きざま・中条 高徳(著)

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